6月8日の千葉日報に、日高六郎氏の記事が掲載されました。
「日高六郎さん死去」
「101歳 行動する社会学者」
と言うタイトルで、氏の写真付きの三段組みの記事です。単なる訃報でなく、足跡を讃える内容です。
長くなりますが、紹介いたします。
・行動する学者として戦後の平和運動をリード、ベトナム反戦や、水俣病問題などにも取り組んだ社会学者日高六郎さんが、老衰のため、京都市の高齢者施設で死去した。
・101歳、個人の意思で、葬儀は行わない。
・中国、青島の生まれ、東京帝大卒。
・戦中の、海軍技術研究所嘱託を経て、戦後は東京大新聞研究所助教授を経て、1960年から、教授。
・「60年安保闘争」をはじめ、数多くの市民運動の中心となって、理論と実践の両面で活躍した。
ここまでで、記事の半分を紹介しました。
「60年安保闘争」は、昭和35年に展開された、「日米安全保障条約」に反対する運動でした。国会議員や労働者、学生たちが参加した、日本史上で空前の規模の、反政府、反米運動で、傷害、放火、器物損壊などが伴う、大規模暴動でもありました。
安保の仮想敵国はソ連でしたから、ソ連が激しく反対し、当時の共産党や社会党に、ソ連からの資金援助があったことが、後年に明らかになりました。
今沖縄で、基地反対運動の中心にいる高齢者は、この時の学生たちです。年を取っても左翼過激派は、いつまでも学生時代を忘れない信念の馬鹿者かと、私は呆れるしかありません。
だが、千葉日報の記事は私と違います。
・知識人の社会的責任を持論とし、作家の小田実さんや、評論家の鶴見俊輔さんらと共に、在野の立場から主張を続け、平和や教育、公害、人権などの問題で、戦後の民主主義を擁護する論陣を張った。
・60年代末の東大紛争では、大学への機動隊導入に抗議して教授を辞職。ベトナム反戦運動では、脱走米兵を自宅にかくまうなど、社会の課題に積極的に関わった。
・一方で、市民運動の拠点として設立された、「国民文化会議」の代表も務めた。
記事が続きますので、私も諦めずに紹介いたします。
・護憲の立場から、ドキュメンタリー映画、「日本国憲法」に出演。戦時中の、自らの精神史を振り返る、『戦争の中で考えたこと』を出版するなど、日本の平和主義を守るために発言を続けた。
・著書に、『戦後思想を考える』、『現代イデオロギー』編著に、『1969年5月19日』など。E・フロムの、『自由からの逃走』の、訳者としても知られる。
・妻の暢子さんは、画家、エッセイスト。
ここで、記事が終わりました。亡くなった後にも、氏の著作が売れるようにと、本の題名まで書き、ついでに、奥さんまで紹介しています。
私がなぜ、面倒さも厭わず、記事の引用をしたのか、ここでやっと、本日のブログのタイトルとつながります。
「今もなお、これが日本の現実」
記事の中に出てくる、小田実氏や、鶴見俊輔氏は、私が過去のブログで、「獅子身中の虫」として、強く批判した人物です。国際社会において、捏造のプロパガンダで日本に敵対する中国や、韓国・北朝鮮に、心を寄せる反日の人間ですから、その仲間である日高氏も、日本のためにならない人物です。
最近は、ネットの世界でも、やっとマスコミの偏向報道が語られるようになり、反日と売国の人間が、嫌悪されるようになりました。
しかし、どうでしょう。日高氏の訃報を知らせる記事は、反日・左翼である氏を、褒め称える内容です。ネットの中で、目覚めた保守たちが、朝日新聞やNHKの凋落を語っていますが、この記事を読めば事実はそうなっていません。
「今もなお、これが日本の現実」
昭和49年に、日高氏の細君は日本赤軍との関係を疑われ、フランス警察に捕まっています。容疑が晴れて釈放されましたが以後昭和64年まで、フランス政府は、日高夫妻に、長期滞在ビザを発給しませんでした。
昭和56年に、氏がオーストラリアの大学から客員教授として招かれた時、オーストラリア政府から、ビザの発給を拒否されたこともありました。
平成9年には、 日高氏が理事長を務めていた「社団法人神奈川人権センター」が、三浦商工会議所の新春経済講演会に、櫻井よしこ氏が講師として招かれることについて、反対しました。
理由は、慰安婦問題で差別的発言をしている櫻井氏を招くことは、参加者に悪影響を与える、というものでした。このことが新聞に出ますと、商工会議所に、抗議が殺到し、三浦商工会議所は、神奈川人権センターの圧力に屈する格好で、講演会の中止を決定しました。
こうした事実を知るだけでも生前の氏は、社会運動家、平和活動家と言うより、社会に害をなす、反日・左翼の活動家です。フランスとオーストラリア政府から忌避される危険人物なのに、新聞の記事は氏を誉めています。
しかし本日の私は、この記事をもって、千葉日報社を非難することは、いたしません。
以前に書いたことがありますが、地方紙である千葉日報社の記事のほとんどは、共同通信社からの配信です。千葉県内の出来事なら、千葉日報の記者が書きますが、国際政治や全国の出来事については、共同通信社から記事を買っています。
記事の掲載を断れば、通信社に以後の配信を拒絶され、新聞が続けられなくなります。全国の弱小な地方氏は、いわば共同通信社の支配下にあります。
NHKや朝日新聞ばかりが、反日として世間で騒がれていますが、共同通信社には、誰も注目していません。
電通と同様に、世間から注目されていないのに、マスコミ界で隠然たる力を持ち、世論をリードしています。明日から私は、共同通信社につきまして調べてみたくなりました。
ブログにまとめられたら、息子たちに教えたいと思います。
根気よく探しますが、私にはネットの情報しかありませんので、訪問される方は、あまり期待されませんようにお願いいたします。
日高六郎・元東大教授は、拙者も名前位は伺っておりまして、
要共の頭目の一人らしい事は存じておりました。
今回の貴記事で、少し詳細が見えた気がしている所です。
「行動する社会学者」とは言いましても それは容共的
なそれであり、我々の視点では 褒められたものではない
という事でしょう。
過日などは、民放出身の 櫻井よしこさんの講演を中止
させるなどは、過剰反応ではないかとも思いました。
櫻井さんの言動を拝見した所では、以前から みだりに
差別的な文言を使わない様 よく注意されている印象
がありまして、これは日高元教授の言いがかりに近い出方
ではないかとも心得ます。
護憲側の立位置も、ご存じの様にいかがわしいものが有りまして、
この主張は、真の意味で我国の独立、尊厳、主権を守ろ
うとする意思に欠け、むしろ「在日」を初め 在留外国人
の利害の為の運動ではないかとの、懐疑的理解をしないと、とも思いますね。
千葉日報の 主な情報源は共同通信でしたか。まあ、信念
ある制作編集姿勢を通せば 情報源に方針を左右される
事は少ないかも。そこは頑張って頂きたい所です。
因みに共同通信は、民放各局で出しゃばる 青木 理(あおき・まこと)元記者の古巣らしいですね。「怒り」発言も、同氏と田原総一朗さんの会話から出たらしいです。
まずは お礼まで。
いえいえ、共同通信社は、私の聞くところによりますと、朝日、毎日等全国紙の新聞社でも、共同通信社の記事を買わなければ、紙面が作れないというほど、の力を持っているとのことです。
全国の地方紙が、束になっても敵わないというのが、現実のようです。地方紙がみんな、反日・左翼の、同じような記事で埋め尽くされるのは、共同通信の力でもあるようです。
いずれにしましても、少し調べてみようと思います。
私も2年程、住民が避難した福島に通ったので現実を無視した「反戦反核イデオロギー」に偏った福島の汚染を伝える河北新報社に激しい怒りを覚えたものです!
地方紙の記者が取材したままを伝えてくれれば福島の復興は加速します。
やはり、そうですか。
NHKや朝日ばかりに、注目していましたが、この共同通信社も、なかなか大した黒幕のようですね。
しばらく、ブログで取り上げてみようと、思います。またなにか、ご意見がありましたら、お待ちしております。
コメントを有難うございます。
それは、前回までの「国防婦人会」のエントリにも関わると思います。
前回、「国防婦人会」の「涙ぐましい献身まで、歴史から消滅させてしまったこと」と、「運動を政争の具にし、自分たちの主導権を奪い取った、市民活動家の女性たち」の存在は、「国防婦人会」のメンバーも泣いている事でしょう。
日高氏については、朝日・毎日ともに「ベトナム反戦の社会学者」「市民運動リード」と讃えています。
永六輔氏の時のそうでしたが、その人物の生前の「振る舞い」はさて置いてその「功績」を称賛するという、左系メディアのいつものパターンです。
「神奈川人権センター」は、「プレカリアートユニオン」とも関わりがあるようです。
http://shimizunaoko.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-18b4.html
中日・東京新聞と直接提携関係にない各紙にも、同紙の「こちら特報部」が「輸出」されるケースが非常に多くなっており、これら各紙の「左傾化」に一役買っています。
この後の共同通信社のエントリを読むと、地方紙各紙も「左傾化」している背景が分かると思います。
共同通信社も、電通と同じような「タブー」があるのかもしれません。
日本が、はたして反日・左翼の強い国であるのかどうか、近頃は、首をかしげたくなっています。
もし左翼が、本当に強いのなら、私のブログは、攻撃されているはずです。やはり、日本は、中国や韓国・北朝鮮に比べれば、自由の国だと、誇らしく思います。
共同通信のタブーにしましても、公開情報を丹念に調べれば、私でも、行き着けると思えてきました。
もしかしますと、堅固に見える反日・左翼の組織も、案外砂上の楼閣かもしれません。同様に、頑迷保守の組織も、張り子の虎かもしれません。
私たち国民が、隠されていた事実を知り、選挙の一票につなげる労を厭わなければ、失った過去を取り戻すのは、難しいことでないと、そんな気もしてまいりました。
もし何かの障害で、私のブログが、中断するようなことがありましたら、私の息子や、あなた達のような、国を愛する人間が、後を続けてくれると、そんな気がして参りました。
コメントを有難うございます。