ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

拉致問題・著名人4氏の言葉

2024-03-17 18:14:20 | 徒然の記

 タイトルでは4氏の言葉としていますが、同時期の貴重な意見なので、朝日新聞特派員の入江記者も紹介します。

   1.   末川博氏     2.   小田実氏    3. 寺尾五郎氏
 
   4.  土井たか子氏   5.  入江記者
 
 言葉はいずれも、主として「ねこ庭」の過去記事からの引用で順番に紹介していきます。
 
 〈  1.   末川博氏の言葉   〉
 
 「朝鮮民主主義人民共和国こそ、立命館大学が理想とする国家である。
                                                             立命館大学名誉総長 末川博 」 

 氏は昭和44年に雄山閣が出版した『金日成伝』の推薦文を、このようなタイトルで書いています。以下は推薦文の内容です。

  ・人類のながい歴史のなかでそれぞれの民族や国家は、波瀾興亡をくりかえしてきたが、現代における奇跡といってもよいほどに、驚異的な発展をとげて、栄光と勝利に輝いているのは、朝鮮民主主義人民共和国である。

  ・かって幾世紀かの間、内憂と外患のために苦しんできた朝鮮民族は、いま金日成首相を天日と仰いで、社会主義国家としての基本路線をまっしぐらにつきすすみ、ゆるぎない基盤を築きあげている。

    ・まさに金日成首相は、百戦錬磨の偉大な政治家であるとともに、国際共産主義運動と労働運動の、卓越したリーダーである。この伝記は、ありきたりの記録ではない。

   ・世界史上にもまれな、民族解放闘争を勝利へと導いた人間金日成将軍の、感動あふれる一大叙事詩であり、輝かしい朝鮮近代史であり、人類の良心とも希望ともいえる不滅の人間ドラマである。

  戦時中は学生の戦意高揚に努め、敗戦後に一転して平和主義者となった氏を知らない若者たちは、この言葉を信じるのだと思います。しかし氏の変節を知る「ねこ庭」では、北朝鮮を褒め称える無節操さを怒りと共に記録します。罪もない日本人を拉致した犯罪国家を賛美する氏は、まさに関西における「獅子身中の虫の親玉」でした。

 昭和40年代、関西には北朝鮮賛美者の氏がいて、関東にはソ連を称賛する大内兵衛氏がいました。敗戦後の日本は氏のような反日の学者により、日本学士院と日本学術会議が占拠されました。東大社会科学研究所と同様、これらの組織が今も反日左翼学者の養成機関として機能していることは、何度か紹介してきましたので繰り返しません。

 〈  2.   小田実氏の言葉   〉・・雑誌のインタビュー記事

  ・北朝鮮には、あの悪魔の如き税金がない。食料はほとんど完全に自給自足できる国だ。( 昭和51年 )

  ・北朝鮮の社会を見ていると、それはあたかも働き者の一家で、みんなが懸命に働いていて、一家の頂に〈 アポジ  ( おやじ  ) 〉として、金日成さんがいる感じだ。( 昭和60年 )

  ・北朝鮮は、ものすごい管理体制の中で蓄積しているから、去年くらいから、もの凄く豊かになった。これから韓国との差が、もの凄く出てくる。( 昭和60年 )
 

 〈  3.   寺尾五郎氏の言葉   〉・・昭和33年NHKのテレビ解説

   ・昭和61年になれば、一人当たり生産額で北朝鮮が日本を抜く。日本が東洋一の工業国だと自負していられるのは、せいぜい今年か、来年のうちだけである。
 
 土井氏の発言は沢山ありますので次回とし、スペースの都合で先に朝日新聞記者の言葉を紹介します。
 
 〈  5.   入江記者の言葉   〉・・昭和59年の記事
   ・北朝鮮の経済建設のテンポは、もの凄く早い。鉄、電力、セメント、化学肥料や穀物の、一人当たり生産高は日本を凌ぐと政府は言っている。
 
   ・深夜の街で、酔っ払いなど一人も見かけない。深夜の街を歩いているのは、夜勤へと急ぐ労働者だけだ。
 
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拉致問題・著名人4氏の略歴

2024-03-17 13:42:45 | 徒然の記
   1.   立命館大学名誉総長 末川博氏
 
   2.   「九条の会」発起人の一人 平和運動活動家 小田実氏
 
   3.   NHKの解説委員  ( 共産党幹部 宮本委員長側近の一人 ) 寺尾五郎氏
 
   4.   社会党委員長 土井たか子氏
 
   5.   朝日新聞特派員 入江記者
 
 朝日新聞の入江記者はたまたま北朝鮮にいた特派員なので著名人でありませんが、他の4氏は間違いなく有名な人物で、発言が影響力を持っていました。その発言を紹介する前に、ウィキペディアから入江記者を除く4氏の略歴をお伝えします。
 
  1.   末川博氏(すえかわ ひろし)
 
   ・明治25 ( 1892 ) 年山口県岩国市生まれ、昭和52 ( 1977 ) 年 84才で没
   ・大正  6 ( 1917 ) 年京都帝国大学法学科卒業 日本の民法学者 法学博士
   ・日本学士院会員 京都帝国大学教授
   ・戦後に立命館大学学長 立命館総長 立命館大学では末川を名誉総長として顕彰
 
   2.   小田実氏(おだ まこと)
 
   ・昭和 7 ( 1932 ) 年大阪市出身、平成19 ( 2007 ) 年 75才で没
   ・東京大学文学部卒業後、代々木ゼミナールで英語科講師
      ・昭和33 ( 1958 ) 年、米フルブライト基金により渡米、体験記『何でも見てやろう』で一躍有名になった。
   ・作家、政治運動家、「ベ平連」 ( ベトナムに平和を ! 市民連合 ) 設立者の一人
   ・「九条の会」の呼びかけ人の一人。妻は画家の玄順恵 ( ヒョン・スンヒエ  )

  3.   寺尾五郎氏 (てらお ごろう )

   ・大正10 ( 1921 ) 年室蘭市出身、平成11 ( 1999 ) 年 78才で没
   ・早稲田大学文学部卒業後、共産主義運動に参加
   ・元日本共産党党員、歴史学者、元日本朝鮮研究所理事
   ・昭和18 ( 1943 ) 年豊玉刑務所から出所し、以後共産党本部の専従活動家となる
   ・昭和33 ( 1958 ) 年、北朝鮮建国10周年記念式典に訪朝使節団として訪問し、同国の発展を大々的に描いた『38度線の北』を著す
   ・1960年代は平和運動、日中・日朝友好活動に奔走し、両国をたびたび訪問する
 
  4.   土井たか子氏 (どい たかこ )
 
   ・昭和  3 ( 1928 ) 年神戸市出身、平成26 ( 2014 ) 年 76才で没
   ・昭和24 ( 1949 ) 年旧京都女子専門学校支那語科卒業後、同大学講師
   ・同年同志社大学憲法学者田畑忍の講演に感動し、同大3年に編入し指導を受ける
   ・昭和31 ( 1956 ) 年同大卒業後、同大、関西学院大、聖和女子大学で憲法学の講師を務める
   ・日本の政治家、第10代日本社会党委員長、第68代衆議院議長。第2代社会民主党党首
   ・いずれも日本初の、女性衆議院議長、女性政党党首として有名
   ・平成元年 ( 1989 ) 年の参議院選挙では、土井の個人的人気に支えられ、「土井ブーム」「おたかさんブーム」「マドンナ旋風」が起き、新人女性議員が多数当選し、社会党が比較第1党となった
   ・この時の土井の言葉「山が動いた」は、名文句として有名になった

 略歴でスペースがなくなりましたので、各氏の北朝鮮の賞賛発言は次回の紹介といたします。

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拉致問題の、基本からの見直し - 2 ( 都道府県別特定失踪者数 )

2024-03-17 09:12:06 | 徒然の記

 今回は警察庁の広報から、都道府県別の特定失踪者数を紹介します。具体的な県名と人数を見ますと、何のために北朝鮮はこのように大掛かりな拉致をしたのかという疑問が実感となります。

   北海道  50人    青森  5人     岩手  7人      宮城  3人

   秋田   5人     山形  2人     福島  5人      東京都  47人

   茨城   3人     栃木  4人     群馬  3人      埼玉  16人  

         千葉    25人     神奈川 36人     新潟   26人     山梨    2人

         長野       4人    静岡  11人      富山      8人     石川   9人

         福井       7人    岐阜    4人      愛知   22人     三重   4人 

         滋賀       1人      京都  13人     兵庫   28人     奈良   3人

         和歌山    1人      鳥取    4人     島根      2人     岡山  1人

         広島        8人     山口  11人      香川     4人      徳島      8人

         愛媛        7人     高知    3人      福岡  22人      佐賀      5人

         長崎        3人     熊本    6人      大分     4人      宮崎      8人

         鹿児島        22人      沖縄  26人

 北朝鮮による日本人拉致は、昭和45 ( 1970 ) 年頃から昭和55 ( 1980 ) 年頃にかけた、10年間に多発しました。10年間の内閣を調べますと、次のとおりです。

  昭和45年・・佐藤内閣   昭和47年・・田中内閣   昭和49年・・三木内閣

  昭和51年・・福田内閣   昭和53年・・大平内閣   昭和55年・・鈴木内閣

 拉致問題を最初に報じたのが、昭和55年1月の産経新聞だったと言われています。しかし鈴木内閣は関心を示さず、歴代内閣は拉致問題が発生していることを、ほとんど知らないまま過ごしていたということになるようです。

 殴られたり頭から麻袋を被せられたり、力づくで連れ去られた人もいますが、うまい言葉に騙されついていった人もいるそうです。それにしても日本各地で、これだけの人数を不法に連れ出しているのですから、少人数の犯罪ではありません。

 全国に何十人と、屈強な北の工作員がいなければできないだろうと素人でも考えつきます。不法に日本人を連れ出しているということは、北の犯罪者が簡単に不法入国できるほど、日本は警戒心のない国だったということになります。在日朝鮮人や朝鮮総連の人間が手助けしていたという噂もありますが、この件で政府が動いたという報道を目にした記憶がありません。

 「ねこ庭」を訪問される方々の中には、昭和40年代の日本に北朝鮮を称賛する著名人が沢山いたということを、覚えておられる方がいるのかもしれません。「ねこ庭」の過去記事の中から、そんな北朝鮮称賛者の名前の一部を探し出しました。

   1.   立命館大学名誉総長 末川博氏
 
   2.   「九条の会」発起人の一人 平和運動活動家 小田実氏
 
   3.   NHKの解説委員  ( 共産党幹部 宮本委員長側近の一人 ) 寺尾五郎氏
 
   4.   社会党委員長 土井たか子氏
 
   5.   朝日新聞特派員 入江記者
   
 次回は、昭和40年代これらの人々がどのような意見を述べていたのかを紹介します。当時の日本に、北朝鮮への警戒心が生じる風潮のなかったことが、これでよく分かります。
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