「きな臭い話」をスマートに書ける人は、いまの時代を乗り越えてゆくことが出来る。そうゆう気がする。
新聞を読んで、そう思う。いったいに何をいっているのか、となるわけだが、この越中の国の新聞を見て
いると、あーそれで問題なし!なのねとなる。途中で読むことを止めてしまう。小さい文字で書かれている
ところ、そこまで見ている余裕はないしー。しーーー、くらいまで引っ張りたい感じ。
生臭い花し(話)、もある。ここのいえに住んでいるのは誰だとなるが、私しかいない。生臭いニオイの
原因は何か。夏はあまり感じなかったが。そういえば、外遊とかもある。そうゆうものだから、感じないの
かも知れない。TVは、南半球での、祭典で見ていなかったし。
実際に、妙なニオイというのはある。異臭。ものを燃やす場所がある人は、ものを燃やす。広いところ。
風は弱いときが多く、朝早くだったり、逆に夕方だったり。ニオイがなければいい、そうゆうものでもない。
たまに、消防車、なかなか立派で大きい、がやって来る。水を溜めてある、小さめのプール。水漏れて
いないか、重そうな蓋を開けている。消火栓もあるが。雨が降ったあと、こうゆうときも、紫色の煙が辺りに
充満するときがある。そうゆうところらしい。
朝の新聞、きな臭い話、生臭い話。これの詳細。時間があれば、その後で、ネットで、つぶやき関係が主だ
が、を見てあーやはりという気持ちになる。この地の新聞とは、どうも評価が違いすぎる。これも仕方が
ないか。そうゆう土地だから。
朝は、部屋の中での気温だが、20℃はあった。雨は、先ほど午前11時過ぎかな、また突然降り始めた。それ
までは曇り。今日になっても、雲っていて、小雨、あった。自分で朝書いているものを見て、確認する。
そうだったかも知れない。郵便受けから新聞を取り出しそれをちょっと見た。次、朝撮った画像を見る。
これしかないなと思い、変化のある空の様子を出す。このときでもう午前9時になっている。
それからまた新聞を見てこの程度か、というところで止める。
天気はどうなるか。一番落ち着くのは、わからないなりにむかし興味があったから読んでいた本を、見直す
ことだ。面倒な数式が並んでいる。わかったような気持ちでいたが、違うなと思う。単純に見える
微分でも、これの変数が多いと、やたら面倒なことになる。座標変換は、ごく普通なことのようだが、これで
微分形がどう変わるかの公式は、平面なら出来て、3次元だとたしか出来なかったはずだ。出来ないのは
自分のせいである。こうゆう苦々しさは、いまでも耐えられる。そのときにわからなかったこと、あるいは
他の書物では、違う方法で導かれているものがある、考え方は違うが同じ結果が出る。これは新しい発見だ。
あるいは忘れていたことを、思い出しているのかも知れない。
(本質的な誤り。座標変換はあって、私が思ったのは、座標に、直交座標系があって、他に極座標、円柱座標など
があるということ、です。10月09日。)。
多少は脳細胞に、刺激があっていい。この時間が取れない。夜しかないか。しかし、夜は目がしょぼつく。
きのう珍しく、その夜に、外に出てみた。夜といっても、午後の7時過ぎだが、真っ暗である。暗すぎて
街灯がないとやはり危ない。危ないが、明るさがあると、今度は空の様子がわからない。
なかなか大変で、若いときとは違う。もっとも、都会にいたとして、よっぽどのことがないと、空を見る
ことなく、明るすぎる道を歩いた。
今朝の空、雲の様子で、この辺りが絵になるのではないか、というところをかろうじて集めて。
それから、最後に、夕焼け色が出た、10月5日、よく出るが、東の空を追加。
今朝の朝の様子だと、
その一。小雨はもうやんでいたと思うが、どうしても青い色が出る。
その二。いろいろ眺めてここが気になる。
その三。形式的で、北東方向も。
その四。この雲の様子。
その五。
その六。目で見ていて意外だが、目で、肉眼プラスメガネで見た方がよくわかる、という感じ。
その七。刻々と変化はあるが、カメラまかせ。
その八。青い色も。
で、またもや10月5日。
その九。
その十。忘れていた画像。きのうあったことを思い出した。これこそ夕日を浴びる、ということに
なるが、色の出かたは拡大すると、残念なものになる。
ときどき雨の土曜日。
新聞を読んで、そう思う。いったいに何をいっているのか、となるわけだが、この越中の国の新聞を見て
いると、あーそれで問題なし!なのねとなる。途中で読むことを止めてしまう。小さい文字で書かれている
ところ、そこまで見ている余裕はないしー。しーーー、くらいまで引っ張りたい感じ。
生臭い花し(話)、もある。ここのいえに住んでいるのは誰だとなるが、私しかいない。生臭いニオイの
原因は何か。夏はあまり感じなかったが。そういえば、外遊とかもある。そうゆうものだから、感じないの
かも知れない。TVは、南半球での、祭典で見ていなかったし。
実際に、妙なニオイというのはある。異臭。ものを燃やす場所がある人は、ものを燃やす。広いところ。
風は弱いときが多く、朝早くだったり、逆に夕方だったり。ニオイがなければいい、そうゆうものでもない。
たまに、消防車、なかなか立派で大きい、がやって来る。水を溜めてある、小さめのプール。水漏れて
いないか、重そうな蓋を開けている。消火栓もあるが。雨が降ったあと、こうゆうときも、紫色の煙が辺りに
充満するときがある。そうゆうところらしい。
朝の新聞、きな臭い話、生臭い話。これの詳細。時間があれば、その後で、ネットで、つぶやき関係が主だ
が、を見てあーやはりという気持ちになる。この地の新聞とは、どうも評価が違いすぎる。これも仕方が
ないか。そうゆう土地だから。
朝は、部屋の中での気温だが、20℃はあった。雨は、先ほど午前11時過ぎかな、また突然降り始めた。それ
までは曇り。今日になっても、雲っていて、小雨、あった。自分で朝書いているものを見て、確認する。
そうだったかも知れない。郵便受けから新聞を取り出しそれをちょっと見た。次、朝撮った画像を見る。
これしかないなと思い、変化のある空の様子を出す。このときでもう午前9時になっている。
それからまた新聞を見てこの程度か、というところで止める。
天気はどうなるか。一番落ち着くのは、わからないなりにむかし興味があったから読んでいた本を、見直す
ことだ。面倒な数式が並んでいる。わかったような気持ちでいたが、違うなと思う。単純に見える
微分でも、これの変数が多いと、やたら面倒なことになる。座標変換は、ごく普通なことのようだが、これで
微分形がどう変わるかの公式は、平面なら出来て、3次元だとたしか出来なかったはずだ。出来ないのは
自分のせいである。こうゆう苦々しさは、いまでも耐えられる。そのときにわからなかったこと、あるいは
他の書物では、違う方法で導かれているものがある、考え方は違うが同じ結果が出る。これは新しい発見だ。
あるいは忘れていたことを、思い出しているのかも知れない。
(本質的な誤り。座標変換はあって、私が思ったのは、座標に、直交座標系があって、他に極座標、円柱座標など
があるということ、です。10月09日。)。
多少は脳細胞に、刺激があっていい。この時間が取れない。夜しかないか。しかし、夜は目がしょぼつく。
きのう珍しく、その夜に、外に出てみた。夜といっても、午後の7時過ぎだが、真っ暗である。暗すぎて
街灯がないとやはり危ない。危ないが、明るさがあると、今度は空の様子がわからない。
なかなか大変で、若いときとは違う。もっとも、都会にいたとして、よっぽどのことがないと、空を見る
ことなく、明るすぎる道を歩いた。
今朝の空、雲の様子で、この辺りが絵になるのではないか、というところをかろうじて集めて。
それから、最後に、夕焼け色が出た、10月5日、よく出るが、東の空を追加。
今朝の朝の様子だと、
その一。小雨はもうやんでいたと思うが、どうしても青い色が出る。
その二。いろいろ眺めてここが気になる。
その三。形式的で、北東方向も。
その四。この雲の様子。
その五。
その六。目で見ていて意外だが、目で、肉眼プラスメガネで見た方がよくわかる、という感じ。
その七。刻々と変化はあるが、カメラまかせ。
その八。青い色も。
で、またもや10月5日。
その九。
その十。忘れていた画像。きのうあったことを思い出した。これこそ夕日を浴びる、ということに
なるが、色の出かたは拡大すると、残念なものになる。
ときどき雨の土曜日。