ルーシー・リーの器

2010-06-10 12:20:55 | アート・デザイン・建築

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数年前に何かの本で知って、それ以来ずっと見たいと思い続けたきた、ルーシー・リーの器。20世紀に活躍した女性陶芸家の大回顧展が国立新美術館で開催され、念願かなって初めて本物を見ることができました。

もともと陶芸や器に詳しいわけでもないし、自分で所有しているわけでもないのですが、器のもつ何か無垢な感じには惹かれています。

おおらかで、デフォルメされた形。

地球のものではないような、独特の素材感。

それらを見ていると、まったく見たことがない雰囲気にもかかわらず、何かこう、初源的な雰囲気をたたえています。地球ではないどこか遠い星で、そっと掘り出された、ような。同じ一人の作家の器が並んでいるはずなのに、素朴で初源的な雰囲気と、洗練と可憐さの気配とが、同時に満ちています。こういうのを「雅」というのかな。そんな雰囲気は、たとえば僕が好きなリッキー・リー・ジョーンズの歌声や、有元利夫の絵画に、建築でいえば桂離宮の空間に、どこか共通するような気さえするのです。ジャンルを超えて、いろいろなものがひとつの価値観にそっと結び合わされていくことをイメージするのは、とても楽しいものです。

僕が最初に器に少し関心をもったのは、柳宗悦のことを知ってから。仏教書を読むつもりで手にした「南無阿弥陀仏」と題された本の著者が柳宗悦でした。念仏を唱えることと、黙々と雑器を作り続ける無名の人々を結び合わせ、「民芸」という言葉を生み出していったこと。その考え方がそのまま茶室空間や、その中に置かれる粗雑な器への眼差しに向かっていくこと。学校では教わらなかった物事の審美眼や見方に、ゆっくりと気付かされる思いでした。その時に知ったバーナード・リーチという陶芸家のこと。そのリーチがルーシー・リーにあらゆる影響を与えたことは、今回の展覧会で知りました。

柳宗悦やバーナード・リーチが推奨した「民芸」の考え方に、ルーシー・リーの器はむしろ反駁したとの見方が強いようです。でも、冒頭に書いた、どこか遠い星でそっと掘り起こされたような初源的な雰囲気のことを思い返すとき、ルーシー・リーの器は単に個性的な作風ということを超えて、作為の無い、生まれたばかりの名も無きもの、という、崇高な無名性にもつながっていくように思います。それって、どこか民芸のあり方にも近いんじゃないかな。

上の写真は、ルーシー・リー展のカタログ。いまだに、心に深く沈み留まったままです。

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