グルダは1973.05、バッハ「平均律第2巻」全曲を録音
する。「第1巻」よりも「濃い」表情が印象的。『グルダの代表録音』の1つである。使用ピアノ = スタインウェイD。
これは「大流行するハズ」とグルダもプロデューサーのブルンナー=シュヴェルも思っていたハズ。だが「amadeo のベートーヴェンソナタ全集」のような反響は起こらなかった。これが、グルダの大誤算だった!
理由は大きく3つ考えられる。
バッハ平均律は、ベートーヴェンソナタよりも「ピアノファン」から人気が無いこと
バッハ平均律全2巻全48曲のピアノ録音が、グールド、リヒテル、グルダ と立て続けに3種類出たこと
グルダ直近のバッハ録音=1965年の「イタリア協奏曲」とあまりに「音」が違ったこと
「1」が特に大きい、と思うが、「2」「3」も無視できない。
元々が「荒れ系」のグルダが荒れたことは容易に想像できる。この年に「ユーコ」と離婚してしまう。(後から考えれば)「作曲家=グルダ」の最大の判断ミスだった。
作曲家=グルダ の作曲の源泉 は全て「ユーコ・グルダ」だった
からだ。
Main Compositions of Friedeich GULDA
1966 Variations
1967 Sonatine
1969 Neue Wiener Lieder (7 Golowin-Lieder)
1969 Theme from Dropout
1969 Introduktion und Scherzo später betitelt Introduction and Dance
1969 Suite for Piano, E-Piano and Drums
1969 Wheel in the right machine - Workshop Suite 1970 Variationen über Light My Fire
1971 Play Piano Play - 10 Übungsstücke für Klavier
1974 Für Paul
1974 Für Rico
「パウルのために」「リコのために」がいつ作曲されたかは、本当のところは死んだグルダしかわからない。公表では翌年。この2曲以外は後世には残る曲は作曲できなかった。
ユーコ・グルダ(脇山祐子)に出会う直前に作曲された「変奏曲」から離婚直後の「パウルのために」「リコのために」で傑作は(ほぼ)全て出尽くす。1~2曲例外がある。1965 Prelude and Fugue と作曲年不詳の Menuett である。
ちなみに私高本が「本当の作曲年はわからない」とヌカしているのは根拠がある。
ユーコ・グルダに捧げられた "Play Piano Play - 10 Übungsstücke für Klavier" は「1970年のクリスマスに受け取った」とユーコ・グルダが証言!
しているからだ。「新作」と言うことになっている「チェロ協奏曲」のメヌエットは1969頃までに作曲されていた、ことも判って来ている。
作曲家としての才能の枯渇に絶望して「次の女 = ウルズラ・アンダース」に走ったのだろうか?