(承前)ペトレンコ指揮では最終戦争が決着する。三楽章の牧歌風が暴力的に見事に砕かれて、バスの変容がバロックを促すフィナーレでとなる。破壊的な圧倒的な力は、木管の苦汁を蹂躙して、ある時はグロテスクに撥ね廻り、容赦のない弦の盾を蹂躙する。この曲をデジタルに聴いても分らない、ライヴでこそブラームスはハルマゲドンの巨匠だということを示す。聴衆はその結果に意味合いにまるで喜んでいるかのように尋常なく熱狂する。
全く具体的な描写はないのだが、あの演奏で起きたことはこの通りなのである。そしてコロナ期間中にベルリンでペトレンコはヴェーベルン作「パッサカリア」と一緒に演奏する事になっていた。しかしそれはならずに演奏者同士が距離を開けた配置で曲がりなりにもベルリンとザルツブルクで演奏したにとどまった。その後のピアノ協奏曲や交響曲二番をも指揮しているが大成功には到底至らなかった。
理由は、ミュンヘンで試みた前々職のマイリンゲンでのブラームス自身が指揮したものに纏わる校正所謂シュタインバッハ版をコロナの影響でフィルハーモニカーの演奏の伝統と折衷でしか振れなかったのが大きい。そしてこの11月に極東旅行に向けて更にシュタインバッハ版を試みるかどうか。
シーズン終了にペトレンコはカラヤンサウンド批判をした。そこでシューマンやブラームスにおいてもカラヤン風のシネマスコープサウンドによって不透明になるのを避けるとした。1963年の所謂ワインヤード式とされる新フィルハーモニーの完成で低音が反射しなくなり、その分強くずらして出すことからそのサウンドが完成すると同時に中声部が黒潰れすることになってしまったのがカラヤンサウンドとされるものである。個人的にはペトレンコ指揮の公演の為のお勉強にカラヤン指揮のLP音源の多くがが全く役に立たないことを発見したのだった。要するにカラヤン指揮の録音は少なくとも70年代以降は音楽的に無用になってしまったのである。
これを取らないと宣言したのであるからカラヤンの影響を取り除いて、少なくともフルトヴェングラー時代のそれから導いて来ない限りお話しにならないだろう。今回の11月公演から極東旅行へのブラームス交響曲四番以外に来年の復活祭までかけてそのサウンドによって次の三分の一の完成を目指す以外に他に方法はないと信じる。
上の会見において弓扱いや特定のヴィヴラートの採用を勧めた背景には既に弦楽奏者を中心にベルリナーフィルハーモニカーの中でワークショップのようなものが行われていると想像する。
昨夏にはフランクフルターアルゲマイネ紙で絶賛されたブラームスチクルスから一回だけ二番と三番をエンゲル指揮で聴いたが、古楽器奏法を軸に、立奏を断念しながらも、とても実践的な解決法を示した。フライブルクから古楽楽団のコンツェルトマウスタリンを招いた以外は演奏したのは往年のサンドラ・ヴェークの薫陶を引き継ぐ楽団カメラータ・ザルツブルクであった。エンゲルが参考としたハンスフォンビュロー指揮ベルリナーフィルハーモニカーの写真でのブラームス演奏の伝統へと、限定された準備期間乍、遡れないような楽団ではない筈だ。
参照:
KIRILL PETRENKO STELLT NEUE SAISON VOR, Maria Ossowski, BR-Klassik vom 9.6.2023
日本旅行を越えて何時か 2023-06-22 | 文化一般
エリカ薫る夏の草原の風 2022-08-05 | マスメディア批評
全く具体的な描写はないのだが、あの演奏で起きたことはこの通りなのである。そしてコロナ期間中にベルリンでペトレンコはヴェーベルン作「パッサカリア」と一緒に演奏する事になっていた。しかしそれはならずに演奏者同士が距離を開けた配置で曲がりなりにもベルリンとザルツブルクで演奏したにとどまった。その後のピアノ協奏曲や交響曲二番をも指揮しているが大成功には到底至らなかった。
理由は、ミュンヘンで試みた前々職のマイリンゲンでのブラームス自身が指揮したものに纏わる校正所謂シュタインバッハ版をコロナの影響でフィルハーモニカーの演奏の伝統と折衷でしか振れなかったのが大きい。そしてこの11月に極東旅行に向けて更にシュタインバッハ版を試みるかどうか。
シーズン終了にペトレンコはカラヤンサウンド批判をした。そこでシューマンやブラームスにおいてもカラヤン風のシネマスコープサウンドによって不透明になるのを避けるとした。1963年の所謂ワインヤード式とされる新フィルハーモニーの完成で低音が反射しなくなり、その分強くずらして出すことからそのサウンドが完成すると同時に中声部が黒潰れすることになってしまったのがカラヤンサウンドとされるものである。個人的にはペトレンコ指揮の公演の為のお勉強にカラヤン指揮のLP音源の多くがが全く役に立たないことを発見したのだった。要するにカラヤン指揮の録音は少なくとも70年代以降は音楽的に無用になってしまったのである。
これを取らないと宣言したのであるからカラヤンの影響を取り除いて、少なくともフルトヴェングラー時代のそれから導いて来ない限りお話しにならないだろう。今回の11月公演から極東旅行へのブラームス交響曲四番以外に来年の復活祭までかけてそのサウンドによって次の三分の一の完成を目指す以外に他に方法はないと信じる。
上の会見において弓扱いや特定のヴィヴラートの採用を勧めた背景には既に弦楽奏者を中心にベルリナーフィルハーモニカーの中でワークショップのようなものが行われていると想像する。
昨夏にはフランクフルターアルゲマイネ紙で絶賛されたブラームスチクルスから一回だけ二番と三番をエンゲル指揮で聴いたが、古楽器奏法を軸に、立奏を断念しながらも、とても実践的な解決法を示した。フライブルクから古楽楽団のコンツェルトマウスタリンを招いた以外は演奏したのは往年のサンドラ・ヴェークの薫陶を引き継ぐ楽団カメラータ・ザルツブルクであった。エンゲルが参考としたハンスフォンビュロー指揮ベルリナーフィルハーモニカーの写真でのブラームス演奏の伝統へと、限定された準備期間乍、遡れないような楽団ではない筈だ。
参照:
KIRILL PETRENKO STELLT NEUE SAISON VOR, Maria Ossowski, BR-Klassik vom 9.6.2023
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