いろいろな「その後」がある。
最近は、TVをつけていても音は出さないときが多い。今日も、朝の子供さんの番組は少しだけ見ていて、
そのことも忘れてしまったが、気が付いたところで、電源を切った。
新聞もパラパラと見たが、というところ。
全国紙というといくつあるか、謎めいた数字。どの情報が信頼できそうか、あるいはどの情報が重要で
この先というと未来だが、地球上にあるか。大仰だが、その辺りまで、あるものに関して危機的である。
60歳を越してしまった。あるいは、東日本大震災は経験していないが、様々な危機的状況に耐えられるかと
いうと、どうもそうゆう気がしない。長生きするのは大変だから、という気持ち。
残りあと、何年あるか。このことが常に突きつけられている。眠っているときは、それは忘れているが。
今日の夢は、どうゆうわけか大学の入学試験で、でも大学でなくてもいいだろう。しかし、結果は、不合格。
夢の中でも、こうゆう結果が出ている。もっとも、今日はそうゆう夢を見ながら、5時半ごろまでは眠っていた。
夢だから。そうゆうことにしておこう。むかしよく見た夢は、最近は少なく、TVというと「E テレ」しか見て
いない場合が多いが、タレントさんが夢に出る。これはむかし、どのくらいむかしか限定出来ないが、なか
った。
芸人さんが多い。なんでやねん、自問する。答えはない。
きのう、西側に広がる田んぼに夕方出かけたのは、もしかして天気の変化もあって、雲が切れて
まずは日の入りが見えるか、それからおまけに金星も見えたらと思ったからだが、時間的には早すぎる。
見える可能性がない、腹の中で思っている。周りを見渡すと、茶色いが、あるところだけがやけに緑が濃い。
麦を植えるのに早すぎる。刈り取られたあと、再び芽を出した、イネ。これの緑、輝くところまではいか
ないが、なんだろうと思わせるだけの色と勢いがあった。
おコメ、イネはよかったようで、そのあともきれいである。
すぐに帰ってくる予定で、カメラも持っていない。結局、いつものとおり、雲の画像にしたが、
ふつうの入道雲だけど、おどろおどろしいものもありそうで、見方によっては、気持ちが悪いという
ことになりそう。枚数は少なくした。笑えるというか、ユーモラスなものが多くなるはずだが、その逆も
あって人間の心理状態は複雑。ほかに、日の出のときの様子、穏やかな青い空にした。
9月27日。目で見ていると、発達した入道雲である。特に見ていて、気持ちが悪いとかいうことは
なかった。
その一。実物の雲と、画像として残るものとに違いはあって、よくみると、グロテスク。
その二。雲以外の何かに見えてしまう。
その三。
その四。夕方であって、夕日が当たっている。
その五。この入道雲で止めているが、9月27日は、この後きれいな色も出て、穏やかな状態に変わって
いる。
9月30日、朝。似たようなものは出ているかな。
その六。
その七。
10月01日。秋晴れのきのう。ちょうどお昼ころ。
その八。
その九。
その十。これだけ、きれいな空があって、その後交互に晴れて曇ってで、多分夜は曇っていたと
思う。
きのうは、1週間分の食料を届けてもらう日で、朝の雨も上がって、なおかつ時間的にも早かった。
ものが届いて支払いもして、冷蔵庫に入れるものはいれると、気分は楽になる。
土曜日は、なかなか緊張感のある日で、この後、季節は晩秋、初冬となるわけ。これからさらに日が短く
なる。はっきりというと、暗い、雪も降る。この経験をもう4年しているが、ただ、この4年は正確とは言い
がたいので、大体である。
年々、いつ来るかなという心配はある。ネットで追跡可能だが、いつかはわからない。
いろいろなことが考えられる。でもここに書くことではない。配達してくれる方に、言葉では言わないが
感謝している。
もう母も亡くなって、時間はたつのでその日がいつだったか考えることもしないようにしている。
そのさらに4年前が父で、このときは、あまり慌てることはなかった。
これも心の中に閉じ込めておくべきものだろう。
もっと重要な、あるいは危機的なことが、現実としてある。
最近は、TVをつけていても音は出さないときが多い。今日も、朝の子供さんの番組は少しだけ見ていて、
そのことも忘れてしまったが、気が付いたところで、電源を切った。
新聞もパラパラと見たが、というところ。
全国紙というといくつあるか、謎めいた数字。どの情報が信頼できそうか、あるいはどの情報が重要で
この先というと未来だが、地球上にあるか。大仰だが、その辺りまで、あるものに関して危機的である。
60歳を越してしまった。あるいは、東日本大震災は経験していないが、様々な危機的状況に耐えられるかと
いうと、どうもそうゆう気がしない。長生きするのは大変だから、という気持ち。
残りあと、何年あるか。このことが常に突きつけられている。眠っているときは、それは忘れているが。
今日の夢は、どうゆうわけか大学の入学試験で、でも大学でなくてもいいだろう。しかし、結果は、不合格。
夢の中でも、こうゆう結果が出ている。もっとも、今日はそうゆう夢を見ながら、5時半ごろまでは眠っていた。
夢だから。そうゆうことにしておこう。むかしよく見た夢は、最近は少なく、TVというと「E テレ」しか見て
いない場合が多いが、タレントさんが夢に出る。これはむかし、どのくらいむかしか限定出来ないが、なか
った。
芸人さんが多い。なんでやねん、自問する。答えはない。
きのう、西側に広がる田んぼに夕方出かけたのは、もしかして天気の変化もあって、雲が切れて
まずは日の入りが見えるか、それからおまけに金星も見えたらと思ったからだが、時間的には早すぎる。
見える可能性がない、腹の中で思っている。周りを見渡すと、茶色いが、あるところだけがやけに緑が濃い。
麦を植えるのに早すぎる。刈り取られたあと、再び芽を出した、イネ。これの緑、輝くところまではいか
ないが、なんだろうと思わせるだけの色と勢いがあった。
おコメ、イネはよかったようで、そのあともきれいである。
すぐに帰ってくる予定で、カメラも持っていない。結局、いつものとおり、雲の画像にしたが、
ふつうの入道雲だけど、おどろおどろしいものもありそうで、見方によっては、気持ちが悪いという
ことになりそう。枚数は少なくした。笑えるというか、ユーモラスなものが多くなるはずだが、その逆も
あって人間の心理状態は複雑。ほかに、日の出のときの様子、穏やかな青い空にした。
9月27日。目で見ていると、発達した入道雲である。特に見ていて、気持ちが悪いとかいうことは
なかった。
その一。実物の雲と、画像として残るものとに違いはあって、よくみると、グロテスク。
その二。雲以外の何かに見えてしまう。
その三。
その四。夕方であって、夕日が当たっている。
その五。この入道雲で止めているが、9月27日は、この後きれいな色も出て、穏やかな状態に変わって
いる。
9月30日、朝。似たようなものは出ているかな。
その六。
その七。
10月01日。秋晴れのきのう。ちょうどお昼ころ。
その八。
その九。
その十。これだけ、きれいな空があって、その後交互に晴れて曇ってで、多分夜は曇っていたと
思う。
きのうは、1週間分の食料を届けてもらう日で、朝の雨も上がって、なおかつ時間的にも早かった。
ものが届いて支払いもして、冷蔵庫に入れるものはいれると、気分は楽になる。
土曜日は、なかなか緊張感のある日で、この後、季節は晩秋、初冬となるわけ。これからさらに日が短く
なる。はっきりというと、暗い、雪も降る。この経験をもう4年しているが、ただ、この4年は正確とは言い
がたいので、大体である。
年々、いつ来るかなという心配はある。ネットで追跡可能だが、いつかはわからない。
いろいろなことが考えられる。でもここに書くことではない。配達してくれる方に、言葉では言わないが
感謝している。
もう母も亡くなって、時間はたつのでその日がいつだったか考えることもしないようにしている。
そのさらに4年前が父で、このときは、あまり慌てることはなかった。
これも心の中に閉じ込めておくべきものだろう。
もっと重要な、あるいは危機的なことが、現実としてある。