Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

書くことの意味は大きい

2015-11-03 | 文化一般
ネットランキング登録のバナーがあったので、登録してみた。片方は「移住(海外永住)」というカテゴリーがあって面白いと思った。昨今は日本でも移住という言葉をネットでも耳にするようになった。その歴史的な変遷は、日本でも御多分に漏れず嘗ては農民が新天地を求めての開拓団やそれに類する経済的移民が多かった。その後、十年ほど前に日本に旅行した節に聞いた税制上の有利な国への税楽天地もしくは退職金などの利息生活を求めての定年楽天地移住も耳にした。そして最近は社会や自由な社会を求めての楽天社会を求めての移住が増えていると聞いている。頭脳流出とかその手の波は恐らく1980年代から盛んになっていたと思われるが、移住の波がどのような変化を見せたかは分かり難いのだろう。一つには最初から移住を志していてもそれが統計上に表されない事や状況の変化で移住になってしまうこともあるからだろう。実際には、その移住先の移住管理の法律によって様々であろうが、入国の目的から変更になって移住してしまうという場合は少ないと想像する。

もう一つの登録は、「音楽評論」とした。「アウトドア―」ではミラーサイトの方がカテゴリー入りしていることであり、これしかないと考えた。この先二三年は書かなければいけないことが増加しそうで、コンサートや劇場訪問だけに限っても年間二週間ほどの日程になる。昔日本で年間百日以上通ったことがあるのだが、流石にそのころとはその意味が全く異なる。あの当時は自身にとっても新しいことも多く、物珍しさのようなものがあったのだが、それは日本社会の文化やエンターティメント需要と趣を同じくしていて、要するになにかを吸収するというような行為だったのだ。つまり、その量とは異なる質の供給がこの度の主題となる。

しかし、今までに綴ったものを読み返すと、音楽評論に相当するものはあまりない。ジャンルとして「音」の中の幾つかはそれに相当するだろうが、「文化一般」はどちらかと言うとエッセイのようなものが殆どである。それでも訪問の数などに比して、読み物の数だけは少なくない。これから暫くは題材と動機だけはあるので若干はパワーアップ出来るだろう。

先日ラディオの番組で教育家が、ヘルダリンを授業で扱うともはやゲーテに学生の関心を戻らせることが不可能になるというようなことを発言していて、興味深く聞いた。ミュンヘン詣でをするようになって、そしてバイエルンの放送局の面々を含め職業的に音楽と関わる人々の認識を探るうちに、ここで音楽について書く必要性に気が付いた。アドルノの言葉「アウシュヴィッツ以降に詩は綴れない」は引用されることが多いが、同じように「今音楽について語らなければ何時語るのだ」といった状況にある。書くことの意味は大きい。



参照:
ストリーミングいろいろ 2015-11-01 | マスメディア批評
世界のさくらが一斉に散るとき 2010-02-08 | 音
嫌気がさした衣装 2006-11-27 | 雑感
シラーの歓喜に寄せて 2005-12-18 | 文学・思想
コメント
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