Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

政権交代の究極の目的は

2009-08-16 | マスメディア批評
警察や裁判所のある交差点で車窓から大きな看板を見た。ドイツ社会民主党のスローガンである。「私の教育費用は両親に依存しません」とかの内容で無料化の政策を訴えるものだ。ついにドイツも大衆高学歴化への道を歩んでいるのかと思わせる反面、高等教育受領者の知的程度が盛んに問題となっている。つまり大衆高歴化の弊害が既に多く社会に表れている証拠であろう。

先日ヤクザ映画の検索から、オウム真理教事件の報道映像などをYOUTUBEで見たが、当時TVで観たものとはさして変わらなかった。それでも予想以上に高学歴で話題となったあの手下連中の知能程度が自ずと知れて、なる程と合点が行った。要するに誤まった教育は、小役人的な手下を養成する事にしかならないという事である。

それは、なにも日本の専売特許ではなくて、ドイツ連邦共和国においても広義の職業教育というものが如何に元来の教育の意味から離れているかが日常茶飯に経験する問題なのである。

日本もドイツも選挙が迫っている訳だが、前者においての二大政党制による政権交代劇などは参政権への民意が向上するための初期段階でしかなく、後者においては国民政党として振り分けられていたある種の社会闘争からの完全な脱皮が目させる。

ドイツにおいて国民の高齢化と年金生活者への社会の対応が主な政治課題であるのに比べ、日本においては同様な社会事情と共に占領政策から冷静構造へと引き渡された保守政権支配の弊害による未だに完了できない戦後の歴史化などが大きな問題であるようだ。

「女子供向けの終戦記念日の式典」本質的意味合いや所謂靖国の問題などが政権交代によって総て解決する訳でもなく、当面重要な政治課題である訳でもなく、国防政策と共にイデオロギーを伴って右から左へと揺れる問題でもない。特に前者に関しては一神教の手下のような麻生首相の宗教に関する見識の方が、まるで無用で無意味な唯物論者の宗教ごっこよりは優れて本質に迫っているいるように見受けられ、また民主党の国連尊重主義による軍事組織案はむしろ新たな傭兵や国策による武力行使を是認するどころか強制する社会主義的傾向が強く危険ですらある。

なるほど赤紙一枚で散って行った家族を持つ遺族には真に気の毒ではあるが、少なくとも既にジャーナリズムを含めて翼賛体制に飲みこまれて仕舞っていたとは言え男子普通選挙が行なわれていたなかで軍属が「英霊」どころか只の「惨めな被害者」あるというのがおかしいのである。江戸以来の階級制度によって日本人の大半は朝鮮人のように被害者意識がその卑屈な精神に植えつけられているのだろう。

ドイツにおいても、今やEU内で少数派となった徴兵制度が来年までに再びその是非が問われると言うが、専門家による軍事組織に軍事力を握らすか、徴兵という形式において少なくとも形だけでも文民統制とは別に国民が自らの手にその力を有しておくべきかは議論を有する。軍事力は必要悪であるが、警察力は同じようなものであっても誰もそれを必要としないとは言わない。軍事クーデターの実際を見ても分かるように、同じような思想傾向を持った者が集まりやすく、結託し易いような組織が軍事力を保持するのは危険である。

日本社会党の空想非武装中立思想や左派唯物主義には馴染みがあるが、民主党の国連主義による軍事政策や「政体ありきの信教の唯物化」には馴染みがない。民主党の政策は、両者を結びつけた時に「国連の中での日本の将来のために死んでくれ」と殉職を奨励しているだけに過ぎないのではないか?まさに靖国問題ならぬ将来の千鳥ケ淵戦没者墓参拝問題なのである。

それでは、僅かながらに前進するためにはどうしたらよいか?それは、麻生首相が発言するようにこうした難しい問題は政治向きではなくて、最初に文化的に議論されて有権者の認識に訴えかけるしかないのである。そうした知的な作業があってこそ本来のジャーナリズムが僅かながらでも国民の民意を少しづつでも向上させて行くことが出来るのである。そして、政治官僚や文化学識経験者が決めたものを赤紙のように受け取るのではなくて、国民は市民の同意としてはじめて軍事力を含めた政治力を有することが出来るのである。さもなければ、小役人的な高級官僚から政治権力を奪取するなどと宣っても結局政治官僚に実権が移るだけなのである。

政権交代の最終目的はこれでハッキリしている。しかし、現状の日本のジャーナリズムの程度を見ている限り、鶏が先か、卵が先か、残念ながら容易に白鳥が生まれる気配などは全く無いのである。



参照:
終戦記念日 (作雨作晴)
「点の記憶」 (☆・。.・☆写真エッセイ&工房「木馬」)
ますます増してくる苦味 2009-08-05 | 雑感
同じ側の人と錯覚する民 2009-06-14 | マスメディア批評
歴史を導くプロパガンダ 2009-04-05 | 歴史・時事
宵越しの金は持たないと嘯く 2009-04-03 | 歴史・時事
社会不安を煽りたい麻生 2009-02-12 | マスメディア批評
幼児化の文化教育政策 2009-01-20 | マスメディア批評

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2 コメント

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議論の収斂が要求される (pfaelzerwein)
2009-08-18 20:17:06
二大政党で対抗軸を築くことが難しくなっているのは世界的な傾向です。冷戦時代のイデオロギー構造が崩壊して今日に至る訳ですから。

現在でも持つ者と持たない者の立場が異なるのは当然ですが、その差を埋める方へと工業先進国は舵を取って来たので、そこに労働組合を土台とした西欧型民主社会主義の矛盾もあるのでしょう。

国民政党と呼ばれるものが存在するとすれば、支持母体へと有権者各々が直接圧力を掛けれるような組織構造が必要ですね。

そうなるとやはり議論の収斂が要求されるので如何に高度なジャーナリズムや盛んで自由な言論が必要かは自明です。
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制度疲労 (やいっち)
2009-08-18 13:42:52
冷戦構造が崩れ、間もなくして社会党がほとんど溶解してしまって、自民党の一人勝ちのようだったけど、実は地盤から自民党も崩壊の一途を辿っていたように感じる。
かといって、自民党と民主党でどんな軸で相違を作り出すのか、全く見えない。
世界が漂流するような激動の世にあって、ビジョンを見いだすのは難しいのだろうけど、指導者に道筋を期待するんじゃなく、一人ひとりが地道に考えていくしかないのかもしれない。
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