ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

07/02/11 アヌイ×蜷川×松の「ひばり」

2007-02-11 22:15:46 | 観劇

ジャンヌ・ダルクのお話は子どもの頃の少年少女版で読んだのと、リュック・ベンソン監督の映画を観た。ミラ・ジョボビッチのジャンヌがとても気に入っている。
ジャン・アヌイの「ひばり」というと劇団四季で野村玲子主演のチラシが頭をよぎるが未見。ジロドゥとアヌイという劇団四季が大事にしてきた作品は実は両方まだ観たことがない。フランスもの=ウィット・ユーモア・エスプリがきいた洒落た作品という先入観が邪魔をした。チラシも松たか子の写真が大きすぎて気に入らない(ジャンヌがこんな髪型のはずがないし、松たか子を前面に出せばいいと思っているのか~と反発)。しかし蜷川幸雄が演出するならばとようやく未踏の世界に踏み出す決心をした。

よく知られたジャンヌ・ダルクの物語をジャンヌの異端審問の法廷での再現劇としてすすめていく。ギリギリに着席すると四角い舞台の上では役者たちが大勢登場して動いたり着替えたりしていて準備中の雰囲気。そうしてウォーリック伯爵がなかなかすすまない法廷にかみつくところからスタート。裁判の傍聴席が四方を取り囲むリングのような法廷が舞台。左右と奥の三方を劇中の傍聴席、手前の客席も傍聴席となって私たちも裁判の進行を見守っていくのだ。
益岡徹の聖母教会の司教コーションが法廷での審問を続ける。神の声を聞いたと信じているジャンヌがそれを悔い改めなければ、教会を守るために異端者として火刑にしなければならない。ジャンヌを目の前にして彼女の純真さにふれてどうにかして教会に従わせて命を救いたいという立場で説得するように審問する。益岡徹の舞台は初見だがこの役はぴったりだったと思った。
ウォーリック伯爵の橋本さとしは「ベガーズオペラ」で教養のある乞食戯作者の演技が目に焼きついているが、紫色の衣装の裾を翻し、ピンクの薔薇をもてあそびながら尊大な貴族をカッコよく演じてくれて○。
このふたりが対峙する場面など背も高くて見栄えがするのも嬉しい。

ジャンヌが子ども時代のことに回答すると両親の二瓶鮫一・稲葉良子らが出てきてジャンヌとやりとりするという風に舞台はすすむ。親たちは娘のいうことを信じずになぐったり嘆いたり...。それを説得し、塾一久の近くの軍隊の隊長を説得し、ようやくシノンにいる王太子シャルルとの謁見までこぎつける。シャルルは周囲の貴族たちにも心を許せず、自分を守るために馬鹿なふりをしている小心者。山崎一の小柄で痩せて目ばかりが大きい容姿をうまく活かしてコミカルなキャラクターになっていた。
そのシャルルの説得の場面が一幕目のクライマックス。ジャンヌは相手を持ち上げてその気にさせて多くの人を説得するという「人たらし」の術にたけた人物として描かれていた。これは予想外で新鮮。「人たらし」の場面がコミカルでこれがフランス劇のよさなのかもしれないと思い当たる。
松たか子はチラシにあった長い髪をバッサリ切って、少年のような髪型で登場してくれてまず安心。子どもの頃から聞こえてきた神の声と何度もやりとりしている時の遠くを見る目はきらきら光っている。その声に抗い続けながらもついに立ち上がる強さ、それも恐怖や不安を抱きながらも振り切っていく心の強さを凛として表現する。ジャンヌの声と神の啓示の声の低音の使い分けも頑張っていた。このタイトルロールは今の彼女にはまさにハマリ役といえる。当たり役になると思った。長く再演されていく時に芸の力でこの少女の役を演じ続けられるかどうかが問われてくるだろう。

二幕目の審問は戦いの勝利やランスでのシャルルの戴冠の頃をすっとばし、捕まるあたりから。
異端審問官の壤晴彦との審問のやりとりの緊迫感も見事だった。そしてこのやりとりの中で「人間観」が問われていたのが興味深かった。教会は原罪思想から人間を罪深い存在として捉えるので教会で正しく指導を受けなければならないとする。ジャンヌが人間には素晴らしい面もあると主張することがもう異端だとされるのだ。最後にいったん受け入れた異端信仰を悔い改める誓書への同意をとりさげることを決意する場面にもその考え方が貫かれた。神の声が聞こえなくなっていたことに苦しんでいたジャンヌは「神の声がきこえない時は神は人間を信頼されているのだ」と確信をもって自分の生き方を否定したことを覆す。「人間の尊厳」を高らかにうたうこの基調はジャン・アヌイの主張のようで、この戯曲のよさをかみしめた。
それと最後は火あぶりのシーンのままで終わるのかと思ったら、さにあらず。火刑台も何もかも取り払われて、ランスの大聖堂でのシャルルの戴冠式の場面で絵のように決まって終わる。ジャンヌの幸せの絶頂を再現しての幕切れ。こういうのは洒落ていて観終わった感じが暗くなくていい。

王太子の家族の女性たちもなかなかよかった。王妃が月影瞳、愛人が小島聖、王妃の母の王太后が阪上和子。特に小島聖が色っぽさ全開。この愛人は王太后が選んで婿に与えたのだというから後宮による男の操縦のおそろしさというのもドラマに奥行きを加えていたと思った。
いつもの蜷川作品へのベテラン出演者に加え、今回はさいたま芸術劇場で養成コースができて話題になっていたゴールドシアターのメンバーも傍聴席で出演していたのだという。人生経験の豊かなメンバーに囲まれての稽古場はいつにもまして熱かったそうだ。
プログラムで「俺なんかまだまだだな、じゃあ年に11本やって勉強していいんだ」などと書いてあって、蜷川幸雄氏のハイペースな仕事ぶりにまた唸ってしまった。70歳を超えてこのパワー!この熱さをなるべく追っかけていきたいという想いがつのった。

写真は公式サイトより今回の公演のチラシ画像。