光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

暑くて二輪そろって咲き

2007-05-23 18:55:40 | 植物・花(春)
  暑い。この時間、温度を書くことはないが、室温26℃。なんか、それほどでもないなという気持ちもある。真夏は36℃くらいには簡単になるから、それほどでもないのだが、暑い。 
  朝は、ほどほどの天気で、期待はしてなかったが、ここのシャクヤク(芍薬)を見に、わざわざ外に出た。何時だったか、もう十分明るい。辺りに、蜘蛛の巣がある事はわかっているので、箒を、小型のもの、なんか他の言い方があったが出てこない、空中で振り回す。この光景を、何も知らない人が見たら、何とも思わないかも知れない。腕の運動でもしてるのか、そうゆう風に思う人もいるかも。
  あっさりと、一輪、ここの、これが肝心、シャクヤクが咲いている。詳しく書くと、きのうの夕方見たとき、かたそうな一番外側の部分はすでに外に開いていて、もしかしたら明日咲くかもと思った。そのとおり、小さく咲いているのを見て、なんかほっとしたが、それにしても、ちょっと直射光が気の毒なくらいである。弱弱しい。でも、午前中しか日が当たらず、さほど心配することもないかも。
  お昼になる前から、もう暑かった。この先ずっと暑いかどうか、先ほど天気予報を見たが、そうではなさそうだ。外の気温も上がっていて、これは、本格的に暑さ対策、それから紫外線対策をやらないといけない、漠然と思う。それにしても、こうゆうときにこそ、風が吹いて当たり前なのだが、なぜか、吹かない。部屋の中は、窓を開けても、空気の移動はない。
  この暑い中、傘をさして歩く。ただ、それを眺めている人はいない。そう思う。しかし、紫外線の怖さは、若いとき、それとそれに対する抵抗力を持っている人はやはりおられるようである、そうゆうとき、そうゆう人は何とも思わないのだが、これは、歳を重ねるにつれ、紫外線に敏感な方々は、やはりもう少しそれに注意しておけばよかった、っと、必ず思う時が来る。私もその一人である。
  スーパによって、そのちょうど反対側にある、白色と、もう一つ紅色の、シャクヤクが咲いているところに行く。どうゆうわけか、紅色の方は、その固い蕾を覆うものが、パカッと外に広がらない。うーん、残念である。個体が大きく、それに比例して蕾の数も多い。こちらの方が、白より早く花を咲かせる気がしていたが、何ともいえない。ほどほどの大きさの植物に、数個の花を咲かせているものを、あちこちで見ている。一方で、一輪大きく咲き始めたが、他の蕾は、やはりまだのようだ、と言うのもある。
  帰ってくると、ここの、もう一つのシャクヤクの蕾が開いていた。正確に書くと、外に出たときに、もう一輪が開き始めているのに気付き、さらに時間がたって帰ってきたら、ほぼ、咲いていた、という事です。一輪を、”一厘”って変換したことがある気がして、それは、まー間違いはよくあるから、それで、



  こちらが、最初に咲いたもの。暗めかなとも思ったが、日の沈む今の時間だとちょうどいいような気がする。クリーム色がでるが、肉眼ではわからない。全体的にもっと薄っすらしている。



  後から、咲いたもの。これは、さすがに予期できなかった。暑いから咲いた、そうゆう感じです。

宇宙の小さなクモの巣

2007-05-23 07:33:49 | 散策
  朝の天気、晴れ。ほぼ快晴。室温は20℃、今日はさらに暑くなりそう。南の風が吹いていて、今はこれは涼しい。
  星の世界へ入ってゆく、星とか宇宙が面白く思える、そうゆうのは、子供のときに図鑑を見たからで、その印象は、多少知識は付いたと思うが、ただ、不思議というのはそのままである。
  20世紀の後半、アマチュア天文家の方が、大活躍をして、さらに凝りに凝った写真を発表するようになって、例えば、太陽系を研究対象とするプロの研究者が、アマ天家に、その彗星はどこに見えますか、正確な位置を教えてもらえませんか、そうゆう風な状況になった、そのような話しを雑誌などで読んだことがある。
  それは、大変結構なことで、ただ、アマチュアの世界の中で、かなりの壁が出来てしまった、偏見もあるが、そうゆう気もして、ただ星を眺めていれば楽しい、という状況は、若干あるいはかなり変化した。
  例えば、私は、かなり長い間、天文関係の雑誌を見ていた。読んでいたというと、中身がわかることにもなるが、難しい事はわかるわけがない。さらに今もそうだが、とんでもない勘違いをしつつ、それを見ていたのも事実である。
  その中で、アマ天家の壁を取り払うような出来事と言えば、それは時々現われる、恐怖の星、大彗星の写真であったり、もうひとつは、星雲とか星団のこれまた美しい写真である。これを発表してくれる方に、今頃お礼を言わないといけないと思う。なにしろ、どう考えても、かなりの投資が必要だし、体力と気力と繊細さの持ち主でないと、そうゆう事は出来ないからだ。
  星雲、星団は、大概が一応は、銀河系にあると最初は思う。これはわれわれの太陽系もある銀河だけど、さらに、それだけではないことがわかる。もう少し範囲を広げれば、人口に膾炙するアンドロメダの大星雲などは、これは、もはや銀河系にはない。別の宇宙である。
  さらに、より遠く、より狭い範囲を探してゆくと、星に見えるようなものが、すべて球状星団であったり、さらに、紡錘形のものは、銀河系と同じ小宇宙だったりする。そこには、点状の恒星は少なく、星雲、星団、小宇宙、さらに、小宇宙の集団しかない。これには、キリがあるかないか、これを、考えてみるのもいい。
  こういったものは、最近は、天文関係のサイトで簡単に見ることが出来る。これを、見て、たぶん子供のときと同じように、その美しさと、不可思議さに心が揺れる、この辺は同じままだ。ため息も出る、それでいい。

チャンスは二度あるかなー

2007-05-21 19:08:05 | 植物・花(春)
  いいお天気で、風も穏やかである。そうゆうときに限って、ちょっと体調が思わしくない。
  色々な病気の名前が出てくるが、人の感覚は麻痺している、あるいはわからないものだと思う。これを、例えば、病院で検査してもらって、ある病気を示唆する重要な結果が出たとすると、これは確かにそれが原因だったのか、安心も出来る。が、である、何かというと検査かという感じを持つ年齢になると、また検査かと思う。でも、もうそれに何かいう事はなくなった。どうぞやって下さい、そうゆう気になっている。それで、やっぱり、っという結果を知る。大体が、昔と変わらない。どこか正常でないところがある。
  そんなことを考えていると、よけい頭が痛くなるだけだ。それで、例えば、ほんの10分くらい前に、私は机に座って、PCの前にいた。まだ明るい。それで、この辺りは、一応静かで、でも何か引き付ける音がする。それは、Boeing 767のジェットエンジンの音であって、特に不思議ではない。この時間帯は、着陸する便が多い。で、何かがおかしいと思ったのは、それがこの辺りに接近する感じ、気配が感じられたこと。そのとおり、窓から東の空を見上げると、そこに見慣れたB76の、本物の飛行機があった。
  さて、どうするか。ここは、見送るか、練習のために撮るか、考える。あまり余裕はない。そこに、B76は来ている。それほど低空でもないが、ここは、練習のためにやってみよう。
  それから、椅子から離れ、カメラを探し、手に持って窓を開けて、どっこいしょ、って、そんな感じで、この間およそ2秒くらいでやってみる。あー、疲れるが、露光時間は、0.001秒で、撮影した結果をチラッと見るが、真っ暗ではなく、機体は写っている。その後、なぜ、そんなに北風が強くないのに、このジェット機が、右旋回をしたのか原因がわかった。つまり、すでに、離陸寸前の、羽田行きの便が滑走路で待機していたのだ。これは、接近したジェット機が上空を通過した後、しばらくして、離陸して高度を上げるジェット機のエンジン音を聞いたことで、たぶん証明される。こちらは、聞き慣れているのでわかる。まー、飛行機に乗るのは怖そうで特に乗りたいと思わないが、飛んでいる姿はなかなか好ましい。
  で、ここに何を書こうとしていたのか、すっかり忘れてしまった。と言うか、それは、漠然としていた。で、この状況を利用した。機会は一度しかない。

  朝な夕な、緑がどうのこうの、書いている。五月になって、目には青葉が、頭から離れていない。それで、新緑が出て来ていいはずなのに、どうも、より華々しいものが出たりする。探さないと、何がどこにあるか、わからない状態。



  これは、五月の初旬のころ。朝で、さらに雨が降っていたか、その後のもので、カエデの葉も少し重そう。



  今は、この木に白く見える小さな花が、もっと大きくなっている。密に、濃い緑があること。これだけ、緑を一気に付けるってすごい。

月の空と同じくらい暗い

2007-05-21 07:31:48 | 散策
  朝の天気、快晴。風も穏やか、瓦に結露。室温16℃、少し寒い。
  こうゆう良いお天気は、年に何度あるか、もう少し時間がたってみないと何とも言えないが、北側は、お隣さんの建物があって、仰角15度以上しか見えないが、それを見る限り、どうみても青空しかない。雲一つない。でも、寒い。北側は12℃、これはヒータのセンサの出している値。
  さかのぼって、きのうの夜。夜に、ソフトに合うようPCのドライバをいじっていると、これはただ時間がたつだけで、まずろくな結果は出ない。あっさり止めた。窓を開けてみる。雲もあるが、明るい星がまず目にはいる。もう夜になってだいぶ時間がたつ。この時間、金星は見える事はない。色も、違う。その星は、木星。空が澄んでいてちょっとぞくっとするくらい輝いている。雲が見えるから、まったく外に光がないわけではない。でも、鋭い。木星は、へびつかい座にある。すると、その西にアンタレス、さそり座のアルファ星が見えるはずで、そのとおりそれはそこにあった。ただ、雲がかかっていて、ここは、双眼鏡で探す。すぐに、その赤い巨星が入った。
  位置がわかれば、肉眼で見るほうが美しい。双眼鏡は、地上の景色を見るときなどは、それほどレンズの収差は気にならないが、アンタレスクラスの明るい点像では、あまり面白くない。プレアデス星団などを見るのがちょうどいい。木星を7倍の双眼鏡で見ると、これはもう点にはならない。
  月には行ったことがない。怖いから、行きたくもない。でも、大気がないから、夜は月の夜空は、真っ黒けということになる。昼も空は暗いかな。かなり暗いところの体験だと、高尾山の夜があった。もう人もいない。ネコが近づいてきて鳴いた。食べる物をくださいといってるようで、サンドイッチを置いてきた。下りの道は異常に暗く、手に持つ懐中電灯の明かりが、何かに吸い込まれているようで、その暗さに驚いた。たぶん、きのう、月から地球を見ている生き物がいれば、この辺りは、異常に暗く見えたに違いない。たぶん、夜の高尾山くらいの暗さがあった、そうゆう気もする。
  やはりたまには、夜に外に出て、星なり月なりを真っ暗な条件で見てみるものだと思う。それで、くしゃみをする。それで、ブルブル身震いをする。それがまたいい。

シャクヤク(芍薬)、白、その一

2007-05-18 18:58:05 | 植物・花(春)
  朝は、穏やかだった。でも、すぐにまた風が吹き出して、荒れた天気になる。
  少し冷んやりしている。ちょうどいいかどうか、きわどい気温である。体を動かすと、すぐに汗ばんで来る。それと関係ないはずだが、お天気もおかしくなった。まー、きのうのように、列車が、風が強くて止まったとか、雷がなって、ひどい雨が降ったとか、そうゆう事はなかった。だけど、こんなに変化の激しいお天気は、やはりおかしい。
  フェーン現象と言うことになるのかなー。最高気温が、27℃、そのときの風は、10mくらい。これはあくまでも、気象台の値だし、また風速は平均値であろう。最大瞬間風速も発表されると、納得できるのだが、それは滅多にない。
  風は少し気になるが、雨はなさそうで、さらに買い物もあるので外に出る。陽射しは、雲があってあまり強くなさそうだが、暑いこと。そりゃ、27℃もあれば、やっぱり暑いって感じる。ありがたくない風であるが、少しは涼しく感じさせてくれる?。帽子を常に手で押さえていないといけない。辺りは、水の入ったもう苗も植えてある田んぼ。ここに、帽子が飛んでゆけば、一体どうすればいいか、答えがすぐに出ない。なんか、これはそのうちホントにありそうに思えて来た。
  より、広い、田園と言っていいところ。ここは、イネの苗だって、風に打たれて、水面にそのまだ弱弱しい体をなびかせている。波が立つから、ときどきアップアップしている苗もある。それに、完全に水没してものも見る。苗も大変だべ。後ろから風に押されて歩いている気もする。
  忘れ物をしないように、まず用事を済ませる。こんなこと誰でも出来る、昔はそう思っていた。それで、あれれ、肝心なお金を忘れていた、そうゆう風にやがてなるのである。きょうは、それはなかった。

  シャクヤクの花、それらしきが、咲いているようで、ふわふわしながらそちらに移動する。蕾が大きくなってかなりの時間がたっている。草冠に雷で蕾。花を咲かせるには、何か衝撃がいる、それをたどってゆくと、何かがあって、開花ホルモンが惹起される。その何かが、雷に似て、衝撃的なものなのであろう。繰り返しているだけだった。



  白色である。きのうの間に咲いたようだ。で、桃色と黄色も少し出ているようで、ゆうことなし。直射光が当たっているので、肉眼で見るのとは違う。露光時間を少なめにしている。



  同じ個体の、もう一つ咲いているもの。これも、もう少しすると、色が出てくるかも知れない。

  ここで咲いているという事は、他でも咲いている可能性はある。でも、明日からの天気は、悪そうである。ここの、シャクヤクも二つ蕾があるが、咲く気配は今のところない。

歩かないと

2007-05-18 07:24:33 | 散策
  朝の天気、晴れ。きのうとは打って変わって上天気。穏やかで、新緑がまぶしい。室温18℃。
  きのうは、高々30分とちょっとの散歩をやらなかった。荒天だった、目の前で電子の流れが、発光して、しばらくして轟音が鳴り響いた。それで、止めた。
  朝になった。起きると、右足のふくらはぎ辺りが少し痛い。なぜたり、足をブルブルさせたりする。やっぱり、歩かなかったからか。光の当たらない台所で、なぜか、オレンジ色に近いグレープフルーツを食べる。外の皮はすでにむいてあって、今度はなるべく果汁を飛ばさないように、内皮を実本体からはがす。後は食べるだけだが、これが冷たいこと。
  そう思って、もういい次にいこうとすると、何かが鳴り響いている。すぐにわかった。目覚まし時計の目覚まし音がなっている。セットを解除するのをやってなかった。ぼけたなー。そういえば、きのうの夜、撮像素子のゴミのことを書いていて、f値を小さくしなければ、つまりそんなに絞らなければ、ゴミは写らないと言うのを、反対に書いたように思えて慌てて、書き直そうとしたが、ここのパスワードがおかしい、といって、書き込みの場面に行けない。自分でも忘れる、あるいは間違うようなパスワードにしているからで、その点は、安心なのだが、ホントかどうかは別だが、やっぱり人間、いや私はちょっとしたことで、動転してしまうようで、情けない気がした。でも、4度目か5度目で、パスワードは出てきた。
  歩かないと、なんとなくその時間の過ごし方がわからなくなってしまう。普段は、そんなことがないからで、道に迷った感じがある。それで、まーたまにはそうゆう事もあるわけで、それはなんかただいたずらに時間が過ぎ去るだけで、もったいない、なんか損した感じもする。いつもなら、多少は血のめぐりがよくなっているからだ。それでは、いけないと、カメラの掃除を始めたら、結果は反対に出た。惨め。
  で、歩くのが一番で、もし、歩くのが不可能なら、ダラーと過ごすのが二番なきがして来た。それが、一番である。歩かないとすると、ダラーとして、あー無駄な時間を過ごしてしまった。それが、一番。
  きのうの事件が、まだまだ尾を引きそうで・・・。

紫蘭明暗

2007-05-16 19:01:23 | 植物・花(春)
  ホトトギスは、その鳴き声で、たぶんやって来た、と思った。それ以外に、と考える。カツオは、さすがにこの辺りでは売っていない。カツオがドウノコウノ、聞いた事がない。話題になるのは、季節を抜きにしてだが、やはりブリの小さいのから、大きいのまでで、小さいのは、フクラギとかツバイソと言う。これも、この辺りだけかどうか、魚の名前は多ければ多いほうがいい。イナダ、ハマチか、ハマチは、これは今まで何度も聞いた。
  魚と聞いて、それが何かわからない、このどきどき感がある。だから、あまりガイドブックなど読まずにやって来てこの魚は、ホントおいしいですね、て言うに限る。自分は、東京にいるから、築地の市場経由で日本はおろか全世界中のうまい魚を知っている、なんて知っていても、知らないふりをするのが、おいしく各地の魚を食べる方法ではないか。
  この辺りで、カツオは食べたことがないようなこと書いたが、一度だけ、かなり昔だが、小型のそれでもカツオの名が付いていて、刺身で売っていた。その値段と、その量と、多かったのである、刺身の状態を見て、これはいける、と思った。そのとおりで、やはり、私は今でも安くてうまいカツオの刺身を食べたい。誰でも、そうかも知れない。成長してブリとなったものが、どこへ行くか、そんな事はネコでも知っている。
  ホトトギスから、カッコウに行く予定だったが、どうもとんでもない方へ話しがそれた。ホトトギスはいいとして、いつもその鳴き声ですぐわかる鳥、カッコウ。こんな声で鳴く事は決してないが、それがやって来ない。ここでは、ホトトギスではなく、カッコウでないと困る。この鳥の鳴き声は、その名前とぜんぜん似ていないが、感触はわかる。英語の発音にも似ていない。そもそも、その鳴き声を文字にする事がおかしい。これは、やはり物まねのプロの方のお仕事である。一体、今年は、いつカッコウはやって来るのか。去年は、小さなカエル、アマガエルかどうか、そのカエルの姿は見ることがなかった。それまでは、毎年現われて、食器の上に乗っかったりしたものだ。
  今日は、なかなかのいいお天気だった、暑くもなく、涼しくもなく、また風もほどほどであった。どんよりしていて、眠気が、原因は不明、襲ってくる。これではいけないと、あちこちつねったりする。どうしたもんやら。

  紫蘭、シランは、一度登場した。再登場である。気が付くと、まーどこにでもあることがわかり、特に騒ぐものでもない。それが、またいいわけである。なぜ、ここにはないか、それが不思議だ。それで、同じときに、機械の条件は同じで撮ったもので、おやおやというものがある。



  すでに、花の寿命を終えているものもある。この後どうなるかその姿も見た。ムラサキ色で、これは名前の通り。



  肉眼でファインダを見てると、それほど違いはわからないが、たぶん一瞬日が陰ったか、日影のところを撮ったのだろう。暗くすれば、何かが隠れるわけでもないが、この辺り微妙に心をくすぐるものがある。

行雲か閑雲か

2007-05-16 07:30:31 | 散策
  朝の天気、晴れ。ほぼ快晴。うす雲が少し、穏やか。室温17℃。
  日の当たっていないところに行く。少しひんやり、さらに、冷たいトマトなど食すると、これは野菜ではないことがわかる。冷たすぎる。さらに、味がない。端境期のしょうもなさ。それで、冷えてきてヒータを付ける。まだ、灯油ヒータを出している。これが必要なのである。
  まわりの木々の葉が、やけに大きく生長する。妙な表現だが、幹や枝も伸びて、さらに新芽が出る。ここには、常緑のモチノキがいやっというほどあって、これがやけに目立つ。カエデや、柿の木も、これももう古木といっていい、100年以上生きているに違いない、すでに、葉っぱは出揃った。虫がいれば、これはおいしそうですぐにも食べられてしまう、でも、まだそのような状態になっていない。この木を見ていると、これまであった、空間がなくなったようで、また雲の流れも見えなくなって、何とも複雑な気持ちになる。
  行雲野鶴、と言う言葉はなかった。行雲流水であった。さらに、それではと、野鶴を引くと、閑雲野鶴があった。行雲流水は、執着することがない、と言うこと。それに対して、閑雲野鶴は、何の束縛も受けない、と言うところが、注目するところかも知れない。似ているようで、かなり違う。なかなかそうゆう風に生きる事は出来ない、そう言う意味では、似ている。
  鶴は一応生き物で、これは意思をも持って行動する。自分の本能というものがある。子孫の繁栄のために、生きている。水は、これは、自然そのものに近い。あるいは自然そのものか、それだと執着なんてないだろう。ポテンシャルに逆らって、滝を逆行する水はありえない。しかし、水がなければ、まず生き物の存在は考えられない。こっちの方が、低次元、原始の存在。それに、執着云々の意味を持たせているのは、何かより深い意味があるのかも。
  天気がいいから、どうもおかしな事がよみがえった、そうゆう事です。

初蝶は、アゲハ

2007-05-14 19:01:04 | 虫、その他
  お天気は、晴れ。朝方の気温は、10℃台。お昼になると、ニュースでは24℃。それからアメダスを見ると、さらに27℃まで上がっていて、もはや言葉がない。この一日の温度差を表わす言葉があったはずだが、出てこない。南西の強い風が、吹き荒れた。ちょっとはおさまるかと思ったが、とんでもない。さっきまで、ピーピーいっていた。まったくこの風が、イライラさせる。吹いて欲しいというときに吹かない。
  虫に蝶ちょ。なんか変だ。チョウチョというが、蝶々が正しい?。それは蝶のこと。昆虫の仲間にも色々いすぎて、もう少し何とかならないかとも思う。しかし虫である、と、ひとからげに出来るのはやはり楽かなー。
  成虫で冬を越したかの様な蝶を見ることがあるが、その姿は少し痛々しい。勘違いかも知れないが、しかし冬を越す蝶はいる。去年は、ひどく寒い冬だったが、レンゲ畑にモンキチョウが、なぜかかなりの数、飛んでいるのを見た。ただ、大冬だったのは2月一杯までだけで、3月は暖かいといってよかった。今年は、2月までは暖かだったが、3月になって冬に逆戻りした。それでかどうかわからないが、同じようにレンゲはしばらく咲いていたが、蝶の姿はなかった。
  それでも、ときどき、モンシロチョウ、モンキチョウを見る事はある。最近は、アゲハチョウも、ときどきだが、またその大きさはまだまだ小さいが、見かける。それよりも、テントウムシを見ることが多く、蝶よりも甲虫の類のことばかりが頭にあったが、なぜか、真っ黒で胴長で、それでいて、動きはテントウムシと同じという虫が来たところ、ヒメジオンが咲いているところに、アゲハチョウがやって来た。ヒメジオンと何度も書いているが、これは推定である。
  そりゃー、蝶もお腹が減れば、さらになぜか少し早く羽化した蝶ならお腹はペコペコで、そこに食べ物があれば、やって来る。といっても、これはなかなかあり得ないことも事実で、アゲハとはいえ、近くに人がいる場合、いくらそこに蜜を蓄えた花があってもなかなか近寄らないものだ。人ではないと思ったのかも知れない。

  風が強いので、人の気配がわからなかったのかも知れない。それより、やっぱりお腹が減っていたのだろう。私の方が、ヒメジオンの花から先に立ち去った。



  小型である。触角の一部が左上の明るい花のところに見える。



  枚数を撮ると、蝶の意外な衣装が見えてくる。少し、ギョッとするものもあった。ここは、翅の色がきれいに見えるものを選んだ。

早朝の空気の揺れ方

2007-05-14 07:16:44 | 散策
  朝の天気、快晴。いいお天気、風も弱く、穏やか。室温16℃。
  最近の日の出は何時かわからないが、午前5時、すでに明るい。ときどき、この数字を目覚まし時計で見て、それからまたひと眠りをすると、これが悪夢で、いい事はない。よっぽど、過去に悪い事をしていたのか。
  起きてまず窓を開ける。輝かしい朝である。電線にモズが止まっている。一時、いなくなった。また登場、すっと消えてゆく。そのことに気が付かず、別の窓から外を見ると、今度はキキキキッと鳴き声をあげて、やはり消えた。木が少し揺れている。そこに、たぶんいたのだろう。それ以外の音はなく、静かそのものである。
  ゴミ捨てに、外に出る。蜘蛛の巣はない。寒くはなく、また少し余裕もある。よく早朝の大気に、空気あるいは、場に、未知なるエネルギがあふれていて、元気になる、という話しを読むことがあるが、なんとなくではあるが、そうかも知れない、と思う。未知なるものは、沢山あるし、それを考えるのも楽しい。ここに、汚染されていない空気を入れることが適当かどうか、しかし、どうもそうゆうレベルの話しは、もうない気がする。少し、ゆけば国道があるし、ここで車が止まる、走らなくなることは、まずない。
  朝は、いい睡眠の後は、これは気持ちがいい。朝から、ごたごたが仕方なくある場合がある。爽快に起きて、朝の空気を吸う。まわりは新緑、山紫水明、早起きは癖になる。ご機嫌がよくない場合、それでも外に出ると、新緑がまぶしい。風は薫らないが、何かが揺れていることがわかる。そこに、風があるからだ。しかし、ご先祖様は、そこにはいない。自分の遺伝子の中にいる。
  それ以外に、揺れているものがある。早朝の振動子、これが何かのエネルギのもとである。そう思って、今日もなんとうまく過ごさないといけない。