Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ロシアの情報宣伝のネット展開

2014-11-28 | 歴史・時事
ここ暫くのベルリンの話題はウクライナ問題である。社会民主党の元党首などがプーティンのクリミア奪取政策に一定の理解を示したが、それは連邦共和国の外交姿勢に大きく矛盾するからである。

こうした発言の背景には、連邦共和国の独自の東方政策や東ドイツの人脈や、ユダヤ資本の下で働くシュレーダー元首相などや経済界の立場もあるからには違いないが、それ以外に最近はネットなどを中心にロシアの情報宣伝の影響があるとされている。そこで最近はマルキズム化が激しいとされるフランクフルターアルゲマイネ紙に歴史学者による全一面を割いた詳しい記事が載っている。行間を読むことに慣れていない日本などでも昨今は真実と思われがちなそのロシアの宣伝の実態に迫っている。

つまりフルチショフらが発言した「ウクライナの民族主義者はナチの手下であった」とするソヴィエトによる宣伝の歴史的な背景を詳解しているのだ。掻い摘んで述べると、ウクライナの独立運動として挙げられるウクライナのファシストとは十月革命のソヴィエトの成立と内戦とに密接に係わっており、ロシア側からすればウクライナは先の大戦の犠牲の上になされた成果であり、それがプーティンロシアの攻撃的な姿勢にも表れているというのだ。

そもそもバンデロズイは、1940年にウクライナ民族主義組織OUNの頂点にいたステパン・バンデーラから導かれた言葉であり、そのOUNは1930年代にポーランドの支配下にあった南東地域の地下組織として手段を選ばずに独立運動を繰り広げた組織であり、1939年にはスターリンの体制下から、ドイツの支配下にあるポーランドへと逃げた。そこにおいて、スターリンの諜報機関NKWDに対抗する組織として、ソヴィエトの西ウクライナ支配からの解放に向けて、ドイツのソヴィエト侵攻と目的を同じくして、ナイチンゲールやローランドと呼ばれる部隊の人的な核となっている。しかし、ドイツの侵攻後の1941年6月22日以降、こうした戦略的な関係は長続きせずに、ドイツはウクライナの独立などには手を貸さなかった。

バンデラーの副官ツェツコが30日に独立宣言をすると、バンデーラの方はナチに逮捕されてベルリンに護送されて、ザクセンハウゼンの強制収容所に拘束される。それでもドイツ軍の西ウクライナ侵攻は、ポーランドからもソヴィエトからの解放として受け止められた。その一方、七月にはドイツの治安警察Sipoがユダヤ人虐殺を始め、そのユダヤ人狩りをOUNが請け負っていた。そうやって、民族主義者はドイツの歓心を買おうとしていたのである。しかし、九月十月には民族主義者の一斉排除が始まり、11月以降政治的な活動家が一斉に処刑される。それでも1943年にはドイツからの解放へとOUNは再び動き出すが、その後の赤軍による奪回を恐れ、1942年から森で活躍していたUPAとともにゲリラ闘争を行い、場合によっては赤軍に対してドイツ軍と協力することもあったとされる。

そしてそうした地域においてポーランド人やユダヤ人を殺戮して民族浄化をしたことが、ロシアの宣伝としてここ最近も英語の資料として西側の市民にもウクライナのキエフ政府やユーロマイダンへの懐疑を齎す原因となっている。その規模は、少なくともポーランド人六万人、そしてそこにUPAの一部の組織がドイツ人から逃れてきたユダヤ人を処刑した数も含まれる。

しかし、UPAの最も評価されている成果は、1944年7月の西ウクライナからの赤軍の排除であって、壮絶な戦いの結果、数十万のウクライナ人はロシアの中部へと護送されていったということである。UPS運動が制圧されたのは1950年代初頭になってからだとされる。

その後にロシアから流された宣伝情報が、現在ネット上で流されている英文の情報の源であり、実際にウクライナの民族主義者がナチの組織などを学びつつ、時にはドイツ軍とともに大量の虐殺行為に関与したとしても、ロシアは民族主義者のポーランド人虐殺については触れなかった。それは、ロシアには不都合であるウクライナがポーランドの支配下にあったことを知らしめるからだとされる。そして、ドイツ軍が侵攻した西ウクライナには、何千もの政治犯のウクライナ人の躯が転がっていたのだが、その赤軍による仕業までも1960年東独作の「ルヴォーヴの殺戮 ― 資料は語る」でナイチンゲールの仕業として宣伝されており、また1960年当時の連邦共和国オーファーレンダー帰還大臣を当時の司官としての責任を問い失脚に導いた。

そうしたソヴィエトにおける宣伝情報が、今現在ネットの中で行われているロシアによる宣伝であり、一貫してウクライナの民族主義者をドイツの手先として、狙いをUPAに定めて、今は米国を筆頭とする連邦共和国を含む西側諸国との連携で先の大戦の対ソヴィエトユニオンへの戦いの延長線上にあるとしている。

大戦中前後に起きた大量虐殺の全てはナチの犯罪として罪を押し付けられてきたドイツである。政治的な反論が出来ないことを見越しての宣伝はこうして老獪なプーティンによって政治利用されている。こうした諸国がロシヤ、中共など戦勝国として世界に君臨しているからこそ、ウクライナが欧州スタンダードの国となるように支援をしなければいけないのである。

連邦共和国が全ての責任を押し付けられるナチの犯罪を分析する一方、同じように殺戮を繰り広げた帝国陸軍などの犯罪を認めるどころか、相対化しようとする政治家が躍進するような日本とは全く違うのである。そのような姿勢をとっているから、南京虐殺の規模にも客観的な反論が出来ないのである。先ずは批判に事実があればそれを真摯に受け止めて、首を垂れるというのがまともな人間のすることなのである。それを省いて、反論を展開しようとすると、もはやそこには正当性が無くなって客観的な見解とはならなくなってしまうのである。



参照:
Unter fremden Bannern?, Dr. Kai Struve, FAZ vom 24.11.2014
卍への酵母の萌芽 2014-07-23 | 料理
カローンが水脈引き行く 2007-04-28 | マスメディア批評
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