山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

幅員の広い一方通行道路

2005-12-13 23:59:30 | 未分類過去
いつも、朝自転車で走っていく道で、幅員の広い一方通行道路があります。これが困るんです。
私の自転車は一方通行とは逆方向に進んで行くのですが、前方からこっちに進んで来た車が、その進行方向からみて道路の右端に車を駐車してあるんです。その辺はコンビニなどの商店が何軒かあって、そこに荷おろしするトラックなどもあります。たしかにそのように駐車すれば、そこを通る他の車の邪魔にはなりません。
その道は、一方通行であって、幅員があるということで、余計に路上駐車が多いのだと思います。

しかし、それは、私が自転車で左側通行していくところをふさぐ形になってしまうのです。ですから、それをよけて車道の真ん中に出て進んで行かなければならないのですが、前方から次々に車が来るために、なかなか進めないで、トラックの陰から首を伸ばして様子を伺うようなことを繰りかえすはめになります。
やはり、前方から来る車が本来の進行車線ですから、それが通り過ぎるのを待つのがルールだと思うのです。

ところで、私が前方から来る車が通り過ぎるのを待つために、駐車しているトラックの前などで一時停止しているところに、後ろから来た若い男子学生の自転車などは、止まる気配もなくどんどん進んで行きます。そうすると、前方の車も速度を弱めたり止まったりして、自転車に道を譲るしかなくなります。

そんなときに限って、後ろから自転車が3台も4台も続いて来ては、私を抜かして進んできます。私はいったい何のために止まっていたのかと思うわけです。停止状態から自転車を動かすのは間がいるし、停車中の車の前から横に出て左前方に進むのはスイスイとはいかないので、数台の自転車が通り過ぎて、そのあとに続いて出ると、もっと対向車を待たせることになってしまいます。本当に対向車のことを考えて待っていた意味はありません。そして、まったく無駄な停止時間だったわけです。

最初から止まらないで強引に行けばよかったです。しかし、あるとき若者の真似をしてみたら、対向車もどんどん進んできて停車している車との間にまったくすり抜ける空間もなく、私が下がるか対向車が下がるかしなければどうにもならないので、自転車から降りて引き返す羽目になりました。「このばばあ、何やってんだ」って感じです。

やはり、反射神経が鈍いんでしょうかね。若い人はそれはもう、車の間をすり抜けるように止まらずに上手に進んで行きますね。最初から右側通行している人もいます。右端を通ると対向車が来ても大丈夫だったりするのです。

しかし、たまにそのまねをしたりすると、前方から普通に左側通行している自転車が来たりして、今度は自転車同士が正面衝突しそうになってしまい、悪いのはこっちですから、やはりそれもできません。

とにかく、路上駐車は迷惑で、毎日苦労しています。

大患難のとき

2005-12-13 20:23:16 | 未分類過去
ちかごろ、本当にいやな世の中になってきました。
立て続けに、小さい子どもが殺されたりして、世間がどんどん悪に染まっていくような気がします。人々は、道徳心も愛もなくして、自分の欲望と憎悪に支配されているようです。
その自己中心的な残酷さに、不気味な異常を感じます。

私は、何年か前に、聖書の勉強をしていたことがあります。一般に「エホバの証人」といわれている人たちから、聖書の解釈を教わっていたのです。聖書は神の霊感を受けてかかれたものであるから、人間の取り扱い説明書のようなもので、聖書に守るようにと書かれていることに従って生きていけば、人間は幸福になれるが、人間の意志によって人間の思うように生きていたら、絶対に平和も訪れないとのことです。
しかし、その人たちの言う「神の教えに従順に従う生活」というのは、私にはどうしてもできませんでした。例えば、輸血拒否や偶像崇拝を徹底的にさけることなどもそうです。
だから、やめたのですが、世界は今や、人間の勝手な振る舞いによって聖書で預言されているというとおりになっているような気がして怖いです。

世の中なんてものは、どの時代も物騒なことがあるのかも知れませんが、それにしても最近はいやな感じがします。

エホバの証人による聖書の解釈によると、1914年以降、イエスキリストによって天は清められたが、サタンが地に落とされ、地上で猛威を振るっているため、地球上は戦争などの悪が満ちはじめ、様々な災いが起きている。
・疫病や地震などが次々に起こる。
そういえば、世界はエイズ・サーズ、そして鳥インフルエンザなど新種の疫病の脅威にさらされているし、近頃は日本や他の国でも地震が多く、津波などもあって、多くの人が犠牲になっています。
・戦争や紛争も起きるとのこと。
確かに、世界大戦は終わったものの、地球に戦争はなくならず、テロの恐怖にもおびえています。政治と宗教の関係の問題は大きくなるばかりです。啓示の書では、政治と宗教を野獣と娼婦に喩えているようです。

深刻なのはそれだけではなく、サタンの影響が満ち溢れた地球は、最後には神によって滅ぼされ、悪が終わり、神に従うものだけによる地上の楽園が始まるとされているが、その前に大患難がおとずれる。
そこでは、自然の情愛をもてない人間や欲望に身を任せる人間が氾濫し、その犠牲となるのが、まずは幼い子どもたちだとのこと。
・子どもにとって大患難が来ると預言されている。

日本では、親から虐待される子ども、変質者に狙われるこどもなど、犠牲になる子どもが多い世の中ですし、また、子ども自身が精神的に異常に育ってしまうこともあります。

私は、聖書の預言があたっているとしても、神にゆだねるのではなく、人間の力でどうにかしたいと考えます。
こうなったら、世間の大人がみんなで子どもを守らなければいけないと思うし、社会がこんなにならないように、世の中の仕組みや価値観も変えていかなければならないのではないでしょうか。

日本の道徳が堕落し、陰気な犯罪が増えたこと、勝ち組だの負け組みだのが出てきて、人の心や命が尊重されなくなってきたのは、アメリカの影響があると思います。日本はアメリカの後を追っているので、アメリカの悪い部分が必ず数年後に日本社会にも出てきます。

もっと、原点に戻って、人間にとって何が大切なことなのか考え直さないといけないと思います。

(聖書の内容については、記憶も古く、うろ覚えなので正確ではないと思いますが、調べなおす暇がないので、記憶の部分だけで書きました。)

2項道路

2005-12-13 00:32:36 | 未分類過去
仕事の帰りに、自転車を走らせて帰ってくる道路が、狭くて車がすれ違うことができない道路なんで、そのまま進むと対向車と正面衝突にいたる車が、よけたりバックしてきたりして、それにあわせて私の自転車も他人の敷地に乗り上げて車をよけたり、バックしてくる車にぶつけられないように、必死にバックして逃げたりなどしています。

この道路は、幹線道路から幹線道路に抜けられる道であり、最初の何百メートルかは広いのですが、途中の一部分の区間だけ幅員が狭くなり、しかも幅が出っ張ったりへっこんだりでこぼこしています。
「あったまくるな、これ、2項道路じゃん!」と不動産会社に勤めていたときの知識を思い出しました。
2項道路とは、建築基準法で住宅敷地に面した道路の幅員が4メートルなきゃいけないところ、それに足りていない道路のことです。(42条2項に記載されている道路)
新しく建築するためには、家の前の道路を4メートル確保するためにセットバックしなければいけません。多くは、既設の道路の中心線から振り分けて2メートルのところまで下がって4メートルを確保することになります。
細かいところを言うと、不動産屋はどのように下がるかを役所に行って、調べてくるのであり、道路境界図や隣地や向かいなど最近建てなおした近隣の家の建築概要書など取得して調査してきます。中にはすでに反対側が後退していたり、墓地や斜面・川だったりすると、一方後退ということもあります。

ところで、私が通っている道は、幅員のでこぼこが60センチ以上あるような気がするのです。60センチも出っ張っている家が交互にあるというかんじです。そして車1台が通るのがやっとのところがあります。

ということは、もともと1間半道路だったのかなあ?
2、7メートルしかなければ、1、3メートル不足ですから、65センチずつ下がらなければいけない計算です。
しかし、下がっていない家が道路の両側にたくさんあるので、悲惨なことになっています。
車はセットバックしている家の前まで移動して、すれ違わなければならないんです。

この道路に接して建っている新しいアパートがあるんですが、そのアパートはまだ下がっていません。新しいのにおかしいなあと思いますが、完全に建てなおしたのではなく、柱を一本くらいのこして、リフォームしたのでしょう。よくよく見ると、ちょうどセットバックするべき位置のところまで部屋があります。しかし、ひさしは土地ぎりぎりまで出ていて、洗濯物干しも出っ張っています。その周りには頑丈なコンクリートの塀が張り巡らされています。いざとなったら、建物は壊さなくてもセットバックできるように作られているようですが、周囲の家が全部セットバックするまでは、自分のところも下がるまいと頑張っているようです。
隣はさがっているので、この分が、道路に解放されていたら、どんなにか楽にすれ違えるのにと思います。

土地が狭くなっちゃうのはかわいそうですが、早く安全にスムーズに走れる道路になって欲しいものです。