ホームカミングデイ

2008-10-19 17:16:02 | 日々

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僕の出身高校・早稲田大学本庄高等学院で、この週末にホームカミングデイなるものがありました。学校全体の同窓会のようなものでしょうか。創立25周年を迎え、同窓会活動も積極的に行っていこうという主旨でした。第1期生でもまだ42歳、社会で中堅を担うようになってきた、といったところでしょうか。僕は9期生なので、学校全体からみれば古い方ですが、それでもまだ歴史の浅い学校ですね。

京都で生まれ育った僕が、なぜ遠く離れたこの高校を志望したか、今では判然としませんが、この学校の特色は「ホームステイ制度」があることでした。ホームステイといっても小さな寮のようなものですが、日本国内のみならず、世界中から帰国生が集まることに特色がありました。中には欧米での土足文化に慣れていて、靴のまま家の中にあがってくる学生もいたそうです。いろいろな方言が飛び交い、不思議な学校でした。

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僕が入学した18年前は、駅前こそ民家や商店がそれなりにあったものの、少し駅から離れれば田畑が広がる田舎でした。そこからさらに進んでいくと、丘のような山があります。その山の上に、高校はありました。赤松の林を抜けてケモノ道を上っていくと、鉄筋コンクリート打放しの校舎がありました。給水塔を中心に、中庭を囲むように回廊型に連なるグレーの空間。そのなかを黒い学生服姿の高校生が行き交う光景は、さながら山の上の修道院のような雰囲気だったかもしれません。しかし男子校の高校生が修道士のように大人しいはずはなく、いわば「山の上のおサルさんたち」という方がふさわしかったでしょうか(笑)

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山には700余名のおサルさんたちに加え、野生のキジ、鷹、まむし、野良犬、猫が自由気ままに暮らしていました。冷房が整っていなかった当時、教室には開け放した窓やドアから自然からの「来訪者」がよく出入りし、いろいろなハプニングも起きたものでした。

京都から上京し、上野を経由して群馬方面に向かう道中、だんだん街の喧噪が消え田舎になっていく車窓の光景を見ながら、入学したばかりの慣れない頃には、寂しく感じたことを記憶しています。遠い昔のことのようでありながら、今でも鮮やかによみがえる記憶の数々。コンクリート打放しという初めての「建築」に触れた記憶。同期6人の寮生活の記憶。そしてそのなかで、父親から送られたル・コルビュジエの著作「建築をめざして」を読みながら(もちろん意味はよくわからなかったけど)建築への興味を確かにしていった記憶。たった3年間の短い期間だったけれど、第2の原風景とも呼ぶべきものになったように思います。

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2 コメント

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行ってたんだ。 (やす)
2008-11-07 12:41:42
行ってたんだ。

だいぶ変わってきちゃってるよね。
ごく近くに住んでいても、その変化には驚かされます。

グラウンドは無くなって、大学院の施設が建ってたり、学校の目の前に新幹線が停まるようになったり。

あの頃、思い出されちゃうよね。
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いろいろ変わってて驚いたけど、松林の坂道を登っ... (ono)
2008-11-08 00:15:22
いろいろ変わってて驚いたけど、松林の坂道を登っていきながら、昔にタイムスリップしていくようだった。山の上の校舎だけは、時間がとまったみたいだったな。
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