ねこ庭の独り言

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ガウディの奇跡 - 3 ( フランコ将軍と日本 )

2020-05-25 12:57:42 | 徒然の記

  2. 戦前戦後における、日本とスぺインの関係 (  日本の歴史   )

  3. 独裁者と言われた、フランコ将軍のこと (  スペインの歴史   )

 ガウディの伝記から、どうしてこんな話になるのかと、息子たちが面食らわないように、少し説明が必要です。270ページの叙述を、紹介します。

 「ガウディの死の10年後、1936 ( 昭和11 ) 年、」「バルセロナは、突如、砲撃の嵐に襲われた。」「将軍フランコの、クーデターである。」「フランコ側と、抵抗する市民との間に、悲惨な内戦が勃発し、」「バルセロナは、その拠点となった。」「自由と自治を主張する、カタルーニア人の尊い血が、」「大量に流された。」

 「この4年間の内戦の際、聖堂に眠るガウディの地下墓室も、」「暴徒に荒らされ、多くの貴重な、」「ガウディに関する資料が、灰になった。」「抵抗空しくスペインは、フランコの独裁政治という、暗黒時代に突入する。」

 ガウディが亡くなった後も、彼の意思を継ぎ、図面も何も無い中で、作業が続けられていたのは奇跡ですが、内戦にかかわらず続行された建設作業も奇跡であると、氏が言っています。「スペインの内乱」「独裁者フランコ将軍」と、言葉だけ知っていますが、中身について何も知りません。

 内乱とは、どういう状況を言っていたのか、フランコ将軍はどんな人物だったのか。知りたくなり、調べているうちに、ガウディを離れ、上記 2. と3. について、意外な事実を知りました。歴史の中でスペインと日本は、互いに無縁だと思っていたのに、事実は違っていました。

 「1936 ( 昭和11 ) 年2月の地方選挙で、スペインに、左派勢力の連合した人民戦線内閣が誕生した。」「内閣が誕生すると、右派のフランコは、」「参謀総長を解任され、左遷された。」

 ついでなので、当時日本の周りでは、どのようなことが起こっていたのか調べてみました。

  • 1月15日 日本がロンドン軍縮会議から脱退

  • 2月 1 日 天皇機関説を提唱した美濃部達吉が、右翼に襲撃され負傷

  • 2月26日 二・二六事件勃発  岡田内閣総辞職

  • 3月 7日 ドイツが、非武装地帯であるラインラントに進駐

  • 9月26日 スターリンの大粛清が始まる (  秘密警察長官任命 )

  •    11月 3日 大統領選挙で、フランクリン・ルーズベルトが再選

  • 11月18日 独、伊が、フランコ政権を承認

  • 11月25日 日独伊防共協定締結

 有名な 2.26事件も、この年にあったのです。一つ一つの出来事を追っていきますと、「武漢コロナ」の騒ぎどころでありません。ヒトラーの台頭、スターリンの恐怖政治と、騒然とした、世界の状況が浮かんできました。

 「1931 ( 昭和6 ) 年、スペインではブルボン王朝が倒され、第二共和制が成立し、王族は国外へ追放された。」「フランコは、共和政府から軍政官に任じられ、その間に陸軍少将に昇進した。」

 そこへ人民戦線側が選挙で勝利を得て、政権の座についたのです。

 「人民戦線政府は、社会主義的理念に基づく改革を実行、」「教会財産を没収し、ブルジョアを弾圧した。」「これは農民や労働者層に支持されたが、地主や資本家、カトリック教会などの、保守勢力や知識層とは対立した。」

 つまりフランコ将軍は、保守勢力の代表として、共産主義者たちと戦っていたということです。このあたりまでは、なんとなく知っていましたが、知らなかったのは、次の事実です。

 「その後フランコは、ドイツやイタリアの支援を受けて、人民戦線政府と戦った。」「フランコの反乱は陸軍主体で行なわれ、空・海軍の大部分が、人民戦線政府側についたため、」「モロッコにいた、陸軍主力を本土に送れず、ドイツの輸送機が支援した。」「また日本は、ドイツとイタリアに次いで、フランコ政権を承認した列強であり、」「フランコ政権が、満洲国を承認したのは、その見返りであるとされている。」

 戦後の学校では、「戦前は全て間違っていた。」「日本だけが、悪かった。」と教えていますので、同じように間違っていたドイツや、イタリアのことはほとんど教えません。「独裁者ヒトラー」「独裁者ムッソリーニ」「独裁者東條英機」と、切り捨てていますから、「フランコ将軍」やスペインなど、生徒に教えるはずがありません。

 「独裁者スターリン」も斬って捨てれば良いのに、勝利した連合国側のため、日本の学者というのか、文部省というのか、今でもそうしません。

 「なお、フランコに敵対する人民戦線政府は、内部に共和主義者、」「共産主義者、無政府主義者を抱えていたため、統一性に欠けていた。」「当初フランスが、人民戦線側を支援したが、」「国内世論の反発で、即座に中止した。」「人民戦線側は、ソ連や国際旅団(イギリスやアメリカなど各国の義勇兵)の支援を受けたが、」「独伊軍からの、強力な支援を受けるフランコ反乱軍に対する劣勢は、覆せなかった。」

 この時すでに、日・独・伊の枢軸国と、他の諸国との世界大戦が、開始されていた訳です。

 ( 中途半端ですが、ブログのスペースがオーバーしました。ガウディを置き去りにしますが、続きは次回といたします。)

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