JR山陽本線福山駅より南に約15km、沼隈半島南東端の鞆の浦は古代より瀬戸内海の潮待ちの港として繁栄、江戸時代にはその経済力で独特な商都、湊町を形成していた。
明治時代になると交通手段も海から陸に移り、鞆の浦は拠点性を失うことになり、鞆町は近代化の波から取り残された。
そのお蔭かどうか・・・、町の中心街は近代化されることなく車も入り込めないほどの細い道が縦横に走り、裕福だった時代の街並みがそのまま取り残され
今は観光資源と成って居る。
<日本一の高さを誇る常夜燈(安政6年築=1869)の前で、祭りのため、京都から呼ばれた花魁がポーズをとる。>
近畿に住む僕たちは、鞆の浦と聞けば旅行会社の「観光鯛網」ぐらいしか思い起こさないが、嘗て鞆の浦はその強大な経済力で都の文化を取入れ、古くは京や上方でしか演じられなかった「能宴」を催よおし、当時の一流役者が流派を問わず集められていたと言う・・・。
この街はまた海の寺町かと思うほどどこの通りを歩いても寺院にぶつかる、この2000所帯にも満たない街に20ケ寺以上も密集していて、往時の文化程度の高さが窺われる。
現在では鞆港への商船の出入りは殆ど無く、連絡船、観光船を除けば、ほぼ漁港として利用されるのみである。
然しそれが江戸時代の港湾施設である「常夜燈」、「雁木」、「波止場」、「焚場」、「船番所」が全て揃って残り、江戸時代中期と後期の町絵図に描かれた街路もほぼすべて現存する要因にも成って居る。
1992年には都市景観100選に、2007年には美しい日本の歴史的風土100選にも選ばれ、町絵図が現代の地図としても通用するのは、全国でも鞆の浦以外には例がないと言われて居る。
この日は祭りの花魁道中が有ると言うので町並み散歩の観光客も多かった。
やっぱり古い町並みは古き良き時代を伝え郷愁を呼び起こす。
保銘酒本家として有名な岡本亀太郎本店の長屋門は明治維新で廃城となった福山城の長屋門の払い下げを受けたもので、福山市重要文化財に指定されて居る。
沼名前神社(ぬなくまじんじゃ)は鞆祇園宮(ともぎおんぐう)とも称され格調高い・・・、しかしこの街じゃ普通車は使いものに成らない。
地元では日本でもっとも癒される港町だとしているのだが・・・・。
撮影2012.12.2