Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

意思疎通力の効果

2020-12-18 | 
マンハイムに寄った。ラインの橋の工事で回り道するので序でに繁華街も走ってみた。どこも車の交通量は春のロックダウンとは全く異なる。その差異は分からないが、恐らく認められている仕事の通勤が断然多いのだろう。そういうこちらも用件で走っているだけで通勤ではない。更に目抜き通りを通ってみたのだ。

先ず目抜き通りで気が付いたのはマスク着用義務と書いてあっても三割ぐらいの人はしていない。巡回して罰金を取っている様子もなく意味が分からない。その場のバス停などでも半分ぐらいはしていない。マンハイムは現在指数200を超えていて、更に厳しい地域になるのだが、その程度である。可成り規制が利かなくなっているのを感じる。タバコを吸っているお兄さんも完全に外していて、どこぞの偉い先生の様に片手でマスクをもってその間に煙草を咥える等なことはしていない。そもそもタバコのみの若い人にとってはコロナなんてそれ程には不健康ではない。どうもマンハイム市はやる気がなさそうだ。同時にクリスマスらしさも全くなかった。

人出もこの時期としては少ないのだろうが、平日の時間帯では少し少ないぐらいで、日曜日とかとは全然違う。見ていると、食事を買って来て道端で食べている人や何かをラッパ飲みしているような人がいる。アルコールではないと思うが、仕事の間の昼休みの人などなのだろう。春に歯医者に通う時に感じた特別に許された感は皆無だった。あのような感じならば減少しないと思う。

地元ワイン街道は110台になっているので、もう少しで100以下に下がる可能性が出て来た。外で酒を飲まない様にすればそれ程増える要因はマンハイムのようにはないと思う。その間にはスパイヤーの指数502のような地域があって、地域差が激しくなってきた。動きさえ止めれば更に隔離されていく。

朝の一っ走りの時は風もあって陽も無くて気温よりは肌寒く感じた。午後には写真の様に久しぶりに陽射しがあって気持ちよくなった。土曜日にはもう一度晴れそうなので、窓を開けて掃除などが出来そうだ。

肉屋に寄ってクリスマスから年始の注文をした。既に遅いとか言われたが、そもそも注文品が事情通のそれなので問題なくイヴに取りに行けそうだ。

ベートーヴェンが洗礼を受けた日が1770年12月17日らしい。16日のウクライナの第九に続いてバイエルン放送協会が制作したニュルムベルクの劇場の音楽監督ヨアンナ・マルヴィッツによるレクチャーがアップされた。大好評だった第七番イ長調に続いて第六番「田園」へ長調が扱われた。先ず何よりも、進行役のマルヴィッツの喋りが素晴らしい。これに匹敵する指揮者はメトロポリタンとフィラデルフィアの監督を兼任しているネゼセガンぐらいしか知らない。
2. Online-Expeditionskonzert: Beethoven #6 "Pastorale" (Trailer)

2. Online-Expeditionskonzert: Beethoven #6 "Pastorale"


それも今回ボンの式典で大統領スタインマイヤーがヴィデオでのメッセージの内容や文化大臣グリュタースの言葉にあったポピュラリィティーとその明晰さに視点が行くようにもなっていて、その音楽分析的な事項以上に全体的な具体的印象を伝える内容と成っているのが見事である。逆に言えば、政治家までがそれを口にするには、まさしくコミュニケーション能力という彼らにも我々にも皆一様に求められているその天才性に触れる内容となっているという事だ。

明らかに250年祭をしてここまでの学究的なその趨勢を土台として、美学的にも社会文化的にもその位置付けが新たに定まってきていることを象徴している。恐らく50年前には、今回大統領が言及した東京からヴァ―ンクーバーへと演奏されるベートーヴェン像というのはまだ違う意味合いを呈していて、その象徴的な位置にカラヤンのメディアなどが文化経済的なミッションとして存在していたのである。



参照:
カリスマ性と理性の共存 2020-12-17 | マスメディア批評
来夏には全て正常化予定 2020-11-12 | 雑感

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