光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

通知表(-10)

2006-12-22 18:58:10 | 植物・花(冬)
  人気のない静かな空間にいると、気もそぞろということになる。
  随分と静かだ。そう思った。朝から、少しは明るくなったが、その後は変化がない。冷たそうな雨が降り続いて、かろうじて、ラジオの番組の変化で、時間の変化を知る。それも、聴こえなくなる。スイッチを切った。
  しばらくすると、静かさを強調するかのごとく、鳥の声がする。聞きなれたヒヨドリの声で、なぜか集団で飛び交っている。冷たい雨と寒気に直撃されると、鳥も普段の状態から逸する。でも、今日は、さほどひどい寒さもなく、風も静かにしている。鳥の状態から、なぜ、やけに、さえずっているのか、飛び交うのかわからない。鳥の鳴き声もなくなって、時計の針を見る。静けさが戻ったが、そうのんびりもしておれず、移動した。さっきから、チャイムが鳴っている。どうせ、集金関係だろう。間違っても、お金が入ってくる、そんな事はあり得ない。
  歩いていて、やけに寒いが、今年撮った写真を振り返るのもいいかも、と考えた。それを、やってみよう。思いつきは悪くはないが、どうもそうゆう事は、簡単には出来ないことが、すぐにわかった。この書き込みにのっけた写真は、皆残っている。準備だけして、そのままというのもある。残した方を出す事も一つの案だ。でも、数が多いし、それを見てゆくことが、ちょっと苦しい。あっさり、諦めた。

  今日は、冬至だが、今年何度か出した、ぶら下がっている、ウリの最新の様子。今日も、ちゃんと、ぶら下がっているのを見届けた。



  確か、夏は、こうゆう状態だった。カラスウリかと思ったが、花自体かなり違う。



  今は、こうゆう感じである。一応、ぶら下がっている。蔓にくっ付いている。カボチャは、澱粉でパンパン。こちらは、恐らく中は、空気の方が多いかも知れない。

煙突のあるお家

2006-12-22 07:31:26 | 散策
  朝の天気、曇り。雲も木々の枝も動かない。やっぱり暗いのはいやだ。冬至。室温9℃。
  歩いていると、いろいろなものが見えてくるが、見えなくなった、見なくなったものもある。ヒョウタンをぶら下げているお家、煙突のあるお家などである。きのう、一本左側の道に入って、久しぶりの、1軒目の煙突のあるお宅を見た。その前に、スーパから出ようとしたとき、小学生らしき子供数人が、駆け込んで来た。学校も休みか。それで、たぶんね、煙突を久しぶりに見たのであろう。
  そのお宅は、周りに、きれいに、薪のような、一定の大きさを持った木材を並べている。薪そのものかもしれない。去年の今頃は、盛んに薄白い煙が出ていた、そんな気がする。それに比例して、薪は減った。
  もう1軒、煙突のあるお宅がある。こちらは、薪というより、周りで不要となった、木材をもらってきて、それをさらに細かくして使っておられるようだ。よく見る、杉やら落葉する広葉樹が、並べられている。最近は、昔、農作業に使ったと思われるものが並んでいた。ちょっと複雑な気分。
  学生のころ、一人ここの祖父母の家に遊びに来てたころ、祖母は斧で簡単に、大きな木を半分に割った。私は、斧を振り上げはしたが、それは、目的とする、木材に当たらなかった。
  『僕の、私のうちに煙突はありません』と、お嘆きの子供さんがたくさんいそうだ。でも、サンタさんはちゃんといるし、おりこうにしていれば、煙突はなくても、プレゼントは届くのではないか。

戻しました。

2006-12-19 19:06:08 | 植物・花(冬)


  去年の今ごろは雪がひどかったので、どうもそれが鮮明に残っていて、今年はおかしいとは言えないが、落ち着かない毎日である。例年という言葉は、そんなのはない、と昔は一言で片付けていたが、やはり、その言葉が必要になってくる。例年だと、雪は降ってかつ積もるが、それはさほど問題にはならず、つまりは天が、これからこうゆう天気が続きますよと教えてくれる、お告げだったのである。
  それで、不連続な話だが、使っているミニカメラのピントの合い方が、これまでよりずいぶん悪くなった。そう思えるようになった。その例を、きのうの写真で出した。ただ、写真の見方は、人によって違う。これも、いいかなとも、私も思う。何も、ぴちっと、エッジ、輪郭が出てなくてもいい。ぼけてる方がいいじゃないか。かなり説得力がある。
  このカメラは、どちらかと言えば、接写、マクロ撮影で私に元気を与えてくれる。レンズ交換式のカメラでは、今のところ、この真似は出来ない。マクロレンズを買う予定もないし、より有効に、このミニカメラを使いたい。ようやく、感じがつかめて来た。時々、ファームウェアの更新もある。ただ、今回は、これが、裏目に出た、と私は思う。それについての明記があった。しかし、私の機械では、うまくない。幸い、昔の、古いデータも持ってる。出来ないかもしれないが、古いファームウェアに戻す作業をした。別に、問題はなかった。機械が、最新のものなら問題はないのだろうが、いまどきのデバイスでは、日々変化があって、昔も今も同じである、そうゆう事は考えられない。
  頭の写真は、無論、ファームウェアを古いものに戻したものである、これから咲くかも知れない、サザンカ、何度かここに出したことがある。



  こちらは、きのう載せたバラのその後、のはず。写真としては、きのうの方がいい。ただ、真ん中にこうゆうものが出来てる、知らないなー、それを教えてくれる写真ではある。

音波信号

2006-12-19 07:17:21 | 鉄道
  朝の天気、曇り。放射冷却が予想されたが、さほどでもない。夜中も、少し星は見えたが、雲も多かった。室温7℃。
  やけに静かである。朝方、しばらく目が開いた。つまらん事を考えている。終わりがない。近くの8号線の、騒々しい車のエンジン音が聞こえない。ノミが跳ねたら、ゴ**リが、走ったら、その音は聞こえないかというと、これは聞こえそうである。想像する。寝返りをうった。そのときに、規則性のある音がして、それは、列車の車輪が、レールの接続部でたてる振動音に間違いないと思う。似たようなことを書いている。
  XX時台の北陸本線を走る列車は多い。私は、街の大きな駅に止まる列車の時刻表を見ている。新聞に入ってくるもの。上り、金沢方面はどうか。『日本海』、『北陸』、『しらさぎ』、『能登』、まことに豪華な顔ぶれが並ぶ。あと、普通1本。下り、直江津、新潟方面は、XX時台は、YY分に1本あるだけ。寂しい。
  それで、私が、聞いた列車の振動音は、どのものであるか、考える。音の時間が短かった。3両か4両編成であろう。金沢方面だと駅を通過しての時間となる。予想される、普通列車は、駅に停車、しばらくして発車となる。ぎりぎり、XX時台だ。一方、直江津方面は、これは、1本しかなく、しかも普通。どうも、これが、伝わった振動音の列車のようだが、ただ時間が少し早すぎる。
  時間がやって来た。雲をつかむような話である。

おぼつかない事の多いことなど

2006-12-18 19:18:35 | 散策
  お天気の、特に雪の心配はなくなった。気象台では、初雪を観測。さらに、気温は低いが、まだまだ寒気の底力が発揮されることなく、穏やかな感じである。風も、さほど強くない。でも、内でも外でもほどほどに寒く、外に出るときは、氷点下の格好となる。何しろ、暖かに推移しているが、ふだんの格好は真冬に近い。今日は、やはり、この何ヶ月かで一番冷えたから、それなりの格好をする。どうしていいか、わかりません、正直な気持ちである。
  今が、何年でも何月でもいいという考えだが、ただ、それでは世の中では通じないので、そこは、あっさり今は12月、それも後半ということに従う。さらに、来年のことも視野に入れないといけなくなる。カレンダは結構あるみたい。酒屋さんのは、まことに便利だ。暦以外、その他に変化はない。これは、使える。写真が、見事なものが、カレンダに使われると、私は、それをカレンダとして使う気になれない。いらないかと言われるともらう。ほとんどが、そのままめくられることなく、ぶら下がるか、丸めて残り少ない空間に置かれる。
  すぐ、左側に、2000年のカレンダがぶら下がっている。掛け軸のごときが印刷されている。漢字が書かれているようだが、読めっこない。さらに、カーテンの奥にもあるが、これは、何かわからない。ブラインドとして使っている。裏から、強烈な日光が当たってるから、12、11月は、もうインクが消えてるかもしれない。立派な日本画が印刷されたものは、ある箱と扉の間にサンドイッチにされて、かつ圧をかけられている。だから、丸まっていたものが今も、ずいぶん昔から、まっ平らにされたままで、これは、扉が少し傾くのを防止するのに役立っている。扉は、中央に向かって少し傾く。だから、反対の柱のある方の上側に少し隙間ができる。カレンダは、摩擦剤として役立っているのだ。
  来年のことを知らないといけない時期になったと言うことだった。それで、カレンダもいいが、今年の手帳と、来年から始まる5年手帳、Diaryの、あちこちを見て、つながりがある事を確め、やはり、5年手帳は使いづらいと思った。それで、やけに時間をくったが、よく見ると今年の手帳にも来年の3月までの、日付けが出ているのを見て、少し気落ちした。あわてることはない。が、これから先、おぼつかない事がはっきりして来た。

  ピンボケとは何か、自分の事はわすれて、やはり、わかりやすいのは写真である。ねらったはずのものに、焦点が合わないのは、悲しいことである。使い方の問題がある。さらに腕の問題もある。でも、これまで、こうゆう事はあまりなかった。ここにすでに出したバラの、最近の表情だが、2枚撮って2枚とも花にピントは合ってなかった。でも、これは、これでいい気がした。自分らしいじゃないか。カメラも、よくわかっている。


雪の下のアジサイ

2006-12-18 07:30:42 | 植物・花(冬)
  朝の天気、曇り。ミゾレ(霙)、アラレ(霰)、ヒョウ(雹)、いずれでもない、かつ雪でもない、しいて言えば、かき氷みたいなものが、積もっている。室温8℃、北風。
  すでに、芽を出している植物を見る。梅のものは、小さい花芽。コブシかモクレンか、相変わらずわからない、その花芽は、かなり大きい。これを、ちょっと試し撮りした。見事に失敗して、奥の枝が写っている。
  雪が降ると、雪が積もる。多くの植物は、この雪を背負う、ここでは。ツツジも、春ににおうジンチョウゲも。しかし、今のここのジンチョウゲは、枝だけになってるので、もしかしたらそのままの形で雪に埋まるかもしれない。曲がらずに。アジサイはどうかというと、まっすぐのまま雪に埋まるもの、曲がってそれでも顔は出るもの。曲がって雪に埋まるものそれぞれである。
  この、埋まったアジサイを何とかしたいと思うことがある。建物の北側、瓦に雪の滑り止めがないと、ドッと雪が滑り落ちる。北側、まず溶けることがない。きれいに、あるいは曲がって埋まるアジサイ。しばらくすると、雪はカチカチになって、氷と化す。もはや、スコップ、シャベルも入らない。へたにやると、幹を傷つけ、切断する。が、しかし、アジサイの場合、こうゆう作業は、いらない。やってもいい、さらに、多少傷ついても、やがて、雪が解けるとアジサイは、よみがえる。幹の途中が雪に埋まっていても、先の方が雪から顔を出す。すでに、芽が、葉っぱの芽が十分緑色。折れて、朽ちたと思われるものも、これは、雪に埋まっていた方がいいみたいだ、やがて芽がでる。実験したことはないが、枝の3、4cmあれば、それが、水分を含んだ土に埋まれば、アジサイは再生する。恐ろしい生命力である。
  少し、青空が出てきた。これからが、雪とたわむれる、そうありたい、季節である。

やっぱりナゾナゾ

2006-12-15 19:19:47 | 植物・花(冬)


  お天気ニュースを聴いていると、随分と温かかったらしい、ラジオもTVでも、アナウンサはそう言われた。しかし、それは、フトコロが暖かいということではないか、なぜかそうゆう風に聴こえた。声が、少し上ずっているし。でも、ラジオもTVも休みはないから、それに、毎日聴いたり見たりしてお世話になってるわけだし、これ以上言えない。
  私も、少し外に出てみた。なんとなく、体がカチカチな感じがする。ふだんやらない、宛名書きなどやってるからだ。いつもと違って、随分と緊張する。間違えてはいけないし、うまく書かないといけない。そう思えば思うほど間違える?。しばらくして、一度下書き、練習をしてみると、ホンの少し楽になる気がした。しかし、それは、練習。
  珍しくもないが、南からの風が吹いている。大体で、南西のもあれば、南東の場合もある。少し雨も降った。全般的には、曇り。お日様が出てなくて、風があると体感気温は下がる。寒くはなかった。ただ、暖かくもなかった。

  最初に載せたのは、ツバキの葉っぱの芽である。この秋に、きれいさっぱり幹と枝になってしまった。春も、そうなった。年に2回も、虫に食料を提供した、なんとも働き者のツバキである。花が咲けば、ヒヨドリが蜜をついばむ。だから、その花は、見ごろなのだが、落下する。今は、さすがに、葉っぱのもとを造るので精一杯。自分自身のある部分を葉っぱのもとには変換できるが、やはり光合成が出来ないと十分な構成物とエネルギはまかなえず、現状維持か少し大きくなるくらいで推移している。冬は、光が少ない。日も短いし、その日も出ない。



  これは、またなんと・・・、でもそう驚くことでもない。一ヶ月前の晴れた日の青空と大木。こうゆう日も、ツバキも経験している。植物に関していうと、この木は、多分枯れている。おそらく、もう芽を出すことはない。これだけの大木になるのに、それは、かなりの時間、年代が必要だった。2、3年前、台風が襲ったときも、この木は生き延びた。

  それで、なにがナゾナゾか、これは、私が、いつもお昼に見ているTVでの話で、それは、小さい子供が夢中になるのもそうだが、TVででるナゾナゾというのも、やっぱりなかなか、そのココロが出てこないと言うことである。漢字の練習帳を埋めるのが、一番いいかも知れない。

0月があったら

2006-12-15 07:30:57 | 散策
  朝の天気、晴れ。南の風が吹いている。細い、おしりを照らされている月。室温10℃。
  なんか、押し迫るものがある。まだ眠いが、起きないといけない。でも、もう夢を長く見ていて、夢は概してあまり面白くない、そこから抜け出したいと思ってる。さらに、押し迫ってくるものがある。時計の動きは、感傷で遅くはならない。
  12月か、今年も終わりか、もう今年も終わりですね。早いねー、ほんと、1年は早い。これは、同時にあと何年かという発想にゆくが、この考えとゆうか、遊戯は怖いので、すぐに中止する。
  終わりでなくて、最初にしたらいい、この時期いつもそう思う。しばらくは、早いねに同感し、自分もそう思う。この言葉が、電波や文字に氾濫すると、いい加減いやになってくる。もう、2007年の0月にすればいいじゃないか、そう思うようになる。
  2006年の11月は、2007年の-1月である。2006年でもいいし、2007年でもいい。0とマイナスをつければ、自由自在だ。でも、またしばらくすれば、今年も終わりかという感傷にとらわれるのも事実で、さらに、0やマイナスの記号も忘れてしまう。
  いったい何が言いたいのか、そう言われると、困る。でも、まー自然数というのは正の整数のことで、0は含まれない。確かに、0は数ではないともいえる。そうゆう感じのことである。

昔に向かって走る

2006-12-13 19:16:55 | 植物・花(冬)
  あっさりと雨になった。もう少し晴れそうだったのに。いっぺんに、雨に。
  手帳を見たりする。予定ではなく、過ぎ去った時間の方を。しかし、ほとんど何も書いてない。朝の温度とか、天気とか。これでは、過去を振り返ることも出来ない。それでも、ところどころに妙なことが書かれていて、やっぱりそれはお金に関することであったりする。何か、悪い事しかしてない気分だ。でも、まー最低限、必要なお金は出てゆくわけだし、いまさら後悔するなんておかしい。
  それで、今年は何から始まったか。これははっきりしている。眠っていたというのではない。これは、手帳にも書いてないが、記憶にある。ただ、正確かというとやはり怪しい。今年は、いや間違った、来年はそうはありたくない。あれれ、昔に走っているのだった。雪のこと。これは確かにひどかった。あんなに早くつもるとは。あれよあれよという間に、50センチぐらい雪が積もった。あとは、温度。冷蔵庫の設定温度、仮に4℃としておく、より室温のほうが低かった。でも、こうやって、こんな調子で書いているというのは、まだまだ本当の冬の怖さをわかっていない、そうゆう事を証明してる気もしてきた。過去を振り返るより、やはり、昔に向かって走らないといけない。それも、かなり昔に。そのくらいで、ちょうどバランスがとれる気がする。
  お正月に来たハガキの整理をしていて、否応なしに少し若かった時間に引き戻された。だからだ。一瞬、その、ある時代に戻ったような幻想にとりつかれた。しかし、そんなことはあり得ないのである。いつもの、いまの私に戻り、あれはどこに行った、去年の黒い枠のハガキは今年は必要だ、あたふたとして、少し疲れた。

  セイタカアワダチソウを見ていて、時々寄るお寺のほうへ足を向けた。それで、なぜか最近は見かけないコリー犬を見た。コリーと少し感じは違う。その犬は、かなり寒いはずなのにじっとしていた。地面が白い石だったからか、ワンちゃんもおとなしかったからか、ホンの1mくらいのところで、ようやく気が付いた。人になれているのだろう。寒いのに、少し顔を上げてまた目をつむった。そこにあるフジバカマ、秋にも出した。今は、こんな感じ。



  接近した状態。なんだかわからないのは。セイタカアワダチソウと同じ。



  ここまでくると、まだまだ現役のフジバカマだよね。

本当に冬なのかな

2006-12-13 07:30:04 | 散策
  朝の天気、晴れ。風がある。窓を見るが結露なし。室温8℃。
  起きるときに、きのうの失敗とかが、思い出されていやッな感じがする。今朝もそうだったが、やけにいい天気なのでそれを忘れ、もたつきつつ着替えて、食べるものを食べて再び外を眺める。なんかあー冬じゃない、ほんの少し浮かれてもいいような、明るさと、アルプスのなめらかな風景と、木々の枝の揺れ方。
  こんなことでいいのか。もう少し寒くて、雪も少しはちらついて、寒くて、あまりに寒くて、寒さを感じない、そうゆう時があっていいはずだが、まだない。私の一部は、ずっとふるえていて、これは止まらない。はっきりしている不安と、普通の冬の不安で。これと、本当の冬の冷たさの、厳しさの不安が重なったときどうなるか、それを早めに体験しておきたいのだ。
  ここまで書いてみたが、しばらくすると、どうも本当の寒さが、冷たさがやって来そうである。来週の頭あたり。なんで、こんなときにという日である。多分、これは、寒波らしい寒波になりそうな予感がする。そうゆう風に出来ているようである。
  太陽がまぶしく、木々の枝はゆらゆらしているし、そういえば夜もずっと晴れていたようである。ちょっと窓を開けて空を見る。普通の星空で、特に変化はなかった。