Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ますます増してくる苦味

2009-08-05 | 雑感
一度紹介した日曜日の朝のラジオの宗教の時間の話が頭に残っている。時間は買えるか、買えないかという命題に繋がると思う。流石にマルキズムやその発展には無関心でもこれはやはり年金問題やライフスタイルがとやかく言われる「生活の核」に属する重要な問題である事ぐらいは解かる。

先日石切場の帰りに町医者と一杯引っ掛けているときに、そこでの仲間の事に触れて、「彼は働なくても良いからな」と発言したので、「それは結構だ」と直ぐさま答えたが、そこにはなにか揶揄するような些か苦味が隠されていたのは間違いない。

なぜそのようになるのか考えてみるのだが、明確な答えは対話でもありなかなか生まれて来ないのだが、そこで話した麻生総理の「老人は働くしか能がない」の「迷言」に通じているように感じる。

上の仲間の男性を五年以上も知っているが、菜食主義者でその凡その見かけからの年齢と性格しか知らない。職業もその教育についても一切分からない。なんとなく経済力は様々な事実から漫然と想像するだけである。

今や69歳の声が聞こえる連邦共和国で年金者になると言う事から恐らく早く希望退職をして企業年金などを一時金として多めに受け取ったと想像する。それはそれで本当に結構な事なのだが、「一体何をして遊ぶんだ?」というような本来は人様にとってどうでも良い想いが誰にも浮ぶのだろう。

その彼であるが最も熱心に石切り場に通っている人物であり、なるほどそれなりの腕を上げているのだが、正直我々経験者の目からみるとどうしても「五十の手習い」の域を出ないのである。それは、なにも彼が遅れてやって来ただけではない何かがあるのだ。そのなにかを説明するのは難しい。

しかし、上の「持つ者と持たない者の差は自由に出来る時間の差」であると言う命題は、掘り下げていくと一概に数量化出来ないのが解かる。まさに、持つ者の代表の様である工業先進国の総理がその時間で漫画を寝そべって読んでいるのか物を知らないようだからこそ「働くしか能がない」の言葉が真実味を強く帯びるのだろう。

その苦味がいよいよ増してくるようだ。



参照:
希望という自己選択の自由 2009-06-19 | 文化一般
人はなんのために働くのか (時空を超えて)
Never Ending Story (雨をかわす踊り)

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