ねこ庭の独り言

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『満州事変』 - 3 ( 「田中上奏文」と日本人一般 )

2021-10-21 15:30:22 | 徒然の記

 今回のテーマは、「田中上奏文」です。本来なら、昭和2年に開催された「東方会議」と合わせて説明すべきものですが、戦後育ちの私たちは、「東方会議」も「田中上奏文」も知りません。まして田中義一総理については、陸軍の暴走を止められず、満州帝国の成立を許した首相として教わったくらいで、詳しい事実は何も知りません。

 「田中首相」、「東方会議」、「田中上奏文」につき、島田氏の著書で初めて知り、自分自身が驚き、概要だけでも、子供たちに伝えたいと思ったくらいですから、どこから始めれば良いのか迷っています。幸い氏の説明が右や左に傾かず、客観的なので、そのまま転記すれば良い気がします。

 「この文書は、〈 支那を征服せんと欲せば、まず満州を征服せざるべからず。〉」「〈 世界を征服せんと欲せば、必ずまず、支那を征服せざるべからず。 〉」「という怪気炎を含む前文に始まり、四万語を費やし、」「〈 明治大帝の遺策  〉である満蒙征服のため、日本がとる諸方策を論じている。」

 「満州から出発し、やがて華北をはじめ、東亜全域を手中にし、」「ついには全世界を日本の支配下におくための計画が、詳細に述べられている。」

 「しかもこの一文は、東方会議が終わってのち、」「田中首相が、天皇に上奏したという形式がとられている。」

 田中文書の内容紹介はこの程度ですが、おおよその検討はつきます。氏の意見を、箇条書きにして紹介します。

  ・文書の真偽は別として、内容にはかなりの具体性がある。

  ・当時の日本の、政策決定組織のどこかに関係した者でなければ、これを書くことはできないと思われる。

  ・中国人はもちろん、アメリカ人やソ連人が鬼の首でも取ったように、「日本の侵略計画だ。」と騒ぎ立てたのも無理はない。

  ・昭和6年の満州事変以後、中国やアメリカで、いっそうこの文書の流布が盛んになった。

  ・東方会議以後の日本の侵略路線が、この文書の示す方向に一致していたので、なおさら文書がホンモノだと確信された。

  ・昭和7年の国際連盟理事会で、中国代表の顧維鈞 ( コ・イキン ) がこの文書に触れたため、日本代表の松岡洋右との間に応酬があった。

 つまりこの文書は、戦後になって問題視されたのでなく、満州事変以後、列国が日本を攻撃するときの材料でした。戦後に使われたのは、次の2回です。

  1.  極東軍事裁判 ( 東京裁判 ) で、証人として出廷した中国がこれに言及した。

  2. 昭和25年、ソ連のフルシチョフ首相が、日本の軍国主義者の侵略行為を思い起こさせるため、演説で引用した。

 しかし「田中文書」そのものは、日本人の間ではほとんど知られることがなく、世界のマスコミも言及しなくなりました。なぜそうなったのか、不思議な気がします。この文書が本物なら、現在の中国や韓国、アメリカのマスコミが黙っているでしょうか。

 「田中文書」に比べれば、「慰安婦問題」や「南京事件」、「徴用工」、「軍艦島の強制労働」の嘘は、はるかにレベルの低いものになります。世の中から消えたのは、その後の検証で、多くの誤りが発見されたためだろうと、氏が解説しています。

   ・「大正天皇が、山県有朋他を招き、ワシントン会議時の〈 九カ国条約 〉に対する、打開策を検討させた。」とあるが、山県はこのときすでに死んでいた。

   ・田中の欧米行きは、ワシントン会議より10年前のもので、文書に書かれている頃ではない。

   ・田中が刺客に遭ったのは、欧米旅行の帰途でなく、マニラ訪問の帰途であり、犯人は支那人でなく、朝鮮人である。

   ・「対馬とフィリピンは、ひとまたぎの距離」とあるが、2700キロの隔たりがある。

   ・福岡師団とあるが、福岡に師団はない。

   ・「関東都督府の令嬢が、蒙古王族の顧問となった。」とあるが、令嬢は当時15才の女学校生徒で、その後も蒙古へ行ったことがない。

   ・昭和4年に完成した吉海鉄道のことを、昭和2年付の文書で、「すでに完成した」と、述べている。

 しかし私が注目する大事な点は、この先です。

 「〈 田中上奏文 〉は、このように満身創痍の有様で、もはやこれが偽物であることは、間違いなさそうである。」

 「多分日本人が作ったであろう原文は、昭和4年の夏頃、中国人の誰かによって大金で買い取られ、」「遅くともその9月には中国で、漢文と英文の文書にまとめられた。」

 氏は文書の中に使われている言葉が、上奏文に相応しい品格に欠けていることが一番の欠陥だと言います。天皇陛下の臣下であることを、最大の誇りとしている軍人の田中総理が、このような型破りな上奏文を読みあげるなどできないと説明します。

 田中総理は、張作霖爆破事件の当事者を厳罰に処すと言いながら、実行しなかったため、陛下から、「先の説明と矛盾しているのではないか。」と詰問され、翌日総理を辞職したという人物です。氏の説明に、私が納得する理由がここにあります。

 筆者である日本人は誰なのか、何の目的で書いたのか、依然として不明のままですが、私はここに、戦前から現在に続く「反日日本人」の存在に目を向けます。国の不利益と知りながら、大金を得て、不都合な事実を他国へ売り渡すという人間の存在です。

 現在の私は、背信するのは「反日左翼」と決めつけていますが、そういう単純さではダメだということが分かります。「大陸浪人か、軍隊内の不満分子か、政府内の反主流派か、」と、犯人探しは霧の中ですが、どこから見ても左系の人間ではありません。

 大金に目が眩み国を売る人間は、右左に関係なしと考える方が、妥当な気がしてきました。歴史の流れの中で見ますと、現在の自民党も、なるほどと思わされます。自分の利益のため、中国の代弁者となっている議員、アメリカのスポークスマンとなっている議員など、思い当たる顔が浮かびます。

 共産党や立憲民主党など、本物の反日左翼議員はもちろんですが、自民党にも油断してはならないという結論になります。考えてみればそんな難しい話でなく、人間というものを、いい加減な自分を通して眺めれば、すぐに納得できます。立派な意見を述べる時もあるし、変な理屈で自己正当化する時もあります。大金を目の前に積まれたら、咄嗟の判断ができず、慌てるに決まっています。

 だから、私は息子たちに言います。人間を過大評価してはいけません。過小評価してもいけません。私たちが見習うべきは、自分の親です。小さな間違いは沢山していても、大きな間違いは避けています。大金に惑わされず、他人を殺傷せず、家族を大切にして頑張ってきた自分たちの親、祖父母、ご先祖さまを見習えば良いのです。

 悪事ばかりする親を持った子供たちは、どうすれば良いのか。残念ながら、今の私には、そこまで手が回りません。( 次回は、「東方会議」についてご報告します。 )

コメント (4)
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