山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

ローズマリーにおまかせ

2005-12-24 11:38:08 | 未分類過去
先日、たまたまNHKを回したらグッチ裕三さんが料理を紹介していました。
それが、「ローズマリーにおまかせ」という料理ですが、とても簡単で、きのう記憶していたやり方で真似してみたら、すごくおいしくできました。
写真にとって載せたかったのですが、できずに残念です。そのうちできるようにしたいです。

作り方は、
天板の上に生のローズマリーを並べ、その上に豚バラブロック肉(4~5cm角×15cmを2本くらい)をのせます。この肉はあらかじめ周りにしっかりとたくさん塩とコショーをつけておきます。多すぎるくらいの気持ちで大丈夫です。そして肉の上にもローズマリーをのせます。その上にオリーブオイルをかけます。肉の周りにトマトをまるごと置いて、トマトの上にもオリーブオイルをかけます。
そして、これをあらかじめ予熱した250度のオーブンで30分焼きます。

パーティー料理に持ってこいですね。
まったく手間がいらないし、材料費も1000円くらいでできました。
昨日はまちがえて、豚肩ロースのブロックを買ってしまったのですが、クリスマスのバーゲンで100g当たり99円、1パック633g入りで626円でした。バラ肉よりも油が少ないのですが、おいしかったです。
ローズマリーなんていうものは初めて使ったのですが、1パック158円で10本くらい入っていて充分でした。トマトは小ぶりのが5個で298円でした。
ローズマリーは今度ベランダで栽培しておこうと思います。そうすれば買わなくてすみます。

最近、豚肉がけっこう気に入っています。狂牛病の恐れもないですし、安いです。
塩と胡椒で野菜と一緒に炒めるだけでもすばやくおいしい料理ができますね。


クリスマスとエホバの証人

2005-12-24 01:01:24 | 未分類過去
クリスマスです。
巷では、クリスマスプレゼントの話題が盛んで、今年は景気が回復傾向でもあり、プレゼントの平均金額も上昇しているとのことです。

うちは、クリスマスプレゼントというのは、ほとんどしたことがありません。
もともと夫と私はそういうことを丁寧にする家庭には育っていないので、お互いにプレゼントが欲しいとは思わず、ほしいものは自分で勝手に欲しいときに買っています。

それから、子どもにプレゼントというのも、小さいころはしたことがあったようですが、うちの子がサンタを信じていたとか、何かを願って期待していたという記憶は無く、そのうち友人などとプレゼント交換などするようになると、親からはもういいだろうと思い、ついにいつしか何もしなくなったように思います。

そしてさらに、私がクリスマスプレゼントに熱心でないのは、子どもが小さいときに、エホバの証人から聖書の解釈を教わっていた影響もあります。
私は過去も現在も、そのやり方を強制されるようなことは無く、自ら進んで厳密に従おうとしていたわけでもありませんが、確かに影響は受けていたと思います。

エホバの証人は聖書を元にイエスキリストを信仰する人たちですから、クリスチャンであるわけですが、一般のキリスト教とは違い、むしろ一般のキリスト教を偽りの宗教と見ています。
クリスマスは一般にはイエスキリストの誕生日とされて祝われていますが、実際に聖書の記述を解析すると、イエスが生まれたのは羊飼いが外にいた季節なので10月ころだったと考えられるそうです。
ですから、12月24日はキリストの誕生日ではなく、関係ない冬の祭りをイエスの誕生とうまく合体させたと考えられるようです。
エホバの証人は聖書に厳密に従い、人間の勝手な行動を否定するので、クリスマスのお祭り騒ぎにも当然否定的です。

それから、もうひとつの要素として、エホバの証人は誕生日のパーテイーには否定的です。昔、誕生日を祝ったヘロデ王が、パーティーで気に入ったひとりの娘の願いを聞いてヨハネの首を持ってくるように命令し、それが実行されたという話が聖書に載っているからだったと思います。

また、イエスキリストは、自分の死を記念するようにと弟子たちに伝えたのであり、誕生日を祝えとは言っていないそうです。
赤ちゃんのイエスが誕生したことよりも、人間の罪を購うために犠牲となった成人したイエスの行いに価値があると考えるからでしょう。

だから、クリスマスは嘘の塊で塗りこめられた人間が勝手に行なっている祭りであると解釈されています。

私の今の考えでは、確かにそうかもしれないと思いますが、クリスマスというこの華やかなお祭りは、寒い冬の景気付けで、人間に元気と夢を与えるので、それはそれでいいことではないかと思っています。

今まで、家族の誕生日もクリスマスもまともに祝ったことがなく、プレゼントなどもほとんどしたことがありませんでした。
しかし、ある知人からは、人生や生活の節目節目で、しっかり祝ってあげることが大切と言われました。子どもなどはやはりそういうことをよく覚えていて、自分が愛され尊重されていることを自覚できるのだそうです。そして、人を思いやったり、人に幸せを与えたりすることを身につけることができるのかもしれません。

うちの場合、あまりにもメリハリのない、ワクワクしない誕生日やクリスマスだったなあとも思います。

祝いの催しが、傲慢や贅沢に結びつかないように注意し、お互いに幸せを与えあうこととになるなら、それはいいことなのではないかと思います。
ことしは子どもにささやかなプレゼントでもしようかと思っていましたが、まだ用意していません。

(その他の聖書に関するこのブログの中の記事、12/13「大患難のとき」