唐沢富太郎氏著『明日の日本人』( 日経新書 ) を、読了した。
図書館が廃棄処分する本の中から貰って来たので、著者のことも知らず、予備知識がないのは何時ものことだ。内容に呆れて、いつ頃の出版かと確認しようとしたら、最後のページが何枚か破られていた。
腹を立てた読者が破ってしまったのかと、残されたページの破れ具合が語っている。最初のページを紹介する。
・戦後の教育は、戦前の軍国主義的超国家主義的教育を、批判・否定するところから発足したため、戦前の理想的人間像も雲散霧消してしまったのである。
・新教育の基盤となる民主主義は、アメリカや西欧諸国において発達してきた、西欧的民主主義を模範としたものであったから、日本の社会にはその基盤が無く、日本の内から必然的に生み出されたものでなかった。
・そのため、民主主義精神を如実に示す理想的人間像を、日本の歴史的、文化的、伝統の中から見つけることは、困難であって、多くはアメリカや西欧諸国から、求めなければならなかったのである。
書き出しの意見は一つの見方であり、そうだったのかも知れないとうなづきながら読んだ。
・社会における縦の人間関係が、上位者には盲従し、下位者には威を振るうという、いわゆる権威主義的性格をつくりあげていったわけで、こうした日本社会はその帰結として、個人の自主独立も社会的連帯感も、否定するものとなったのである。
阪神淡路大震災や、東日本大震災時の日本人の連帯感や絆、あるいは戦後に増えた個性のある国民と強くなった女性たちなどが頭に浮かぶので、この本はいつ頃書かれたのものか知りたくなった。( 昭和39年出版だった )
・われわれが、アメリカやヨーロッパの教育を見て感じさせられることは、これらの国の生き方が、いずれも子供を大切にし、子供の幸福を願って行われているということである。
・日本人は子供を愛することにおいて、他の文明諸国人に比較し劣るものでないと考えて来たが、真の意味において、西欧でいう愛の心をもって、子供を育てて来たかという疑問を提出せざるを得ないのである。
・ルース・ベネディクトによれば、日本の子供たちは、家族制度の維持のために必要と考えられていることが、明らかにされている。
・換言すれば、両親やその他周囲の者が自己の将来の、生活保障の手段として、子供を考えていることである。
こういう説明になると、チョット待って欲しいと言いたくなる。自分の経験に照らしても、氏の説明は当たっていない。私の両親も私自身も、そんな気持で子供を育てていない。
・日本では、自分の職業を卑下して隠したり、親の職業を恥じて、劣等感を持つという場合も多く見られる。
・ところがアメリカでは、天職観念が徹底しているから、線路工夫が自己の職業の重要さを自覚し、誇りと愛を持っている。
・またソビエトでは、職業を通して社会に貢献するという観念が、国民一人一人にしみこんでおり、誰もが自己の職業を、いかにして最高に勤めあげるかということに努力している。
次第に、氏への疑問が生じてくる。氏は本当に日本人を知っているのかと、人間性に疑問符がつき出す。先日白井氏の「永続敗戦」を読んで、バカな意見に驚かされたが、似たようなものだった。
・ヨーロッパや、アメリカにおいては、キリスト教によってうらづけられた、天職感が職業倫理の基礎をなしている。
・日本では、職業は生計の道、つまり生きる手段、食う手段以外のなにものでもないと、言って良いくらいである。
・中国の教科書には、至る所で労働に対して、感謝・尊敬の念を持つようにと教えられている。社会主義社会では、社会そのものが労働を尊ぶから、児童も張り合いをもって労働することができる。」
何だこれはと、仰天せずにおれない意見だ。どの時代の中国の話なのか、中国の何処を見て氏は騙されたのかと、氏の経歴が知りたくなった。経歴を知ると、二度の驚きになった。
〈 唐沢富太郎氏の略歴 〉
・新潟県出身、明治44年生まれ、平成16年没 ( 93才 )
・現・奈良女子大学教授、東京高等師範学校教授、東京教育大学教授、同大名誉教授
・日本の教育史研究 日本の教育家
・教育史の資料を展示した「唐澤博物館」を自宅敷地内に建設
日本の悪口を書き、外国を褒めるのは戦後の左翼系学者だと思っていたが、明治生まれの教育者にも酷い人物がいた。「西洋かぶれ」とでも言えば良いのか、珍しいので続きを紹介する。
「中国では、労働は皆でするもの、楽しくできるものであるということを理解させるような、集団的労働の意義を教える教材が与えられている。」
「そこには日本の明治以降の、労働蔑視の思想や、自分だけよければ他人はどうでもよいとする、立身出世主義は、みじんもその影をとどめていない。」
「こうした人間形成の方法について、我々は、多く学ばなければならないものを、感じる。」
「日本人は、国際人としての教養や社交性において欠けるところがあり、それが、国際社会で活躍するさいの、大きな障害となっていることは周知の通りである。」
「元来日本人は、国内においても社交的な習慣をもたないため、社会人として必要な、礼儀作法にも熟達していない。」
「会議の運営、参加の仕方、討論の仕方、各種の公衆道徳、集会におけるエチケットなどは、外国人に比較するとかなり未熟なものである。」
「風俗習慣の違いから、ある程度はやむを得ないものであるが、今後の日本人の使命を考えた場合、ただ止むを得ないと言って、すませてはいられない問題である。」
どう読んでも氏の意見は、世界に比較して日本人が劣っているという話だ。英語ができない日本人は、自分の意見が無いのだと言った白井氏に劣らない愚論だ。
長い紹介になったが、「歴史的書籍」と呼ぶに相応しい珍しい本だと確信した。立派な教授の著作は、読後は当然のこととして新聞雑誌とひとまとめにし、小学校のゴミ出しの日に「有価物」として処分することになる。
朝日新聞だけでなくこんな自虐の教育書があったと知り、今更ながら日本の教育界の寛容さ ( いい加減さ ) を教えられた。感謝して良いのかどうか分からないが、こういう人物のことを、「反面教師」というのかも知れない。