Piano Music Japan

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グルダは真実のみを語るのか?(No.1844)

2011-04-28 19:38:55 | 作曲家兼ピアニスト・グルダ(1930-2000)

グルダは1973.05、バッハ「平均律第2巻」全曲を録音


する。「第1巻」よりも「濃い」表情が印象的。『グルダの代表録音』の1つである。使用ピアノ = スタインウェイD。
 これは「大流行するハズ」とグルダもプロデューサーのブルンナー=シュヴェルも思っていたハズ。だが「amadeo のベートーヴェンソナタ全集」のような反響は起こらなかった。これが、グルダの大誤算だった!
 理由は大きく3つ考えられる。

  1. バッハ平均律は、ベートーヴェンソナタよりも「ピアノファン」から人気が無いこと


  2. バッハ平均律全2巻全48曲のピアノ録音が、グールド、リヒテル、グルダ と立て続けに3種類出たこと


  3. グルダ直近のバッハ録音=1965年の「イタリア協奏曲」とあまりに「音」が違ったこと



「1」が特に大きい、と思うが、「2」「3」も無視できない。

 元々が「荒れ系」のグルダが荒れたことは容易に想像できる。この年に「ユーコ」と離婚してしまう。(後から考えれば)「作曲家=グルダ」の最大の判断ミスだった。

作曲家=グルダ の作曲の源泉 は全て「ユーコ・グルダ」だった


からだ。

Main Compositions of Friedeich GULDA



  1. 1966 Variations


  2. 1967 Sonatine


  3. 1969 Neue Wiener Lieder (7 Golowin-Lieder)


  4. 1969 Theme from Dropout


  5. 1969 Introduktion und Scherzo später betitelt Introduction and Dance


  6. 1969 Suite for Piano, E-Piano and Drums


  7. 1969 Wheel in the right machine - Workshop Suite 1970 Variationen über Light My Fire


  8. 1971 Play Piano Play - 10 Übungsstücke für Klavier


  9. 1974 Für Paul


  10. 1974 Für Rico




 「パウルのために」「リコのために」がいつ作曲されたかは、本当のところは死んだグルダしかわからない。公表では翌年。この2曲以外は後世には残る曲は作曲できなかった。
 ユーコ・グルダ(脇山祐子)に出会う直前に作曲された「変奏曲」から離婚直後の「パウルのために」「リコのために」で傑作は(ほぼ)全て出尽くす。1~2曲例外がある。1965 Prelude and Fugue と作曲年不詳の Menuett である。
 ちなみに私高本が「本当の作曲年はわからない」とヌカしているのは根拠がある。

ユーコ・グルダに捧げられた "Play Piano Play - 10 Übungsstücke für Klavier" は「1970年のクリスマスに受け取った」とユーコ・グルダが証言!


しているからだ。「新作」と言うことになっている「チェロ協奏曲」のメヌエットは1969頃までに作曲されていた、ことも判って来ている。

 作曲家としての才能の枯渇に絶望して「次の女 = ウルズラ・アンダース」に走ったのだろうか?

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