グルダは、1975年にミュンヘンから、オーストリアのしかもウィーンからそれほど遠くない ヴァイセンバッハ(Weißenbach) に引っ越す。グルダの根拠地変遷は以下の通りである。
細かな「市内の移転」はわからん。離婚問題がいろいろと絡んでいる、とは思う。私高本も同じ問題で引っ越し経験あるからなあ(爆
単純化すると、
となる。
1975年の「オーストリアへの帰還」は「ウィーンフィルとの共演録音の大成果に気を良くした」のが相当に大きな原因だった、と考えられる。「守旧的なウィーン」とあれほどまでに(口汚く)攻撃したオーストリアに9年ぶりに戻って来たことは、オーストリアのグルダファンにはとても好まれたことだろう。「これで、グルダが元のようにクラシックに戻って来てくれるかも!」の期待も含めて。
ある意味、グルダは期待に応えた、「ウィーンフィルからの連続録音を断られた」にも関わらず。「ジャズ」の録音を(3年の短期間ではあるが)断った。しかも「オーストリアの財産=モーツァルト」に集中的に取り組んでくれていた、協奏曲もソナタも。オーストリア国民も期待した「グルダのモーツァルトピアノソナタ全曲録音」は着々と進行するか? に見えたのだが、大きな壁が立ちはだかってしまったのである!
Where Friedrich GULDA live?
1930-1966 Vienna
1966-1968 Zurich
1968-1975 Munich
1975-2000 Weißenbach
細かな「市内の移転」はわからん。離婚問題がいろいろと絡んでいる、とは思う。私高本も同じ問題で引っ越し経験あるからなあ(爆
単純化すると、
オーストリア → スイス → 西ドイツ → オーストリア(全て当時の国名) にグルダは居住した
となる。
1975年の「オーストリアへの帰還」は「ウィーンフィルとの共演録音の大成果に気を良くした」のが相当に大きな原因だった、と考えられる。「守旧的なウィーン」とあれほどまでに(口汚く)攻撃したオーストリアに9年ぶりに戻って来たことは、オーストリアのグルダファンにはとても好まれたことだろう。「これで、グルダが元のようにクラシックに戻って来てくれるかも!」の期待も含めて。
ある意味、グルダは期待に応えた、「ウィーンフィルからの連続録音を断られた」にも関わらず。「ジャズ」の録音を(3年の短期間ではあるが)断った。しかも「オーストリアの財産=モーツァルト」に集中的に取り組んでくれていた、協奏曲もソナタも。オーストリア国民も期待した「グルダのモーツァルトピアノソナタ全曲録音」は着々と進行するか? に見えたのだが、大きな壁が立ちはだかってしまったのである!