ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

06/12/25 十二月大歌舞伎夜の部③海老蔵初役の「紅葉狩」

2007-02-03 23:57:24 | 観劇

また間が開いてしまったが、十二月大歌舞伎夜の部の思い出し記の最後を書く。
3.『新歌舞伎十八番の内 紅葉狩(もみじがり)』
「紅葉狩」でも新歌舞伎十八番の方は初見。同じような内容の「鬼揃紅葉狩」は昨年の秀山祭で観た。
昨年9月秀山祭の「鬼揃紅葉狩」の感想はこちら
今回の配役は以下の通り。
更科姫実は戸隠山の鬼女=海老蔵 平維茂=松緑
腰元岩橋=亀蔵 局田毎=門之助
侍女野菊=市川ぼたん
従者左源太=亀三郎 従者右源太=市蔵
山神=尾上右近
「鬼揃紅葉狩」と大きく異なるのは以下の点である。
①まず舞台が松羽目物のようではなく、紅葉の下がり物が舞台前面にあって、松の大木までが舞台中央の大道具としてある。だから鬼女は最後にその松の木の上で決まって幕となる。
②更科姫の酒宴でまどろんでしまった維茂のもとに現れて、更科姫が実は人食い鬼であると警告してくれるのはひとりの山神だということ。
③やがて鬼女の正体を顕して襲い掛かるのは更科姫ただひとりで、侍女たちは鬼にならないこと。

海老蔵の女方は「藤娘」が初見で今回が二回目。初役だという。登場すると客席から溜息。確かにビジュアルは完璧に美しい。懸念していた前半の姫の時の声で現実に引き戻される。やはり私の許容範囲を超えている。途中で鬼の片鱗をみせるところもメリハリはあるのだが、どうみても鬼女ではない。男の鬼的な猛々しさがすでに見えてしまう。着物の裾が大きく開くような足さばきはこれはいいのかとちょっと疑問に思ってしまうほどだった。後半の鬼の場面はもうすごい迫力。荒れ狂う‘鬼’そのもの。周りを侍女たちの鬼女も従えていないから余計に一匹の‘鬼’と維茂の対決になってしまった。パリ公演に出すようだが、まぁ鬼女と鬼の違いなんて気にする観客はあまりいないだろうし、このメリハリは受けること間違いないだろう。
松緑は昼の「将門」でしっかりと存在感を確認できていたが、維茂も初役でつとめて好演。決して二枚目でなく武者絵のような顔がこういう役の時はとても映える。身体の動きも美しい。海老蔵とのバランスもよかった。これからもこういう役をもっと極めていただきたいと思った。
侍女野菊は海老蔵の妹の市川ぼたんがつとめたのだが、大人の女性が歌舞伎座の舞台に立つことは珍しい。パリ公演にもきっと一緒に出るのだろう。舞踊の市川流の方でぼたんを襲名されたということで、とても端正な舞だった。ただ周りの男性に並ぶと女性の身体はやはり華奢なんだなぁとあらためて感じた。
山神は演じる役者によっては翁にすることもあるらしい。今回は尾上右近で若い山神。六代目菊五郎の血を引くという右近は菊五郎の部屋子になって精進しているという。本当にきびきびしていてこれからが楽しみだった。
三枚目の腰元岩橋の亀蔵を観て、昼の「嫗山姥」で兄の市蔵が見せた三枚目の腰元も思い出してなかなか面白い配役をするものだと感心。なかなかよかった。

新歌舞伎十八番は市川家の「家の芸」なので海老蔵も繰り返しつとめていくだろう。頑張って女方の声の安定的な発声を身につけてもらいたい。あんまり目をむきすぎずに身体の動きももう少し研究してほしい。
この間、1月に新刊で出た文春文庫版の関容子さんの「海老蔵そして團十郎」を読んだ。戦後ブームになった海老さまから市川家の三代を見守り続けた関容子さんの文章はあたたかかった。海老さまに姿だけでなく気質もよく似た孫の当代の海老蔵も研究熱心だということがわかったので、これからの彼の精進ぶりを私もしっかりと見守っていく気になっている。

写真はこの日に3階で食べた「めでたい焼」。なんと私が最後の一個だった。時間がなくて中のお餅の紅白の色まで確認できなかったのを後から気づいて後悔した。
関連の感想記事はこちらですm(_ _)m
12/10昼の部①「嫗山姥」
12/10昼の部②「将門」
12/10昼の部③「芝浜革財布」「勢獅子」
12/25夜の部①「神霊矢口渡」
12/25夜の部②菊五郎の「出刃打お玉」