山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

秘密主義

2005-12-15 23:59:13 | 未分類過去
例えば、このブログとか、知らない人が集まる座談会とか、そういうところでは自分が、どういうことを目指し、何をしたい人間なのかということが、平気で開示できるのに、それが、身近な親しい人間であると、返って言えないことがある。

放送大学に通っていることさえ、夫と子どもくらいしか知らない。もう5年もたつのだが、実の姉や実家の母にも言ってなかったので、最近のある日の行動について話したときに、放送大学の学習センターに行っていたという話をしたら、それは何だ、なんでそんなところに通うんだと不審がられてしまった。

もともと、高校時代に4年制の大学に行きたいという私と、反対する家族とで確執があったのだが、そのときの執念が、私の中では今でも続いているわけである。今さら家族に大学に通っているなどとは言いたくない。もう親にも関係ないことだから、勝手に行くんだと思っている。

近所の友人にも言わない。勉強が嫌いだったなどと言っている友人に向って、好きで勉強しているなんてことを言ったら、敬遠されそうである。
だから、電話したけど留守だったなどと言われても、放送大学に行っていたなどということは言わず、買い物かなんかに行っていたことにしている。

会社のパート仲間にも言わない。会社の仲間はほとんどが大卒である。私が短大であることを知っている人が多いが、今ごろになって大学生をしているなんてことは、返って自分の教養なり能力なりが不足していることを証明し、あがいているように見えそうな気がする。

これらの人たちにどうせ知られるなら、今ではなくて、後になって、学歴の話題が出たときに、一応放送大学なら卒業してるんだけどね、と涼しい顔で行ってみたい。

しかし、この間、あるセミナーに出たときに、講師の方から「このセミナーに通っていることを誰にも知らせていない人はいますか?」ときかれて「はい」と答えた。
すると、「自分が勉強していることは、どんどん身近な人や新しく知り合った人などに言ったほうがいいですよ」と言われた。
そのことによって、人脈ができたり、有益な情報が入ってきたりして、仕事や収入につながることも多いそうだ。

そうなのか。これからは自分を隠すのはやめたほうがいいかもしれない。



後味の悪い自己開示

2005-12-15 21:12:49 | 未分類過去
自己開示しすぎて後味が悪いことってありませんか?

私の場合、子どものころや若いころは、人と討論や座談会などしたときに、自分が控えめすぎて、意見などを全然言えないまま終わったということが多かったのですが、中年のおばさんになってからは、遠慮がなくなって、思ったことや自分が伝えたいと思うことを、ひるまず言ってしまうことが多いです。

それで、後になって、「あの時、聞く人がうんざりしたような顔をしていたな」とか、「よけいなことは、聞きたくなかったんだな」とか、「本当に聞きたかったことは、もっと別のことだったのに、こっちが話したいことを話してしまったな」と反省することも多いです。

重要だと思っている点が、話す自分と聞く相手とで違っているというときにも多くあることですね。

それで、自分本位に話しすぎてしまったときに、すごくいやな気持ちが残って後悔の念にとらわれ、どうしてもっと奥ゆかしく控えめな人間になれないのかなあと思ってしまいます。

しかし、それはやはり自分が伝えたかったことなんだし、昔のように何も言えないで終わったら、それはそれで、すっきりしない気持ちを残すだろうと思うのです。
だから、相手にとっては余計な情報だったかもしれないけれど、そのことによって、相手が何かを感じたり思ったりしてくれれば、それもひとつの目的達成といえるかもしれません。

それにしても、自分自身の良きイメージはなくなるだろうな、などと思います。
やはり、静かにしているほうが、賢い人間かもしれません。

本当に人が必要とする情報を的確に簡潔に話すことができたらいいですね。

今日は、モニターとして座談会に出てきたんですが、自己紹介の折などに、聞かれてもいない余計なことまで自分本位にしゃべり過ぎちゃったなあと、いやな後味を残してしまいました。