Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

グルダは真実のみを語るのか?(No.1853)

2011-05-08 22:50:37 | 作曲家兼ピアニスト・グルダ(1930-2000)
MPS"Mozarrt complete recordinds" を検索すると、迷宮入りする。私高本も1度迷宮入りしたからなあ(爆
グルダも相当に迷ったようだ。ここで「意表のデータ」を出す。世界初!

Friedrich GULDA MPS recording staff member



  1. 1972.04, 1973.05 "J.S.Bach Das Wohltemperier Klavier" Producer=Hans Georg BRUNNER-SCHWER, Recording engineers=Willi FRUTH, Rolf DONNER, Piano tuning=BECKER


  2. 1978.10.12-15 "Message from G" Producer=Friedrich GULDA, Recording engineers=Reinhard HABERFELLNER, Ernst MACK



"Message from G" は(世界各国の)初プレス以外は再プレスされたことが無い「幻のLP」だから、1980年以降にグルダファンになった人は「中古LP」を買う以外に入手法は無い。なぜ、グルダともあろう大ピアニストの、しかも「生前のグルダ最大の自慢演奏会」ライブ録音(「グルダの真実」に自慢がたっぷり掲載されてます!)がこんなことになってしまったのか? その原因が「世界初公開」の上記のメンバー表である。

1978.10 "Message from G" では、原盤権がグルダに移り、録音技術者を一新してしまった


ことを意味する。これには、ブルンナー=シュヴェル は怒っていたことだろう。怒っていたから「プロデューサーを降りた」が順序のように思える。「何に」怒ったかと言えば、「モーツァルトピアノソナタ」をリリースさせなかった上に、録音スタッフ陣のやり方にグルダが口を出したことだろう。グルダは「オレ様の芸術的な音をMPSの連中は、収録することができない」と感じたからだ。1969年にMPSスタジオが出来た時には意気投合していた2人はいつの間にか、全く違う道を歩み始めていた。これは、グルダにとってもブルンナー=シュヴェルにとっても基盤を失う道だった。1969年には新婚気分が抜けきらなかったグルダは、1975年には既に当時の妻=ユーコ・グルダ と別れていた。誰も止める人がいなかったのだろう。

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