「憲法制定過程に関する政府資料 」のシリーズは先ほど終わりましたが、肝心の説明が抜けていました。
一眠りした夢の中で、説明不足を教えられました。神様がいて教えてくれた訳でなく、何となく落ち着けない気持が、昼寝の私を浅い眠りにさせたというそれだけのことです。
・「極東委員会」が言っている「憲法改正」と、故安倍首相と「ねこ庭」が言っている「憲法改正」は意味が違っていること
この説明が抜けていました。シリーズ5回目に書いた「ねこ庭」の文章を思い出して下さい。
・「極東委員会」は、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連、中国、インド、オランダ、カナダ、オース トラリア、ニュージーランド及びフィリピンの 11 ヵ国の代表により構成されていた。
・極東委員会の一部とはソ連とオーストラリアのことで、両国は天皇制廃止を主張していました。また当時日本を憎んでいた国は、イギリスとオランダだったとのことです。
・このような状況下で、なぜマッカーサー元帥は昭和天皇を守ろうとしたかについて、私たち国民は、陛下がなさった元帥との会見にあると信じています。
要するに「極東委員会」で、ソ連とオーストラリア、そして日本を憎んでいたイギリスとオランダが望んでいたのは「天皇制廃止」でした。
彼らは、日本政府が、元帥が作った天皇制維持の「新憲法案」を受け入れたことに不満だったのです。だから「天皇制廃止」の意思を国民に問えと、マッカーサー元帥、つまりGHQに要求したのです。
彼らの言う「憲法改正」の意味は、日本には天皇制廃止を望む国民が多数いるはずだから、彼らの意思を確認せよということでした。
天皇制廃止ということになれば、「極東委員会」が望む通り昭和天皇を裁判にかけ、戦争責任を問い処刑することが可能になります。
そういうことをマッカーサー元帥は望まなかったし、吉田首相だけでなく片山内閣、芦田内閣でも望まなかったということです。
どちらの場合にしても、シリーズ7回で紹介した「公益社団法人 自由人権協会」の意見は間違っていることになります。
・「当時の多くの国民や学者、研究者にとって憲法は、敗戦後の日本の未来をつくる輝かしい出発点として、議論され受け入れられました。」
・「そうであったからこそ、その後何度も、憲法改正が声高に叫ばれた時期があったものの、改憲論は主流とはなりえず、戦後65年の間に国民の間に定着したのです。」
これ以上説明しなくても、分かってもらえる人には伝わると思いますので、今度こそ本当にこのシリーズを終わりにいたします。
長いおつき合いに感謝いたします。
日本国憲法制定の経緯は まだ分からない所も幾つかで、
その様な中での今回貴連載は良い復習だったと心得ます。
勿論、1回通読致した位でこの問題の全部が分る事など
到底あり得ず、今後必要となる憲法改正を視野に入れ、
又折々復習をしなければとも思う所です。
ここまでの史料ご紹介、こちらこそ有難うございました。
様々な角度からの拙記事へのご見解表明も、併せて
感謝の次第です。もう暫くの残暑、改めてどうかご
自愛下さる様。
戦後史の大河を前にしますと、敵対する個々人への憎しみや怒りが、無くなることはありませんが薄れていきます。
「学びの庭」の「ねこ庭」で私が紹介する事実は、大河に消えた無数の事実の一つに過ぎません。
それでも私の信念は、不変です。
・反日左翼とグローバリストは、国を愛する国民の敵です。
・自虐史観の「日本国憲法」は、改正されなければなりません。
・自分の国の文化や伝統に誇りを持たせず、ご先祖に感謝と敬意を捧げさせない「日本国憲法」が、このままで良いはずがありません。
これもまた、戦後史の大河の前に立ちますと、一つの意見になりますが、まだまだ、流れに流させてはいけないと考えております。
コメントに感謝いたします。