光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

おぼつかない事の多いことなど

2006-12-18 19:18:35 | 散策
  お天気の、特に雪の心配はなくなった。気象台では、初雪を観測。さらに、気温は低いが、まだまだ寒気の底力が発揮されることなく、穏やかな感じである。風も、さほど強くない。でも、内でも外でもほどほどに寒く、外に出るときは、氷点下の格好となる。何しろ、暖かに推移しているが、ふだんの格好は真冬に近い。今日は、やはり、この何ヶ月かで一番冷えたから、それなりの格好をする。どうしていいか、わかりません、正直な気持ちである。
  今が、何年でも何月でもいいという考えだが、ただ、それでは世の中では通じないので、そこは、あっさり今は12月、それも後半ということに従う。さらに、来年のことも視野に入れないといけなくなる。カレンダは結構あるみたい。酒屋さんのは、まことに便利だ。暦以外、その他に変化はない。これは、使える。写真が、見事なものが、カレンダに使われると、私は、それをカレンダとして使う気になれない。いらないかと言われるともらう。ほとんどが、そのままめくられることなく、ぶら下がるか、丸めて残り少ない空間に置かれる。
  すぐ、左側に、2000年のカレンダがぶら下がっている。掛け軸のごときが印刷されている。漢字が書かれているようだが、読めっこない。さらに、カーテンの奥にもあるが、これは、何かわからない。ブラインドとして使っている。裏から、強烈な日光が当たってるから、12、11月は、もうインクが消えてるかもしれない。立派な日本画が印刷されたものは、ある箱と扉の間にサンドイッチにされて、かつ圧をかけられている。だから、丸まっていたものが今も、ずいぶん昔から、まっ平らにされたままで、これは、扉が少し傾くのを防止するのに役立っている。扉は、中央に向かって少し傾く。だから、反対の柱のある方の上側に少し隙間ができる。カレンダは、摩擦剤として役立っているのだ。
  来年のことを知らないといけない時期になったと言うことだった。それで、カレンダもいいが、今年の手帳と、来年から始まる5年手帳、Diaryの、あちこちを見て、つながりがある事を確め、やはり、5年手帳は使いづらいと思った。それで、やけに時間をくったが、よく見ると今年の手帳にも来年の3月までの、日付けが出ているのを見て、少し気落ちした。あわてることはない。が、これから先、おぼつかない事がはっきりして来た。

  ピンボケとは何か、自分の事はわすれて、やはり、わかりやすいのは写真である。ねらったはずのものに、焦点が合わないのは、悲しいことである。使い方の問題がある。さらに腕の問題もある。でも、これまで、こうゆう事はあまりなかった。ここにすでに出したバラの、最近の表情だが、2枚撮って2枚とも花にピントは合ってなかった。でも、これは、これでいい気がした。自分らしいじゃないか。カメラも、よくわかっている。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿