山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

乗っ取り?

2005-12-18 22:10:06 | 未分類過去
最近近所で、同じ内容の店なのに、違うものになっちゃったというのが3つあります。

ひとつはコロッケ屋さんです。
そのコロッケ屋さんは、小さなお店で、おとなしげなお兄さんがひとりでやっているお店でした。
コロッケ3~4種とメンチくらいで、お客さんの注文を聞きながら揚げてくれて、とてもおいしかったので、そこを通るたびに買っていました。
その店がある日、サマ変わりしました。まず、店の名前が変わり、男性が2人店頭に立ち、やけに威勢良く客に声をかけています。道路にせり出して置かれたガラスケースの陳列棚の中には、コロッケ数種・メンチ・串カツ・魚のフライ等数多くの品が並んでいます。そして店の中には今時の女の子が暇そうにしていました。
「あれっ、以前のお店と違うんですか?」と聞くと、「ハイ全然別のものですよ」との返事。
味は別にまずいということはありませんでした。
しかし、店の雰囲気として何か興ざめで、あの誠実そうなお兄さんが一人で商っていた姿が懐かしく、あの人、どこに行っちゃったのかなあと思いました。
ところで、先日久しぶりにそこを通ると、新しいコロッケ屋はつぶれていました。

二つ目はクリーニング屋なんですが、
行きつけの店に行くと、やはりサマ変わりしており、店内の内装と店の名前が変わり、カードも新しいものになりました。店が変わってから、明らかにだらしなくなりました。1人の女性店員さんだけは顔なじみなのですが、店長が変わり、他の働く人たちも変わった上に減ったようです。
改装後は店の裏側が丸見えで、散らかった事務机の上や壁に張り付けた書類などでごたごたしています。受け付けた衣類の入ったカゴが乱雑に積み重ねられています。出来上がったものを見ても、変なところにアイロンジワができたりしています。とてもプロの仕事とはいえません。絶対に以前の方が良かったです。クリーニング屋変えたいです。

もうひとつは、レンタルビデオです。
この店も、元はこじんまりと営業しており、品数もまあそろっていたし、店員さんの態度もよかったので、長年の会員でした。
しかし、別の会社が吸収したとのことで、名前と内装が変わり、新たに会員カードを作ることになりました。そのやり方がどうも胡散臭いです。大元から応援に来ている人のやり方があくどいのです。先着何百名にサービス券と言っているのに、普通の会員カードの先着は終わったなどとうそぶいて、クレジットカードつきの会員カードを作らせようと必死です。サービス券がもらえると思い込んで普通のカードで手続きを済ませた人に、もう先着は終わりましたといって何も渡しません。しかし、店内での話では、まだ先着順のサービス券は十分にあるとのことでした。

なんだか、もともと地元になじんでいた誠実な商売が、あくどい儲けかたをしている大きな会社に飲み込まれることが多いようで、いやな気分です。




収入格差と我が家転落の道

2005-12-18 13:04:38 | 未分類過去
今年のボーナスは全体的になかなかいいそうで、上昇した会社が多いそうです。
テレビでインタビューに答えていた人が、90万だとか、100何万だとか、
少ない人でも50万だとか言っていました。

ボーナスの話題 やめてくれ~っ!
やるのなら、もらえなかった人たちの取材もやってくれ~っ!
そうすれば、同じように無い人もいるんだな~と思って、
少しは元気が出るかもしれなのに・・・

ニュースで児童手当が小6まで拡大されるとか言ってましたが、
所得制限も緩和され700~800万の家庭までも適用されるそうです。
だから、子どもがいても、生活が楽になるんだそうです。
ええっ?
私の経験では、子どもっていうのは、義務教育中はほとんどお金はかかりません。
むしろ大きくなってからのほうが、お金は必要になります。
しかも、年収700万って、それ、うちの夫婦合わせての年収より300万以上も多いんですよ。倍ですよ。
そんな家庭、援助なんていらないんじゃない?
だから、援助してほしいのは、もっと大きい子がいる貧乏家庭だよ。

しかし、貧乏なのは自分が悪いのさ。
お金を稼ぐ能力がないんだ。
要領も悪いんだ。
要するにバカなんだ。
雲行きが悪くなる職場を捨てて、どんどん転職していかなかったのが悪かったんだ。
だから、役職がなくなって、給料がどんどん減らされて
落ちるところまで落ちてから、微々たる退職金をもらって首になった。

業績が振るわなかったのは実は親会社だった。夫のいる子会社は収益を上げていた。
親会社は有名な会社で、もともと給料もいいそうだ。
親会社が人員を整理して、子会社に回してきて、それが役職についたから、
子会社の社員がいらなくなったんだ。
そして、会社の雰囲気はどんどん変わって行ったんだ。
親会社はそれで安泰だ。

そこに、建物の建て直しという出来事があった。
本社に残って新築ビルができるまで開業準備にあたるものや、
別の小さいビルでの営業にあたる者もいたが、
50過ぎの夫は不用にされた。
北海道などに飛ばされていった人もいる。

姉歯氏じゃないけど、一家の主にとって、仕事を失うのは怖い。
家計の維持を考えると、会社がそんなになる前に、自分の意思で仕事を手放すのは、難しいことだったんだ。
だから、簡単に転職したり、現在のしがらみを離れることができないんだ。

夫は失業し続けるのも良くないから、収入が大して得られない仕事にとりあえず再就職した。
再就職したら、早々また転職することも難しい。
今度やめたら、自己都合だから失業保険は3ヶ月は出ない。
仕事をしながら仕事を探すのは難しい。
仕事をやめてから仕事を探すのも難しい。

最近、年収500万の仕事の紹介があったのだが、
急に今の仕事を放り出せないから、断ったそうだ。
いい話だと思って転職しても、程なくやめていく人を何人も見ているせいもある。

でも、うちは飢え死にしたりするほど貧乏じゃない。
この世の中、まじめな人間が野垂れ死にするほど転落することはあり得ない。

でもさあ、高収入を得て、優雅な生活を送っている人たちを見てると、
人間の働きや価値というのはそんなに違うのかなあと思います。

姉の夫は、今急成長している情報産業の分野の人です。
確かに、人の1、5倍働いて、人の3倍アタマを回転させているかもしれません。
転職も3回し、そのたびに収入を増やしてきました。
それで、現在の年収は、うちの夫の5~6倍あるようです。

20年位前は大して変わらなかったのに、この差は埋め尽くしようもなく、
姉の世帯とうちの世帯の金銭感覚は、かけはなれたものとなっています。
はっきり言って、自分の姉妹ながら付き合っていける気分ではありません。

ステージの違い

2005-12-18 09:49:42 | 未分類過去
秘密主義(放送大学のことを人に言わない事)の1つの理由

以前、私がマラソンに弱く小学生のころはいつも皆が到着したずっとあとになっても、まだ途中を走リ続けている状況だったという経験を書きましたが(11・26苦手なマラソン)、大学を出ていなくて今大学生をやっているという状況は、それに似ています。

マラソン大会では、私が到着するずっと前に、皆はすでにご褒美のお汁粉をゆっくりと食べ終わって帰るしたくをしているのであり、その後私はやっとゴールしてきて、おばさんたちから、「あらまだ走っている子がいたのね」などと言われ、片付けかかったお汁粉をよそってもらい、目を白黒させつつ無理やりのどに流し込んだりする経験でした。

今、私のまわりに暮らしている大卒の奥様方は、若い頃にすべき勉強はすでにして、中年生活を謳歌している人が多いです。好きで勉学に打ち込む人もいますが、それは大卒という当然ある土台のもとにさらに何かを得ようとしている人であり,語学を習いつつ頻繁に海外旅行に行ったりするひともあれば、化学の本を出す人、大学院へ行く人などがおり、また、テニスなどスポーツをする人、おいしい料理店を探し歩く人など趣味を楽しむ人もいます。

そういう段階にきている人たちの中で、過去の不足をおぎなうため、私はまだ走り続けているという気がしてならないのです。
その人たちはすでにゴールしてお汁粉を食べている人たちですが、私はまだゴールしてなくて、中間地点を走っているようなものなのです。

私は人から、「まだ、あんなところを走ってる子がいる」と思われたくないのです。また、「今頃、走る必要もないのに物好きね」とも思われたくはないのです。
誰にも知られず走り続けたいのです。そして、自分だけが誰にも知られずゴールして、走り終わったということを実感できたら、それで満足なのです。

放送大学に行っている人の中には、私と似たような人も多いですから、一緒に走っているランナーです。その人たちとは、心おきなく自分の目標を話し、心から励ましあうことができるでしょう。(なかなか知り合う機会がないんですが・・・)

また、返って年齢の違う学生さんなんかには言えてしまうことも多いです。
若い人から「物好きなおばさんだね」と思われるのは、何でもないし、「私も大学生なんだよ」などと言って、話しが乗る事も多いです。

自分が走っているところを、走る立場でない道端の野次馬に見られて、変な声をかけられるのもいやなので、ステージの違う人たちに自分を開示するのがためらわれるのだと思います。