Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

死期を先に延ばす荒治療

2010-06-18 | 雑感
週末に末期癌の治療の現場の話などを聞いた。折角であるからそれについても触れたいのだが、もう少し資料などで勉強させて貰う。それでも最も興味を持っていた点である治療への希望というか、その意志は専門の外科医を通じて、患者のもしくは我々の生きる意志として十分に伝わってきた事だけを予め記しておいても良いだろう。要するに、外科的な処置で死期を幾ら伸ばすか、もしくはそのような面倒な処置をせずに予定通りの死期を待つかという問いかけであった。

先日ラジオで聞いたハノファーの移植外科の心臓手術専門医師の話題で、弁膜手術を最近は殆ど切り開く事もなく内視鏡手術で出血も少なく簡単に済ませてしまう方法があり、その問題が唱えられていた。要するに手術的には患者に負担をかけない合理的な進んだ手術法には違いないが実際には具合が悪くなったり、経年変化も激しいようでかなり危険性もある手術方法であるとの見解であった。外科手術には、患者への肉体的精神的負担が伴うが、実際には外科医に取っての負担も大きいようで、技術があればあるほど複雑な技術が要求されて長時間の手術が必然とされると言う実態がそこにある。

その反面、そうした高度な手術技術を持たない病院や医師は、予想通りの死期を ― 恰も自然死の様に ― 迎えることを患者に薦め、無駄な資金や労力の掛からない死を選ばすということにもなるようだ。それが最近身の回りでも増えており、特に肺癌などは膵臓癌などに比べてなかなかその死期が訪れないのは身近な例を見ていても実証できる。

そこで繰り返される議論が、麻薬などを使わずに同じような条件で半年の命を三年に伸ばせるとすればどうしますかということになるのだろう。
コメント
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