バイエル社のモンサント吸収話しを暫く聞かない。そして今度はBASFの吸収工程の話が出てきた。両社ともコメントを出しておらず、事情通の話となっているが、懐疑的である。そもそも遺伝子工学部門は研究していたのだが、メルケル首相が幾ら後押ししても連邦共和国内での支持が得られなかったことから、それら全てをモンサントに譲った。その全てを戻す話しがあるのは理解できる。しかし、その他の部門との兼ね合いで種子だけで合衆国内の会社で推し進めるとなると、こちらにとっての経営効果はあまりないのではなかろうか。それに引換えバイエル社は農業部門から薬品部門へが本業であって、今や斜陽の農薬や肥料などと組み合わせるのとは意味合いが異なる。ブルームベルクの報道によると、モンサント株主で身売りへの賛否が半々というから、中途半端な形を模索しているのだろうか。経営上あまり意味のない買収はあり得ないだろう。そもそも業務内容からしてBASFはあまり完成製品の方へとシフトしても経営状態が良くなることはないだろう。
気温が下がると色々と変わる。いいことばかりだが、体重が増えていて驚いた。明らかに涼しくなっても薄着で過ごしていて、気楽にしているので、新陳代謝量が落ちたのだろう。運動量を上げたいが、もう一つ野外は乾き切らない。朝のランニングも摂氏13度ぐらいで丁度良い。柔軟体操をしているうちに気持ちよくなって来る。室内の気温が下がって最も喜ばしいのはオーディオの音が冴えてくることだろう。シャープな切れのある響きになって、ドキッとすることがある。これだけは物理現象であるからどうしようもない。基本的には冷えれば冷えるほど音は煌めく。
音も楽しめるようになったところで、九月のためのお勉強を徐々に始めた。先ずは、リゲティの「ロンターノ」を聞く。参考資料の音盤はヴィーンモデルンというシリーズで20世紀中後盤の音楽が演奏されたライヴ録音である。クラウディオ・アバドが指導してヴィーナーフィルハーモニカーが演奏して幅広い層に呼びかけているのが特徴である。それでも楽友協会ホールの会場で聞いていれば違うだろうがで、こうしたあんちょこな録音では楽譜が無いとなにがなんだか分からないだろう。
指揮者さえしっかりしていれば演奏技術的にはあまり問題が無いと思うが、指揮者キリル・ペトレンコは今年の歌劇「南極」初演でこの方向での演奏はミュンヘンの座付管弦楽団も慣れている筈だ。貸し譜の記録を見ると面白い。ダーフィット・アルカームという若いユダヤ系の指揮者が東京でも八月に振るようだが、それ以外では最近ではロート指揮SWRとかムーティ指揮シカゴとか以外は座付管弦楽団が頻繁に演奏していて曲の特徴が良く出ている。意外だったのは、今年日本でも楽劇を振るオペラ指揮者アダム・フィッシャーが二回も振っていることで、作曲家にも纏わるユダヤ系ハンガリー人の指揮者としては当然なのかもしれない。あまり細かな音楽であるよりも、楽譜通りダイナミックスを振り分けることが出来れば、あとは音響に関する指揮者のサウンドデザイナー的な感覚次第だろうか。
この曲の内容は改めるとして、チャイコフスキーの第五交響曲も続いて聞いた。手元の録音のアバド指揮シカゴ交響楽団の演奏は、譜の読み方が違っているように感じた。ロシア音楽はリズム体系もまた違うので西欧の音楽家は楽譜をいつものように鳴らしているのだろうが、余計につまらない交響曲にしか聞こえなかった。あれやこれやと想像してみる。もう一曲、バルトークの協奏曲を流したが。合わせもので、管弦楽にとっては中々薄っぺらくしか鳴らせなくて技術上の困難もありそうだが、勉強のし甲斐もありそうで楽しみだ。
参照:
モンサントの息の音を止める 2016-06-04 | アウトドーア・環境
欧州の環境に従う経済博士 2012-01-18 | アウトドーア・環境
ボンで「ロンターノ」1967 2016-04-24 | 雑感
気温が下がると色々と変わる。いいことばかりだが、体重が増えていて驚いた。明らかに涼しくなっても薄着で過ごしていて、気楽にしているので、新陳代謝量が落ちたのだろう。運動量を上げたいが、もう一つ野外は乾き切らない。朝のランニングも摂氏13度ぐらいで丁度良い。柔軟体操をしているうちに気持ちよくなって来る。室内の気温が下がって最も喜ばしいのはオーディオの音が冴えてくることだろう。シャープな切れのある響きになって、ドキッとすることがある。これだけは物理現象であるからどうしようもない。基本的には冷えれば冷えるほど音は煌めく。
音も楽しめるようになったところで、九月のためのお勉強を徐々に始めた。先ずは、リゲティの「ロンターノ」を聞く。参考資料の音盤はヴィーンモデルンというシリーズで20世紀中後盤の音楽が演奏されたライヴ録音である。クラウディオ・アバドが指導してヴィーナーフィルハーモニカーが演奏して幅広い層に呼びかけているのが特徴である。それでも楽友協会ホールの会場で聞いていれば違うだろうがで、こうしたあんちょこな録音では楽譜が無いとなにがなんだか分からないだろう。
指揮者さえしっかりしていれば演奏技術的にはあまり問題が無いと思うが、指揮者キリル・ペトレンコは今年の歌劇「南極」初演でこの方向での演奏はミュンヘンの座付管弦楽団も慣れている筈だ。貸し譜の記録を見ると面白い。ダーフィット・アルカームという若いユダヤ系の指揮者が東京でも八月に振るようだが、それ以外では最近ではロート指揮SWRとかムーティ指揮シカゴとか以外は座付管弦楽団が頻繁に演奏していて曲の特徴が良く出ている。意外だったのは、今年日本でも楽劇を振るオペラ指揮者アダム・フィッシャーが二回も振っていることで、作曲家にも纏わるユダヤ系ハンガリー人の指揮者としては当然なのかもしれない。あまり細かな音楽であるよりも、楽譜通りダイナミックスを振り分けることが出来れば、あとは音響に関する指揮者のサウンドデザイナー的な感覚次第だろうか。
この曲の内容は改めるとして、チャイコフスキーの第五交響曲も続いて聞いた。手元の録音のアバド指揮シカゴ交響楽団の演奏は、譜の読み方が違っているように感じた。ロシア音楽はリズム体系もまた違うので西欧の音楽家は楽譜をいつものように鳴らしているのだろうが、余計につまらない交響曲にしか聞こえなかった。あれやこれやと想像してみる。もう一曲、バルトークの協奏曲を流したが。合わせもので、管弦楽にとっては中々薄っぺらくしか鳴らせなくて技術上の困難もありそうだが、勉強のし甲斐もありそうで楽しみだ。
参照:
モンサントの息の音を止める 2016-06-04 | アウトドーア・環境
欧州の環境に従う経済博士 2012-01-18 | アウトドーア・環境
ボンで「ロンターノ」1967 2016-04-24 | 雑感