ときどきひどくいい天気になる。ひどい天気ではなく、ひどくいい天気なので、
じっとしているわけにゆかなかった。今日のこと。
ただ、今日は朝は目覚まし時計で起きている。これがどうゆうことか、なかなかわからない。
いい睡眠だったのか、あるいはそうではないのか。夢は、いくつか見ている。
大体右向いて眠ることにしている。その次は、左向き。心臓の位置が、少し違う。
入院していたときは、点滴もしていた。したがって、真上を向いている。
いま思うと、よくあの状態で眠ることが出来たな、とも思う。入院も「若いとき」に限る。
このとき、おもしろい体験をしているが、過去に書いているかも知れず、自分でもわからない。
画像は、10月13日のもので感じとしてはかなり前だ。自分で判断して、困ったときの画像かも、と
思ったのだろう。
ただ、かなりまぶしい画像のはずで、見たくなかったのかも知れない。気まぐれである。
その一。大物の雲のような気もする。実際はどうかわからないが。
その二。近い雲のような気もする。
その三。明るい空。
その四。いまはこうゆう画像を撮るのは止めている。鳥はトビかな。カラスもある、可能性。
その五。ホワイトバランスを、曇りから太陽光に。最初は上にある丸みのある雲がおもしろそう
だと思う。ガラス戸に、執拗にくっ付いている綿埃なども、接近して撮ると、この形に。
その六。画像を少し調整して様子をみる。明るさを主にしている。立体感もわかる。不定形な雲。
すぐに何かは思い浮かばないが。
その七。一度カメラの方向を変えて。
その八。ある程度時間差のあるものを並べている。雲はどうゆう計算をしているのかな。
その九。
今日の朝の様子は、割とさわやかで、きれいな雲も出た。ただ、一度、全体的に雲が大空を覆って、また雨かと
思わせる時間があった。何度か玄関から外に出て、少し片付けもの。玄関の向きとか、たくさんむかしの靴
なども置いてあるが、気にしない。しかし、ここで滑って転んだことは、忘れられない。
そのうちに、やけに日が強くなってきた。雲が薄くなって、背中に日が当たる。これはなかなか気持ちは
いいものだが、それゆえか、洗濯をすることにした。
洗濯は、大部分は洗濯機にまかせる。すでに洗濯槽に入っているものがある。多く入れないこと。
でも結局、あれも入れようこれも入れよう、となる。
洗濯も掃除も、似たようなもので、ほとんどやったということにしか意味はないように思うが、
あまり悪口はいえない。しかし、掃除をして翌日くらいで、朝、太陽光が入ってきて、そこにもう綿埃
がある。そうゆうことがわかる。考え方としては、自分にとっては運動だな、といつも思う。
運動することに、意味はあって、これでも衣類から、あるいは自分の身体から、こぼれ落ちるゴミは
ある。
洗濯もやる。掃除機も動かす。きれいになった、としよう、というところ。
天気しだいと思うが。背中を熱くしてくれるのは、お日様である。
じっとしているわけにゆかなかった。今日のこと。
ただ、今日は朝は目覚まし時計で起きている。これがどうゆうことか、なかなかわからない。
いい睡眠だったのか、あるいはそうではないのか。夢は、いくつか見ている。
大体右向いて眠ることにしている。その次は、左向き。心臓の位置が、少し違う。
入院していたときは、点滴もしていた。したがって、真上を向いている。
いま思うと、よくあの状態で眠ることが出来たな、とも思う。入院も「若いとき」に限る。
このとき、おもしろい体験をしているが、過去に書いているかも知れず、自分でもわからない。
画像は、10月13日のもので感じとしてはかなり前だ。自分で判断して、困ったときの画像かも、と
思ったのだろう。
ただ、かなりまぶしい画像のはずで、見たくなかったのかも知れない。気まぐれである。
その一。大物の雲のような気もする。実際はどうかわからないが。
その二。近い雲のような気もする。
その三。明るい空。
その四。いまはこうゆう画像を撮るのは止めている。鳥はトビかな。カラスもある、可能性。
その五。ホワイトバランスを、曇りから太陽光に。最初は上にある丸みのある雲がおもしろそう
だと思う。ガラス戸に、執拗にくっ付いている綿埃なども、接近して撮ると、この形に。
その六。画像を少し調整して様子をみる。明るさを主にしている。立体感もわかる。不定形な雲。
すぐに何かは思い浮かばないが。
その七。一度カメラの方向を変えて。
その八。ある程度時間差のあるものを並べている。雲はどうゆう計算をしているのかな。
その九。
今日の朝の様子は、割とさわやかで、きれいな雲も出た。ただ、一度、全体的に雲が大空を覆って、また雨かと
思わせる時間があった。何度か玄関から外に出て、少し片付けもの。玄関の向きとか、たくさんむかしの靴
なども置いてあるが、気にしない。しかし、ここで滑って転んだことは、忘れられない。
そのうちに、やけに日が強くなってきた。雲が薄くなって、背中に日が当たる。これはなかなか気持ちは
いいものだが、それゆえか、洗濯をすることにした。
洗濯は、大部分は洗濯機にまかせる。すでに洗濯槽に入っているものがある。多く入れないこと。
でも結局、あれも入れようこれも入れよう、となる。
洗濯も掃除も、似たようなもので、ほとんどやったということにしか意味はないように思うが、
あまり悪口はいえない。しかし、掃除をして翌日くらいで、朝、太陽光が入ってきて、そこにもう綿埃
がある。そうゆうことがわかる。考え方としては、自分にとっては運動だな、といつも思う。
運動することに、意味はあって、これでも衣類から、あるいは自分の身体から、こぼれ落ちるゴミは
ある。
洗濯もやる。掃除機も動かす。きれいになった、としよう、というところ。
天気しだいと思うが。背中を熱くしてくれるのは、お日様である。