はっきりとしない天気で、雨はいまは降っていない。
お祭りの話ではないが、身近でどうもはっきりとしない、という時間が続いている。
マツリゴトは、別。
きのうも同じようにはっきりとしない天気で、なかなか大変である。加速するものは何か。
で、時間はどのようになるかは書けないので、時計の針でゆくと、午前ぎりぎりで、
少し撮りだめしておかないと、という考えが起こることは、いまの私の時間では普通。もう一度、きのうの
こと。
カメラ持った時間は短い。
どうするか迷ったが、もう雨も降るのでやめようと思ったとき、反対方向に、
どこかで見たようなネコ、チャトラ。この想い出はいろいろ書いているが、想い出ではない、というものを
最後に。
めんどくさい書き方をしているが、事情は自分にもあって、他にもある。
その一。
その二。考えられるのはナンテンの葉。だが、ピント、焦点の問題が発生している。
ISOを上げて撮っているが。きのうの画像で、今朝これを見ているが、やはりがっかり。
その三。
その四。緑、雑草の緑もいまとなっては魅力的で、欲しいところで、これは大丈夫だった。
その五。タンポポの花も開いているので、温度は低くはないと思う。
その六。ドウダンツツジ。きれいな赤い葉の色をほかの場所で見ている。ここにもあったはずだ。
少し赤くなっている。気が付いた。ただ、日当たりは、他の勢いのある同じ場所にある植物に負ける
ので、よくはない。これも画像ではそう思えて、自分の目で見ていると、もう少しいいんじゃないか、と
も思う。
その七。
その八。結構じっくりと見ているつもりだが。ここにも新しい緑は見える。
今ごろの、秋の赤い色は、ほかでは木の実のそれがある。柿の実もある。
柚子は黄色いが、押しなべて、実の出来方はいいようである。あーあれだとここのいえの柚子よりもいいな
と思ってしまう。
それで、しばらくして、振り向くと。
その九。あれ、何度も見たネコのようだが。PCのモニタでは、等倍で見ることが出来る。
目の様子を見ていて、やはり「チャトラ」は生きている、と思いたくもなる。
このとき、後ろから車が来て、ネコは、お隣の細い道へと移動した。
このネコの、たぶん母ネコだろうと言うネコは、ずいぶんと長く、いつもの場所に現われて、
しかし、あるときついに来なくなった。夏の終わり。動きは、痩せたが俊敏。変わらなかった。
私と反対。
今週の水曜日だったと思う。もともと、そこにいたのではないか、という場所に、そのネコの姿を
見付けた。ネコは小さくも大きくも見えるが、目が細くなった少しきつい顔は、変わらない。
あれ、ここにやはりいたか。いつもの、睨み付けるようなその目を見て、元気そう。
その子供のネコである、チャトラだが、この画像の道で、見るときがある。この先へと向かうとき
が多い。
一度、ここにも書いているが、あるとき台所の回転式のドアの、開けることの出来る隙間から、
20cmは開けていた、その姿を見た。まさか、そこにないものを見たのか、考えるのは普通で
だが悩まないことに。見つけられないものはあるが、いまのところ、不思議は特にない。
ときどきわからなくなる赤いボールペンは、やはり探すとある。
道で会って、シッポを降るときもあるチャトラ。距離があるので。ネコにも反応があると思いたい。
ただ、ネコにネコの目的はあって、あー元気でいる。それだけでいい。
心の中はのぞけないが、ほかに心配ごと、あるいはどうなるのか、というものは多く、
しかし、それはいつもその時代、時間にあること。
お祭りの話ではないが、身近でどうもはっきりとしない、という時間が続いている。
マツリゴトは、別。
きのうも同じようにはっきりとしない天気で、なかなか大変である。加速するものは何か。
で、時間はどのようになるかは書けないので、時計の針でゆくと、午前ぎりぎりで、
少し撮りだめしておかないと、という考えが起こることは、いまの私の時間では普通。もう一度、きのうの
こと。
カメラ持った時間は短い。
どうするか迷ったが、もう雨も降るのでやめようと思ったとき、反対方向に、
どこかで見たようなネコ、チャトラ。この想い出はいろいろ書いているが、想い出ではない、というものを
最後に。
めんどくさい書き方をしているが、事情は自分にもあって、他にもある。
その一。
その二。考えられるのはナンテンの葉。だが、ピント、焦点の問題が発生している。
ISOを上げて撮っているが。きのうの画像で、今朝これを見ているが、やはりがっかり。
その三。
その四。緑、雑草の緑もいまとなっては魅力的で、欲しいところで、これは大丈夫だった。
その五。タンポポの花も開いているので、温度は低くはないと思う。
その六。ドウダンツツジ。きれいな赤い葉の色をほかの場所で見ている。ここにもあったはずだ。
少し赤くなっている。気が付いた。ただ、日当たりは、他の勢いのある同じ場所にある植物に負ける
ので、よくはない。これも画像ではそう思えて、自分の目で見ていると、もう少しいいんじゃないか、と
も思う。
その七。
その八。結構じっくりと見ているつもりだが。ここにも新しい緑は見える。
今ごろの、秋の赤い色は、ほかでは木の実のそれがある。柿の実もある。
柚子は黄色いが、押しなべて、実の出来方はいいようである。あーあれだとここのいえの柚子よりもいいな
と思ってしまう。
それで、しばらくして、振り向くと。
その九。あれ、何度も見たネコのようだが。PCのモニタでは、等倍で見ることが出来る。
目の様子を見ていて、やはり「チャトラ」は生きている、と思いたくもなる。
このとき、後ろから車が来て、ネコは、お隣の細い道へと移動した。
このネコの、たぶん母ネコだろうと言うネコは、ずいぶんと長く、いつもの場所に現われて、
しかし、あるときついに来なくなった。夏の終わり。動きは、痩せたが俊敏。変わらなかった。
私と反対。
今週の水曜日だったと思う。もともと、そこにいたのではないか、という場所に、そのネコの姿を
見付けた。ネコは小さくも大きくも見えるが、目が細くなった少しきつい顔は、変わらない。
あれ、ここにやはりいたか。いつもの、睨み付けるようなその目を見て、元気そう。
その子供のネコである、チャトラだが、この画像の道で、見るときがある。この先へと向かうとき
が多い。
一度、ここにも書いているが、あるとき台所の回転式のドアの、開けることの出来る隙間から、
20cmは開けていた、その姿を見た。まさか、そこにないものを見たのか、考えるのは普通で
だが悩まないことに。見つけられないものはあるが、いまのところ、不思議は特にない。
ときどきわからなくなる赤いボールペンは、やはり探すとある。
道で会って、シッポを降るときもあるチャトラ。距離があるので。ネコにも反応があると思いたい。
ただ、ネコにネコの目的はあって、あー元気でいる。それだけでいい。
心の中はのぞけないが、ほかに心配ごと、あるいはどうなるのか、というものは多く、
しかし、それはいつもその時代、時間にあること。