佐藤愛子氏著『九十歳。なにがめでたい』( 平成28年刊 小学館 ) を読了。
文句なしに愉快で、笑わせていただきました。評判の本で、大いに売れているらしく、向かいの家の奥さんから家内が借りてきました。本の袴に読者の声が印刷されていますので、一部を紹介します。
「最高に面白かった。特に犬のハナちゃんの話。思わずほろり! (60才女性)」
「痛快 ! 爽快 ! 私もこのように生きたい。(62才女性)」
「こんなにゲラゲラ笑ったのは、久しぶりでした。ありがとうございます。(66才男性)」
読者の感想はまだありますが、確かに愉快な本でした。大正12年生まれの氏は、今年94才です。直木賞、菊池寛賞、紫式部賞などを受賞した作家ですが、作品は読んだことがありません。
ですから世に出ている氏の作品が、どれもこのように楽しく愉快だったのかは、知りません。
2才年上の私の母と比較しますと、とてつもない元気さで、カクシャクとしていて、敬意を表したくなる明るさです。
「私は九十二年の人生を、後先考えずに生きて来たもので、そのため次々と災難を引き寄せて来た。」
「誰のせいでもない、そんな私の性が引き寄せる災難であるから、どこにも文句のつけようがない。」
「どう考えても私の我儘や、協調性のなさや、猪突猛進の性のため、降りかかった苦労であることは明らかであるから、恨むなら自分を恨めということとになって、仕方なく諦める。」
「反省して諦めるのでなく、あっさりすぐに諦めるから、懲りずにまた同じ過ちをくり返す。」
「人生いかに生きるかなんて、考えたこともない。その場その場で、ただ突進するのみだった。」
こういう調子で、飼い犬の話、ドロボウの話、子供の話、人生相談の話などが語られるので、読者は虜になってしまいます。遠慮言いたい放題を聞かされる痛快さが、読者の興味をそそります。
しかし、と、私はここで考えました。
作品は読んだことがないとしましても、佐藤氏といえば、保守的思考の頑固者という噂があったはずですから、このままでいいのかと、すこしだけ性格の曲がっている私は素直に納得しません。
どうせ猪突猛進するのなら、日本の保守たちが憤っている諸問題を、どうして遠慮なく語らないのかと、疑問が湧くのです。平和憲法を守れという、反日左翼のたわ言や、二千年の歴史を崩壊させる女系天皇論の危険性や、捏造報道で日本を世界の晒し者にした朝日新聞などになぜ言及しないのか、そういう疑問です。
だがもしも氏が、私のいう話題で本を書いたら、人気の出版物にならなかったでしょうし、出版すら出来なかったはずと、すぐに気がつきました。エッセーが連載されたのは、「女性セブン」という女性週刊誌だと言いますし、この本は「小学館」の出版物です。
佐藤氏に習い遠慮なく言わせて頂けば、「女性セブン」なんて、軽薄な女性向けのゴシップ週刊誌です。記事のメインは、皇室の話題と芸能界の裏話です。女系天皇の危険性など、掲載してもらえません。小学館にしても、「ねこ庭」の嫌悪する「反日・左翼」の書を何冊出版していることでしょう。
今回調べて分かりましたが、小学館の出版誌は「女性セブン」だけでなく、他に「週刊ポスト」「週刊少年サンデー」「ビッグコミック」「SAPIO」などの雑誌があります。
保守系の論調もありますが、正統保守ではありません。平和とか愛とか、弱い者の人権とか、左翼の言葉を入れないと出版物は売れません。
日本の保守と言われる言論人たちが、どうして「本音の議論」ができないかが、ここからも垣間見えます。日本のマスコミは新聞から雑誌まで、朝日新聞とNHKを筆頭に、こぞって反日・左翼ですから、「腐れマスコミ」などと言おうものなら、総スカんを喰らい、収入の道を断たれてしまいます。
いかに佐藤氏と言えども、長年つき合ってきた「女性セブン」や小学館の記者や編集者たちと、トゲトゲしい関係にはなりたくないはずです。
「いちいち、うるせえな。外野席は黙っていろ」と、佐藤氏の声が、どこからとなく聞こえますので、これ以上は止めます。
図らずも判明した、日本の保守言論人の状況でした。
彼らが意見を発表する場は、狭く限られているということです。特別な出版社や特殊な新聞社 ( 産経新聞 ) 以外、一般庶民に馴染みのあるマスコミは、たいてい「反日左翼」系列なので、「由緒正しい保守の意見」は、世間に広がらない仕組みになっています。
今の日本では私のように、川面に浮かぶ枯れ葉のような庶民だけが、本音の意見が言えるのです。ネットの世界では、無名の人間でも自由に意見が言えます。氏のようなベストセラーにならなくても、静かに、ゆっくりと、「国を愛する」者の願いが、ネットを通じて広がっていきます。
著名な保守人には期待できませんと、そういうことを教えてもらいましたので、氏には感謝せねばなりません。ネットで頑張っている、保守、愛国の方々よ。頑張りましょう。ネットの世界では高名な保守人より、無名な私たちの方が、もしかすると力があるのかも知れません。
ありがたい世の中になったものです。『九十歳。なにがめでたい』の本に、感謝しましょう。
年金復活論議についての、竹下自民国対委員長の見解
は、拙者も 随分甘いなあと思ったものです。
今回の貴記事、佐藤愛子さんの近著、ベストセラーの様ですね。
拙者は未読ですが、貴記事から、軽妙で小気味良い文
の流れが、少しは分かる様な気が致す所です。
いすれ拝読しようと思いますので、立ち入った言及は
今は控えますが、拙者も、余り意味のない長生きは、
望んでおりませんで。
何でも良いので、最期まで、やる事を持ち続けていた
いものだと、漠然と感じている所ではありますね。
96歳の母を見つつ、年毎に体力の低下する自分を見つつ、「死」は、私にとって、さほど縁遠いものでなくなりつつあります。
生きることもそれなりに大変ですが、いざ死と親しくなる年令になりますと、死ぬこともそれなりに大変であることが、分かりつつあります。
痴呆になってしまうのは、本人には救いかもしれませんが、周囲のものは大変です。最後まで元気でいて、
この世をば、どりゃおいとまに線香の
煙とともに ハイさようなら
こんな辞世の句を読んで、オサラバできたらと、夢を描きます。十返舎一九の辞世の句です。