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ジャパン・アズ・ナンバーワン - 6 ( 米国に葬られた悲劇の宰相 )

2019-09-21 21:22:08 | 徒然の記
 今回も日本のエリートについて、氏の研究に耳を傾けましょう。
 
 「同期の高級官僚たちは、同じ省内であっても、他の省であっても、」「同時に昇進を続けつつ、親交を深めていく。」「交友関係は、東大法学部在学中から始まる場合も多く、」「あるいはもっと早く、エリート高校時代に始まることもある。」「もちろん同じ省庁の者同士の方が、知り合う機会も多く、親しくなるだろうが、」「他省の同期生とも、交際する機会が折に触れ回ってくる。」
 
 前に略歴を紹介しましたが、氏は1958(昭和33)年から1960(昭和34)年に来日し、経済大国のなった日本について調査・研究を行っています。研究の成果が認められたためか、昭和42年ハーバード大学の教授となっています。
 
 昭和47年には同大学東アジア研究所長となり、昭和50年から昭和51年にかけ再来日し、同様の調査・研究を行っています。昭和33年の第一回目の来日時は岸内閣の時で、2回目の昭和50年は 三木内閣の時でした。
 
 氏はハーバード大学の強力な人脈を活用し、日本の著名な教授や学者、政界のリーダー、官界のエリートたちと対話を重ねています。
 
 「互いに知り合っていれば、単なる公式文書の交換、」「公式会議での議論以上に、うまく意思疎通が、図れる訳である。」「40才代になると、要職についた官僚は、積極的に、」「他省の同期生との、交流の機会を利用しようとする。」「さらに昇進して、トップの地位に就いた際に、」「以前にも増して、これらの交際が物を言うからである。」
 
 だからこの本には、一般の日本人が知らない政界の裏話や、官僚たちの本音が集められ、世に出されています。
 
 「縦割りの省庁」、「省益あって国益なし」と言われるので、各省間には横の連携がなく、互いに勢力争いをしていると思っていましたが、各省のエリートたちは、常に交流し、意思の疎通を図っていたのです。
 
 当時の次官の実権は大臣以上でしたから、彼らが手を結べば、およそ何でもやれました。大臣の更迭、総理の交代など、なんの造作もありません。マスコミは彼らの監督下にありますから、彼らがリークする政治家のゴシップ報道が、何日でも、何ヶ月でも流し続けられます。報道の自由のためと言えば、ニュースソースが秘匿されますのでら、官僚のリークが国民に知られる心配がありません。
 
 「自分たちの仕事に、必要以上に横槍を入れてくる政治家に対して、」「官僚たちは、ためらうことなく結束する。」「仕事は課単位で行われ、課の仕事の貢献度により、」「課が評価される。」
 
 「上司は、協調性のない者を昇進させたりしない。」「各人は課内での存在価値を発揮することによって、」「省内での存在価値を確立するのである。」
 
 所属する省内で、省のトップの意向に添い、実力を発揮した者が昇進する仕組みです。「省益あって国益なし」とは、こうした事実を指した言葉ですが、すでに各省のトップたちが十分な根回しをしているので、実際にはバラバラの動きをしているのでなく、官僚組織は共通の意思で動いていることになります。
 
 「ワシントンでは、新政権が誕生するたびに、」「新しい人間を、各省庁のトップに送り込むことが、昔からの慣例となっている。」「日本人の考え方からすれば、これは官庁が大統領の権限に屈服することであり、」「官庁の自立性や、大胆さを失わせることになる。」「長い目で見れば、有能な官僚の育成を阻害することにもなる。」
 
 「彼らにとって、外部からやってきた素人にトップの座を譲ることは、耐え難いことなのである。」「日本では政治家も、彼らの優秀さを理解しているから、」「彼らの機嫌を損ねないように、気を使う。」
 
 鉄の団結を誇る官僚組織を、金の力で捻じ曲げたのが、元首相の田中角栄氏で、腕力で破壊しようとしたのが、民主党政権でした。別の見方をしている人がいるのでしょうが、私はそのように見ています。
 
 学歴の無い田中氏は、エリートと無関係の政治家でしたが、独特の政治哲学と、天才的直感を持つ人物でした。民主主義は多数決だから数が全てだと割り切り、金の力で支持者を集めました。単に金をばらまくだけなら、成り上がり者と軽蔑されますが、氏は人情の機微を抑え、人間を虜にする魅力を備えていました。
 
 「田中君は、役人たちを堕落させてしまう。あれには、困ったもんだ。」
 当時の佐藤総理は、高価な贈り物で官僚たちを手なずける氏を、苦り切っていたそうですが、止めることはできませんでした。日本の高度成長期でしたから、やり手の田中氏は、とうとう総理の座を手に入れました。
 
 誇り高く清廉な官僚たちに金権の魅力を教え、堕落の道へ誘ったキッカケは、田中氏だったのでないかと、私は今でも思っています。吉田茂氏は、「日本を決定した百年」の著書を、自分で書きましたが、田中氏のベストセラー「日本列島改造論」は、優秀な官僚が書いています。
 
 自分の考えを官僚に代筆させただけと、悪びれないところが、氏の氏たる所以です。
 
 日本の頭越しに中国と国交回復をしたのは、アメリカでしたが、氏が間髪を入れず日中国交回復をすると、途端に危機を感じ、アメリカは田中総理の政界からの抹殺を図りました。世に言う「ロッキード事件」がそれで、犯罪人の汚名を着せられたまま、氏は憤死したと言われています。
 
 政治家と官僚を金権腐敗にまみれさせたのは田中氏でしたが、アメリカにより葬られた、悲劇の宰相としても心に残っています。「ロッキード事件」以後、アメリカに逆らえばとんでもないことになると、自民党の政治家たちが、以前にも増して米国の顔を伺う政治を始めました。
 
 中国や韓国・北朝鮮ばかりでなく、アメリカにも政治家は腰をかがめ、卑屈な政治をしています。誰がやっても、そうなってしまう風土が、敗戦後の日本の現実のようです。
 
 悲観的な話となりましたが、次回は、官僚組織を腕力で破壊しようとした、民主党について述べます。氏の著作から外れますが、我慢してください。横道から元の道へ戻った時、ヴォーゲル氏の著作への理解が一段と深まるはずです。
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