光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

エビネかランか、春嵐か

2007-05-01 19:08:14 | 植物・花(春)
  ほどほどの雨とほどほどの風が吹いていた。風はあまり好きではないが、雨なら、ほどほどなら、一日中、降って欲しい。
  小型連休が終わって、普通の日なはずだが、なんかそわそわしている。だから、雨がシトシト降って欲しい、そう思った。
  エビネと呼ばれる植物がある。これを意識しだしたのは、この書き込みを始めたことが大きな要因である。特に、その花だけを意識するわけではないが、ただ知らないより知ってた方が、都合がいいし、りゅうちょうな表現も出切るというもの。このエビネは、ご家庭の庭にも、またちょうど外からもよく見える所に、鉢植えで出されていて、これは、もしかしたらエビネかも知れない、そう思う事は何度かある、あった。ここにも、エビネらしいものがある。まだ、出て来ない。ただ、エビネだと言うことは出来ない。
  さらに少しあるいはかなり昔に戻ると、ある学生さんが、このエビネを盛んに栽培されていたらしく、なおかつ写真にも撮られていて、それをあたかも何かの研究発表のごとく、順序正しく、整然と、堂々と、かつ、饒舌にその品種と色について系統的に話しをし、さらに薀蓄をいやみなく、とうとうと述べて、なるほどこれは大したものだ、と思った。歳は、ずいぶんと下なのに、こうゆう立派な方もおられるのか。
  さらに、この方は、鮎つりの名人でもあって、私はそれを、すでに天ぷらにされていたものを、ずいぶんと頂いた。こうゆうこともあったのかと、今思い出すと感慨深いものがある。
  それにしても、今日の雨はさほどでもなかったが、今日はまだ終わってないが、風は強く、ときどき建物が振動するので、あまりいい気持ちはしなかった。さらに、天気予報は、ほぼ雨と出ていて、しかし強風については何もいってなかった。そうか、お昼のニュースでは、列車が止まってる、運休している、そうゆう事は言っていた。かなりな風が吹いて、それなりに障害があったことになる。五月も、そう生やさしい季節ではなさそうだ。

  それで、これは、ランの一種ではないか、エビネではない、と思った植物と出会う。大仰に書いているが、エビネは、ちょいちょい見かけるが、ランとなるとなかなかな気もする。これも、ちょっとした機会があって、もともとこれを見ていたわけでなく、他のものを見ていて、その奥に、人知れず咲いている、紫色のラン、を見つけたのである。



  ランという言葉を調べると、この花に似た写真があって、さらに、一言ちゃんと書いてあった。



  接写出来ないのがちょっと悔しい。でも、この花を見ていると、やはりいいもので、なかなか外には出したくない、秘密裡に楽しみたいという気持ちはよくわかる。  

旅に出て五月雨

2007-05-01 07:28:20 | 散策
  朝の天気、曇りから雨。すでに雨で、かなり強い。鎮魂雨。室温18℃、でも、涼しい。
  きのうやけに暑く、それでも日付がかわるころ、くしゃみで目が開いた。鼻から何かがたれてくる。今ころの花粉症は何が原因か。花粉ではないかも知れない。それに、体がやけにひんやりして、これが少し気色悪い。鼻アレルギと冷え性ということにする。
  旅に出ている方も多いだろうなー、うらやましいなー。そんなことをしなくなってあるいは出来なくなって、かなり経つ。旅に出て、仕事のようなスケジュールであちこちをめぐると言うのも、仕事に訓練されている方々にとってはいいものかもしれない。
  ふと、遠足が思い出される。この季節は、遠足の季節で、字とは違って私の子供のころの遠足は大概はバスで、有名どころに出かけるというのが多かった気もする。しかし、今でも思い出すのが出来るのは、雨になって、遠足は中止になるかも知れない、というときで、その雨のため、確か電気科学博物館に行くことになった。それで、学校にいったはいいが、私は何の準備もしてないから、お弁当もお菓子もなく、手ぶらで出かけるということになる。この後、どうなったか、忘れてしまった。ただ、この場合、雨だから、電気科学博物館に行くことになったわけで、晴れなら、どこか近くにあるところまで歩く、遠足そのものであった、とも考えられる。
  山歩きで、日帰りだが、奥多摩は高水三山を歩いていて、それからまた、青梅線の方にもどるか、棒の嶺(この名称ははっきりしない、ぼうのれいと言ったと思う)、つまり、より北側埼玉側に歩くか、迷ったことがあった。すでに、雨がポツポツ降っていて、でも、棒の嶺の方へ向かってみたが、これがひどい凹凸のあるデゴヘゴの道で岩がごつごつ出ていて、これは、道というより岩塊とでも言った方がよく、途中青梅ほうに戻る沢道があって、あわててこっちに逃げた。この道は、後から考えたら、晴れていても、歩きとおすことが出来たがどうか、というもので、今考えてもちょっと恐ろしい。止めてよかった。
  五月雨の今日は、おとなしく、それでもどうなるかわからないが、過ごすということにしないといけない。頭も体も冷やさないと。

  これを、書く前、藁人形というの言葉を、『大辞林』で引いていた。忘れていた。しかし、その説明を見ると、かなり恐ろしいことが書いてある。