Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

MTBには負けないぞ!

2016-08-29 | アウトドーア・環境
週最後の走りである。四回目だ、それに前日は久方ぶりにビールで喉を潤わした。寝室の窓を開けていたためか、三時過ぎに小水に立った。それでもなんとか熟睡は出来たのだろう。年一度のワイン街道解放の日なので、通行制限になる前に早めにパン屋に出かける。町はいつもより静かだった。そして駐車場に行くと、車が停まっていない。八時を過ぎているのに誰も居ないのは珍しい。夜中に冷えなかったので熟睡した人が少ないという事か?それでもいつもの婆さんが居ないことを考えると、多くの人は自転車でワイン街道を走ることを優先させていたのかもしれない。良い自転車があれば気持ちが良いのだろうが、どうも舗装道路を走るのも好まない。

前回の心拍計の結果があまりにも心拍数が高かったので、今回は比較のためにもより険しく長いルートで測定することにした。ゆったりと準備体操をしていると、自転車が近づいてきて、スピードを出して通り過ぎ、そのまま我が峠攻めへと走っていった。体格の良い白髪の爺さんで元気そうだった。準備体操を終えて追いかける。最初のカーヴを曲がると先にまだ親爺が走っていた。予想に反して大分テムポが遅そうだ。そこで抜きつ抜かれつでは辛いので、どの辺りで追いつこうかと計算した。そして歩調を整えた。最初にピープ音が鳴ってからはあとは静かだった。それでも超えた心拍数で安定しているものと思っていた。結構負荷を感じていたからだ。

親爺のマウンテンバイクには二百数十メートルの距離をおき乍らつけて行く。それでも林道であるからやや傾斜が落ちたところで振り切られる可能性も考えていた。頭の中は、昨日のリゲティの創作とバルトークとの関係で、音程関係や拍節のシンメトリーなどの後期の特徴が初期のヴァイオリン協奏曲一番ではどうなっているかなどと考えていた。しかしいつまでも親爺との距離感は変わらない。それでも足元のペダルの踏み方を見ているとこちらの足取りからすると大分早い。後姿をみていると神戸の坂道などを自転車で上っていた子供の時のことを思い出す。そしていよいよ最後の峠への勝負の直線まで来た。一向に離されていない、無理をしてみようかどうか、少なくとも親爺のその先の進行方向だけは見届けたい。すると親爺は峠の手前の脇道を谷へと降りていく方へと逸れて行った。なるほど、下からやって来ていたのだろうから、運動量としてはこちらが走って降りるのと同じぐらいか上回っているのだろう。

PCであとでチェックすると、心拍数が上限を超えたのは短い期間登りと降りの二か所しかなかった。出かける前から80を超えていたことを考えると、正常である。しかし帰宅後も110を指していたのは珍しい。気温は摂氏22度を超えていて、陽射しは強くなかったものの湿気もあった。タイムも峠で20分は割らなかったが、まずまずである。週三回目に降り勾配で時速12kmに近づいたことを考えれば、林道では如何にその速度に近づくかだけなので、登り当面時速8kmで10kmが最終的な目標速度だろうか。やはり心拍数は体調に大きく影響されるようで、逆に体調管理の指針になる。膝は痛めていない右にも違和感を感じるようになった反面、腰などは解れてきている。

金曜日はマンハイムの外気温は36度を超えていた。走らせる車のエアコンで涼んだ。陽射しも充分に強い。週末は雷が来るまでは朝晩の冷えがそれ以前ほどには期待できない。車中のラディオは、亡きSWRフライブルク・バーデンバーデンの放送交響楽団特集番組を流していた。面白かったのはフランソワ・サヴィエー・ロートのインタヴューやその録音の抜粋だった。特に自慢のリヒャルト・シュトラウス録音集は思ったよりも価値がありそうだ。指揮者本人が、カラヤンやティーレマンの演奏は風呂の中での鼻歌だと批判していたのはなるほどと思わせる。流れていた「英雄の生涯」や「アルプス交響曲」は確かに一聴に値する。多くの楽員のひとことも流れていたが、ミスマッチィングのようなこのプロジェクトがなかなよい「遺言」になっているように感じた。そう言えば先日購入したギーレン指揮の新ヴィーン学派の演奏も予想以上に充実していて、同じ指揮者がフランクフルトやケルンで録音した録音などとは比較できないほど良い。



参照:
人間は考える猿だろうか? 2016-08-27 | アウトドーア・環境
ヤノフスキーのワンパターン 2016-07-28 | 文化一般
夜更かしの夏の日々 2016-08-28 | 生活
コメント (2)
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