山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

自転車の上手な進み方

2005-12-14 19:25:38 | 未分類過去
昨日、路上駐車の多い一方通行道路を自転車で逆行するときの苦労を書いたんですが、きょう、ひとつ発見したことがあります。

「道路の中央を、速いスピードで走っていくのがいいようだ」ということです。

そうすると、ずっと先まで見通しがきくわけです。
後ろから来る車はありえないのですから、真ん中を走っても危なくはないのです。
それから、スピードが速ければ、対向車と重なる時間が少ないのです。

私は今までは、道路の端をゆっくり進んでいたために、駐車している車の陰で前方が見えないし、一旦止まってから走り出す速さで考えると、対向車が来るまでに、路上駐車の車を越えてしまうことができないという結論にいたり、そこで立ち往生して待っていることになったのでした。

しかし、後ろから来てすいすいと追い越していく自転車というのは、遠くからそれができると計算して走ってきて、実際にできているわけです。
それは、私の1、5~2倍くらいの速さで走っているようです。

また、この場合、対向車からも自転車が走ってくる姿が確認されるので、自動車のほうが待ってくれる可能性も高いです。
私のように、駐車している車の陰から首だけ出して確認しているのでは、対向車からも見えません。

だから、私も同じようにすればいのでした。

とは言え、やはりスピードを出すのは怖いものですね。

今日も、横道から突然自転車がとび出てきて、危なかったです。
そんなとき、すぐに止まれるように、いつも比較的ゆっくり走っています。



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存在理由と存在価値

2005-12-14 00:57:30 | 未分類過去
Def Tech が、朝テレビに出て言っていたんですが、自分のために作った曲はすぐにいやになってしまうけれど、人のために作った曲はそうではないと言っていました。
人のためを思って作るといい歌ができるということです。

それならば、文を書くということもそうかな、などと思いました。
しかし、人のためになる、人の役に立つ、人を喜ばす、人を幸せにさせる、人を元気づける、文章ってのは、いったいどんなことを書いたらいいものかなと思います。

それと、今日、テレビを見ていたら、ブランドの高価なバッグを売って現金に換える人たちを取材していましたが、
その中の一人の女性が自分の撮った写真の写真集を出版しようとしている人でした。
その人が言うのに、「生きるために写真をとる(収入を得るために適当な写真を撮るの意)ようにはなりたくない。写真をとるために自分は生きている(写真を撮ることが自分の存在理由)という生き方をしたい」とか言ってました。

うん、それは同感できると思いました。
私も、「文を書くために生きています」などと言ってみたいです。

ところで、気軽にそんなことを言っていたら、ばちが当たりそうです。

「1リットルの涙」は辛いです。
やりきれない気持ちです。
特効薬があって、それを飲んだらどんどん動けるようになって、元通りの元気で活発な彼女にもどれたら、どんなにかすばらしい未来があるだろうにと思いました。
だんだん機能が失われ、自分にできることがなくなっていき、絶望していく彼女に最後までできたことは、文を書くことだったのですね。
言葉によって自分の心を伝えることだったのでしょう。
それが、人間として生きている意味です。
彼女は普通の人が誰も気がつかないことに気がついたり、生きることの意味や、命について考え、それを世の中の人に伝えたのですね。

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