光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

続・惜別花集

2007-05-31 19:00:23 | 植物・花(春)
  久しぶりに、大雨の中を歩いてきた。さすがに、バカだなって思う。
  雨の天気だとわかっていても、それまでの状態がさほど深刻ではない。ポツポツ、ときに瓦に雨粒が落ちる。痕跡が残る。そんな感じ。
  でも、まーやばい感じはあった。でも忘れてしまう。先ほどまで、5月も終わりだが、白い雲が流れていた。さわやかである。それが、予報どうり、怪しくなって来た。観天望気は、大体が自分の都合にいいように解釈される。実際、今日はひどい天気だったな、という感想を持ったとする。それが、例えば、病院に行くときだったりする。こりゃ普段の行ないが悪いからと思うが、その翌日がもっとひどい天気だったりすると、なんでこんな事になるのか、人事のように感嘆する。自分のときの方が楽だったなー、これは嬉しくもない。
  ひどい雨の場合、今日もそうだが、ホンの少しの時間の違いでその岐路はやって来るが、普通は少し様子を見る。今日なども、ひどい雨の時間は限られているから。これ以外に、雨が少し強いが、濡れる事は覚悟で歩くこともある。そうゆう状況にいつか鉢合わせすることがあるだろう。練習の意味もあって、それをやる。しかし、やはり今日の判断は間違っていたというか、天気の怖さを忘れている、と思う。なにしろ、すぐ近くで、落雷が。
  もう丸2週間前になるが、カメラのCCDにゴミを見つけて。こんなもの、ブロアで送風すれば問題なく取れる、と思っていた。それが、正反対な結果になって、よりひどくなって、これは修理に出さないとだめ、ということになった。長く待っていたが、それがきのう夜ようやく返って来た。運送業の方の仕事の大変さは十分わかっているので、夜遅くでも届けてくれた事に感謝。その結果だけど、電池など入れて、ファインダを見た感じでは、ファインダのゴミも取れていて、これは修理の必要に特に指定していない、まーまーかなと思った。もう夜も遅いし、確認は明日。それで、今日になって確かめて見たけど、やっぱり、CCDのゴミは、完全には取れていない。明るい雲を撮ってみて、絞り開放で、すでにゴミらしきものは写っている。でも、これでいいと思った。

  惜別って、そんなー、自分で書いていておかしくなった。それで、毎度になったシャクヤク。



  何が少し違うか、花の中心にオシベらしきものがあること。一昨日、撮りました。が、きのうが、よりよかった感じなのだけど手ぶら。で、じっくり観察したかな。



  最後は、わからないけど、白がいいかもと思う。この花少し中心が黄色、はっきりしないが外側は薄い桃色がある。でも、虫、ハチかハエか、どちらかわからないけど、がいることが肝心。花には、虫がいないといけない、あるいは、やはり、花には虫がよく似合う。  

光を出す生き物の謎

2007-05-31 07:29:03 | 散策
  朝の天気、曇り。どんよりとした天気で、風はほとんどない。室温19.5℃。
  外に出てみると、ポツポツ雨が降っている。眼鏡にこの雨滴が付く。朝の空間には、ある種のエネルギが満ちているというが、どうもその気配はない。ちょっとジメッとしているからか。植物は元気そう。
  きのうか一昨日からか、ふと蛍のことが思い浮かんだが、この画面に向かうとそのことが不思議と消えてしまった。それで、珍しく今日はそのことが脳裏にあり続ける。
  この蛍、小学校くらいで学ぶのかどうか忘れてしまったが、ずいぶんと本物に出会うまで時間があった。その本物の蛍と対面したの場所は、ずいぶんと昔の、ここの場所の近く、確か田んぼだったはず。中学生だったか、その蛍は確かにいて、牛乳瓶に入れて持ち帰り、それをその日の夜に眺めたかどうか、それははかないもので、その牛乳瓶の中で光る蛍を見たかどうか、多少は光っていたが、その日のうちだけのようだと記憶する。
  蛍の発光の仕組みというのは、これは、それからしばらくして解明された。あっけない感じだが、それはご苦労があったことだろう。化学反応で、可視光が出て、と言うことになって、ちょっと寂しい。しかし、私にとって、それは机上のことで、それがどれほど具体的に、実際的に、あるいは汗と涙とともに、あるいは、昔から詠まれた歌と一緒に理解されたかというと、これは、まったくないと書かないといけない。それより何よりも、その化学反応そのものが、まず理解しがたい。
  虫から遠ざかると、例えば、これは有名かな、ホタルイカというのがあるが、これはどのくらいの波長の光を出しているのか、実際に見たこともないし、その発光の仕組みもそういわれれば、説明できない。海に棲む生き物に、発光するものは多そうで、だが実際のところ何も知らない。さらに、可視光以外のものを出すもの、発光の仕組みが違うもの、そうゆうものもありそうで、ただ、想像してみるだけだある。
  少し前に、黒いネコを遠くから見かけて、その目が遠くからでもやけにはっきりギラリと光っていたのを見て、ここにも書いてみた。どうも、目から光を出すとはやはり考えにくい。黒いものが見えたのだから、それは反射光で、当然目にも、瞳にもそのくらいの光は当たっていた。そのネコの瞳は、かなりよく光を反射するのかも知れない。人の眼球、瞳もそういえば、やけになまなましく光るようだ。しかしそうすると、どうもその人の視力に影響があるようにも、思える。目は、光を特異的に受容する。同時に、また、怪しげな光を反射する。何とも、厄介な存在である。
  発光する植物、もあってよさそうである。これが、やはり一番安心して見ていられそう。そうゆうものは、すでに存在しているかも知れない。しかしそれを見つけた、あるいは創った人は、こっそりそれを眺めていて、これが世に出てくる、そうゆうことは、なかなか考えにくい。