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自由が丘の家.6 ~クリスマスローズ~

2007-03-23 12:21:00 | 自由が丘の家

先日、東京でもソメイヨシノの開花が告げられました。春めいた日も増えてきましたが、去りゆく冬を名残惜しんで、寒い季節の花の話。

自由が丘の家の中庭には大きなモッコクの木があり、その樹元にクリスマスローズが植わっています。クリスマスローズは暑さを嫌い、寒さと半日影を好む花です。文字通りクリスマスの頃から春先までにかけての長い間花が咲きます。

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顔を下に向けて咲くので華やかさは少々劣るものの、少し大人びた色合い(?)のピンク色と、白色の花が2種類、盛り上がるようにして咲いているのを見ると、植物のもつ力強さのようなものを感じます。植物を力強く画面に表現した画家として、僕が思い起こすのは、女性画家ジョージア・オキーフ。彼女だったらどんな風にこの花を描いただろう。

中庭に面した玄関から家の中に入ると、小さなホールになっています。黒い壁に囲まれた空間には、天窓から静かに光が降っています。その光の漂うなかに、小さな花瓶がひとつ。以前建っていた家屋から引き継いで持ってきたものです。いろいろな花が活けられてきたこの花瓶には、今はクリスマスローズが活けられています。こうして数本だけ活けらていると、なにかこう、花自身が去りゆく冬に別れを惜しんでいるような。

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自由が丘の家.5~中庭 Ⅰ~

2006-12-13 18:09:45 | 自由が丘の家

061213_1 旧家の時代から残された芝生の前庭から、中庭へのアプローチが延びています。コンクリート平板を並べただけの簡素なもの。セメントを固めただけの多孔質なものなので、隙間に苔が生え、5年の歳月の間に随分と味わいを増してきました。廉価な材料も、「時間」を見方につけて実に生き生きとしています。

061213_3屈曲するアプローチを曲がると、突然風景は変わります。白い空間から黒い空間へ。芝生の前庭とはうってかわって、奥の中庭は一面に砂利がしきつめられた場所 。奥には黒い壁が控えています。この黒の正体は、黒漆喰。風雨にさらされて、独特の風合いを醸し出しています。手前には植栽が植えられました。そして真ん中には灯籠がひとつ。実はこれは錆びた鉄でつくられています。

黒い漆喰。錆びた鉄。こうした「古びていく」素材を通して、この敷地、この場所にずっと流れ続けてきた時間の厚みが、少しでも意識されるようになれば、という思いを込めたものでした。毎日目にする光景が、ゆっくりゆっくり時を重ねていく。そんな「時間」のデザインをしたいと思ったのです。すべてのものが、時を宿していく・・・。西の果てリスボンで感じたような雰囲気を、思わずこの東の果ての場所に重ね合わせてみました。

この中庭をとおって、玄関へ歩み寄061213_2っていきます。

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自由が丘の家.4~前庭 Ⅱ~

2006-09-14 20:38:58 | 自由が丘の家

前庭には、梅の老木があります。いつからあったのか定かではないのですが、幹はすっかりやせ細ってしまい、皮一枚でつなっがている、そんな姿です。それでも、毎年花をたくさんつけ、その生命力には驚かされます。

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おそらくこの敷地の一番の「長老」に敬意を表し、この梅を保存することにしました。新しくできた主屋の白い壁を背景に、老木の樹形がくっきりと浮かびあがり、その存在を宣言しているかのようです。

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その脇を通るアプローチの舗装には、モルタルサイコロとよばれるものを用いました。通常 下地用に使われる安価なもので、大きさもまちまちです。それらを一つ一つ丹念に敷き並べていきました。すると、堅すぎず、いい案配になります。できてから5年が経った今では、その隙間から苔も生え、長い時間を帯びたような味わいがでてきています。

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あたらしいもの、ふるいもの。それらが同時に混在することで、前庭は「奥行き」のある雰囲気に包まれます。そしてそれは、この住宅にとって通底する考え方でもあり、前庭はそんな世界へのプロローグのような存在となっているのです。この前庭を通って、中庭へ向かいます。

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自由が丘の家.3~前庭 Ⅰ~

2006-09-11 17:41:02 | 自由が丘の家

それまで建っていた古い家には、芝生を囲む主庭がありました。植栽が大好きだった祖父母に愛でられた花木は、季節感をもたらし生活を楽しませてくれたものでした。

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新しい家の計画は、その庭を残すように配置が決定されました。

追憶の庭。

たんなる庭も、そんな詩的なイメージがともなえば、一層かけがえのないものになるでしょう。大切なものを慈しむように残すこと。そのために、駐車場の灰色の壁と、主屋の白い壁で、庭を囲うようにしました。おかげでその庭は、どこかの小さな教会前の広場のような静けさを得ました。灰色と白色のふたつの壁には、老木の影が映り込み、穏やかな木陰をつくりだしています。

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こうしてできた庭は、新しい家にとっての「前庭」となり、その様子は道路からも眺めることができます。道行く人にとって「街並みの奥行き」を感ぜられるものになれればよいと願って、つくったものでした。

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自由が丘の家.2~街並みの「奥行き」~

2006-09-07 21:27:57 | 自由が丘の家

060907駅から10分ほど住宅地のなかを歩いたところに、「自由が丘の家」はあります。かつて道沿いの家々には、今よりももっと多くの緑があり、春には見事な桜のトンネルができるほどでした。そのような古色ある雰囲気は、だんだんと見かけなくなってきました。

「自由が丘の家」の敷地にも、同じように古い家がありました。半世紀の時間を帯び、少し傾いた大谷石の塀の上からは、大きな木々が顔をのぞかせていました。特にかわったところのない、ごくごく普通の家でしたが、重ねてきた時間の分だけ、独特の雰囲気をもっていました。それは、街並みの記憶のようでもあり、そこに生きた人の記憶のようでもあり。
観念的なイメージの話ですが、こういうことが、街並みの「奥行き」につながっていくような気がします。

新しく家を建てることによって、街並みの「奥行き」を消し去ることは避けたいと考えました。言ってみれば、「奥行き」の只中に参加していく、というような感覚でしょうか。ただし、たんに懐古主義に縛られるわけではなく、「変わるもの」と「変わらないもの」が積極的に共存できるような、そんな場所をつくりたいと思ったのです。
古いもの、新しいもの、かわるもの、かわらないもの。それらが同時にひとつの敷地のなかに散りばめられている、そんなイメージです。この小さな模型は、そんなイメージをもとにつくったものでした。

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敷地にあった木々は、なるべく残すようにしました。一方で、新しい建物には、以前建っていた家の面影は一切ありません。道路に面した老木のその奥に、新しい家屋が白い静かな表情で佇んでいます。この白い壁に塗られているのは珪藻土。竣工から5年経った今でも、その雰囲気を変えることはありません。この場所にずっとあり続けて、これからもあり続るような 雰囲気を、その寡黙な表情のなかにずっと宿せたらいいと思っています。

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