山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

叔母からの電話

2005-12-21 22:57:26 | 未分類過去
昨日の朝、喪中欠礼を投函したばかりなのに、もう届いたようです。
ご無沙汰している他県の叔母から今夜電話をいただきました。
この叔母は父の妹であり、数年前までは私の実家と同じ市内に住んでいたのですが、叔父の体調が悪いこともあり、子どもと同居するために他の場所に引っ越してしまいました。
それから、全然連絡をとっていませんでした。

今年の正月に実家に帰ったときに、叔母からの年賀状を見かけ、住所を控えてきて、しばらくぶりに賀状を送ったのですが、あまりにも送るのが遅過ぎたようで、返事はきませんでした。
今年は喪中になってしまい、どうしようか迷いましたが、喪中欠礼を出してみました。

この叔母の家族とは、子どものころは本当に親しく付き合っていて、しょっちゅう行き来したり、いろいろなところに連れて行ってもらったりしました。
今思うと、すごくお世話になったなあと思います。

叔母もそんなことを思い出して、電話をくれたんじゃないかと思います。
お互いに、近況報告をし合いました。

叔母夫婦は住み慣れた市内にずっと住んでいたかったそうですが、子どもが親元に来ようと思っても仕事がないので、結局は親が子どもの近くに引っ越すことになったのだそうで、今は叔父の具合もよく、楽しく暮らしているから、遊びにおいでとのことでした。
昔と変わらないおばさんで、まるで時が戻ったようでした。

小学生の高学年の頃、この叔母の家に泊まりにいったときに、ナイロンのフリフリのネグリジェを着せてもらってびっくりしたことがあります。ピンクがいい?それとも水色?などと選ぶこともできました。なんだかお姫様になったような気分でした。
うちの母親というのは絶対に吸質性のある木綿のパジャマしか着せてくれない人でした。
ナイロンのネグリジェなどというものは、吸湿性が悪い上に、裾がめくれ上がってしまうから、そんなものは絶対にだめだという人でした。

母は、一事が万事そういう考えですから、暮らしの中に遊びがありませんでした。

しかし、叔母はそうではありませんでした。そして、叔父は、自分の勤務先に関連したスケート場やプールや遊園地に、叔父の子どもと一緒によく連れて行って楽しませてくれました。

あのころは、おもしろかったです。

叔母の家族は、月に何回かは我が家にやってくるんですが、夜ふいにやってきて、まるで家族のように入ってきます。昔は玄関の鍵なんか開けっ放しで自由に出入できたもので、叔母たちは声もかけないで上がってきて、こっちは居間のドアが開いて人が入ってくるのを見て、驚きもせず、ああ来たの?と言う感じでした。
そして、ある程度の時間になると引き上げていきます。帰るときも、うちの家族は立ち上がりもせず、見送ったりもしない状況で、叔母たちは勝手に部屋から出ていくのでした。
大人たちが居間でしゃべっている間、私と従兄妹たちは2階に上がって、押入れや箪笥の中などに入ってかくれんぼをするのが楽しみでした。

あれから、すごい年月がたってしまったものです。
いま、そんな楽しい親戚付き合いもない我が家の子どもたちのことを思うと、昔は人のつながりが豊かだったなあと思います。

コメント

ペンネーム決定

2005-12-21 00:12:03 | 未分類過去
今、風呂に入っていてひらめいたんですが、

山本飛鳥

これでいいや

山のもとを飛ぶ鳥

いいです。

これにします。


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