ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

07/02/01 こまつ座「私はだれでしょう」で感動!

2007-02-10 23:59:09 | 観劇
このところ井上ひさしの新作はなるべく観るようにしている私。こまつ座第81回公演『私はだれでしょう』は速報チラシの時からチェックしていた。職場で声をかけて2/1に9人で観劇会を開催。その日の速報はこちら
配役は以下の通り。
川北京子=浅野ゆう子(初参加)
山本三枝子=梅沢昌代
脇村圭子=前田亜季
佐久間岩雄=大鷹明良
高梨勝介=北村有起哉
山田太郎?(記憶喪失の男)=川平慈英(初参加)
フランク馬場=佐々木蔵之介(初参加)
ピアノ奏者=朴勝哲
あらすじは以下の通り。
1946年7月から47年11月までの1年5ヶ月間の日本放送協会(NHK)の東京放送会館2階の1室におこるドラマ。東京放送会館はCIE(民間情報教育局)などの3つの部門や外国の通信社も入れるために建物の上半分を占領軍に接収された。NHK自体は倉庫や廊下もベニヤ板で仕切って事務室をたくさんつくってしのいでおり、その中の一つが舞台となっている。
戦時中は第一線で活躍するアナウンサーだった川北京子は、現在は脚本班分室長として「尋ね人の時間」を担当。戦争で分かれ分かれになってしまった家族や知人を捜し求める情報を放送する。全国各地から取り上げて欲しいと届く手紙を室員で手分けをして目を通し、読み上げる放送用の原稿をつくって1日15分の放送にのせる。聴取率が90%を超える国民になくてはならない番組になっていた。ところがそういう番組にも検閲が入る。同じ部屋の隅にいる放送用語調査室主任の佐久間岩雄は上部が通さないだろう放送用語をチェック。口をはさんでは川北分室員の山本三枝子の怒りをかっている。若い分室員の脇村圭子はしっかり者でキビキビとよく働いている。日本放送協会従業員組合書記の若い高梨勝介は組合費の徴収といいながら分室によくなごみにきている。
「尋ね人の時間」の放送のために再会がかなった人々のお礼状はメンバーに自分たちの仕事への確信をもたせてくれる。CIEの担当者が若い日系二世の軍人フランク馬場に替わった。幼少時代を長く日本で暮らした彼は日本語がペラペラ。分室のメンバーたちの仕事のよき理解者となった。
そこに現れた山田太郎という名前の縫い付けを胸につけた男。記憶喪失のようで「私はだれでしょう」という苦しみをぶつける。それを放送にのせたら息子だという連絡がすぐにきて喜んで家族のもとにかけつける。
何ヶ月かたつと山田太郎は舞い戻ってくる。家族のふりをして迎え入れて利用されたのだという。そしてまた別の家族を名乗る人があらわれ、かけつけて何ヶ月かしてまただまされた、本当の自分は誰なんだと舞い戻るを繰り返す。
戦後すぐのGHQは日本の民主化をすすめるために労働組合活動を奨励。高梨勝介も不眠不休で働くが、対日政策の変更でマッカーサーの2.1ゼネスト中止命令以降、労働運動は急速におさえこまれていく。
番組が高い支持率を維持する中で、川北京子はつのらせていた思いを強行しようとする。広島や長崎の原爆禍にあった人たちの投書をとりあげようというのだ。そもそも彼女がこの仕事を始めたきっかけには、特攻作戦を批判して自決してしまった弟への想いがあった。その思いを実現するためにフランク馬場も上司のサインの偽造に加担してしまい、決行!
舞い戻った山田太郎はあるきっかけで記憶を取り戻す。陸軍中野学校を主席で卒業した諜報活動のエリートだった。ところがその道は軍人だった父から押しつけられたものだった。その屈折が悲しくおかしい。陸軍中野学校では「最後まで生き残って敵の様子を把握せよ」と教えられたといい、特攻隊の生き残りだった高梨は「お国のために死ね」と教えられたという。そして彼が組合に推薦されて送り込まれたのも実は労働運動を先鋭化させてたたきつぶすという陰謀に利用されたことをようやく自覚する高梨。皆に別れを告げて去り、放浪の末に百姓になってしまう。
とうとう京子とフランク馬場はGHQに逮捕される。米国籍を放棄して日本で育った村につくそうとしていたフランクは本国強制送還となり軍法会議で裁かれるという。そして残りのメンバーは京子を待つ......。

こう書くとかなり重たい話なのだが、井上ひさしはそれを面白く見せる。7人の役者の魅力を活かしきったあて書きの脚本をここまでしっかりと描ききるためには、初日を遅らせても仕方がなかったと思う。「箱根強羅ホテル」(感想はこちら)など新国立劇場での作品などは初日は間に合うがどうも最後が物足りなかったような印象がある。こまつ座公演だからできたことだろう。そこまでしてでも書きたかった井上ひさしの気持ちが伝わってきた舞台だった。

栗山民也の演出で初参加のキャストともども7人が素晴らしい舞台を見せてくれた。戦後すぐのラジオ放送の現場を舞台にして7人の人生がリアルに迫ってきた。
浅野ゆう子と佐々木蔵之介は美女とハンサムで背が高くてスリム。ふたりで並ぶとそれはそれは眼福もの。他の女性はもんぺ姿なのに浅野ゆう子だけスーツ姿で決めている。もんぺじゃ似合わないだろうし一応班長だから(笑)しかし、カッコいいのは容姿ばかりではなく、弟の想いも受け継ぎ、禁を犯す行動をとる生き様もカッコいいのだ。二重国籍のまま育った日本を愛し、京子に共感してアメリカを裏切る佐々木蔵之介の二人のデュエット「ぶつかっていくだけ」にはもう泣かされてしまった。初参加の二人にこんなにメッセージ性の高い歌をしっかり歌っていただいたことも嬉しかった。
♪「負けて石になってまた負けて石になって.....」「石がなければ城もできない」「勝つまで負け続けよう」♪みたいな歌をきくと負け続けることにも意味があるのかなぁと考えさせられた。私自身もいろいろと闘ってきたつもりの人間で、生きているうちには勝てないかもしれないけれど、それでもいいから後の時代の礎になれるかも?くらいに考えていかないとやっていけないかもしれない。そう思いながら聞いていて涙涙。

北村有起哉の熱い血の燃えたぎる労組書記はよかった。ところがそれを利用されていたことを自覚した時の暗い影にゾクっとした。劇団☆新感線の「メタルマクベス」や蜷川ギリシャ劇「オレステス」でも芝居の巧さに唸った。いろいろな舞台に出演して演技の幅が広くてこれからが楽しみで仕方がない若手である。若手ということでは前田亜季も好演。

初参加の川平慈英の怪演が最も印象に残っている。実はTVでサッカーの熱狂的応援者として出てくる彼は苦手だった。テンションが高すぎてうるさいし、あつくるしい。ミュージカルの舞台で一度観ていてその個性的な芝居には一応納得はできていたが、今回は見直した。記憶喪失部分の頼りなげな存在感と部分的に戻る記憶でテンションを上げる部分を瞬時に行ったりきたりするという難しい芝居をちゃんとこなしていてそれが楽しくせつなかったのだ。タップダンスを「貫太郎月夜」の歌に乗ってたっぷりと見せてくれたのはもう大感動もの。井上ひさしの台本は切れ切れに届くそうだが、川平慈英は一回目を読んだだけで泣いたという。自分のイメージにない素晴らしい台詞を自分のために書いてくれたことに感動したのだという。彼の新しい魅力を引き出した井上ひさしもすごい。私はサイドの二列目で観たので、汗も唾も飛ばしながらの彼の大熱演の洗礼を受けずにすんだのは助かったが(笑)

役者の心をつかむ台本を書くからこそ、ぎりぎりにしか完成しない作品による地獄が待っていようとも喜んで出演する役者がいるのだ。梅沢昌代、大鷹明良もそうだろう。こういうベテランが舞台に奥行きを出してくれていた。

朴勝哲のピアノ演奏にのって次々と繰り出された歌も本当によかった。聞いたことのある曲に井上ひさしの歌詞がのって、出演者が本当に楽しそうに歌う。これが井上ひさしの音楽劇の醍醐味だと思う。

5月には一昨年の「天保十二年のシェイクスピア」に続く井上ひさし×蜷川幸雄の第二弾「薮原検校」がシアターコクーンで上演される。そちらも楽しみになってきた~。

写真は公式サイトより今回の公演のチラシ画像。
ウェブ検索してみつけた読売新聞サイトの「河村常雄の劇場見聞録」の劇評が面白かったのでご紹介しておく(→こちらへ)。
他の井上ひさしの舞台の感想はこちら
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06/07/19東京裁判三部作完結「夢の痂(かさぶた)」