大正14(1925)年に孫文が亡くなった後、国民政府には、後継者が4人いました。
1. 蒋介石 ・・ 国民政府・軍官学校校長 反共主義者
2. 胡漢民 ( こかんみん ) ・・ 暗殺される
3. 廖仲愷 ( りょうちゅうがい ) ・・胡漢民の暗殺が、廖の弟だったため、後継者から外された
4. 汪兆銘 ( おうちょうめい ) ・・ソ連親派の革命家 左派
最終的に国民政府は、蒋介石と汪兆銘の二人が率いることとなり、左右両派が対立のまま同居します。蒋介石は、何度か共産勢力の排除を試みますが、彼らに共通の敵がいて、その敵を倒さない限り、中国の統一ができないため、互いに我慢しました。
現在の日本で言えば、共産党と自民党が、連立して政府を作っていることになります。共通の敵は、「北方軍閥」と呼ばれる3つの勢力でした。
1. 呉佩孚 ( ごはいふ ) 25万の軍隊
河南、湖北、湖南、四川、貴州、中国のほぼ中央部を縦断する布陣
2. 孫伝芳 ( そんでんぽう ) 20万の軍隊
江蘇、浙江、安徽、福建、江西の5省を支配
3. 張作霖( ちょうさくりん ) とその友軍 50万の軍隊
河北、山東、満州、熱河、チャハル、河北に威を振るう
これに対し、蒋介石の率いる国民革命軍 ( 南軍 ) は、南方系の地方軍閥も含め、兵力が10分の1と言われますから、10万人前後です。南軍の抱えている問題点を、島田氏が説明してくれます。
「共産分子は、蒋介石の北伐断行とともに戦術を転換し、」「積極的に北伐に参加した。」「彼らは強烈な革命と排外の意識に燃え、北伐を利用し、」「各地に労働運動を推進し、一挙に革命の主導権を握ろうと考えていた。」
日本も含め、列強は反共産主義国ですから、いっそう問題を複雑にしました。たとえば漢口には、ドイツ租界、フランス租界、ロシア租界、イギリス租界、日本租界があり、企業や商店があり、頻発するストライキに手を焼くという有様です。
軍閥のトップにあるのは、政治理念や信条でなく、自分たちの利益と存続でしたから、寝返ったり、嘘をついたり簡単にします。北軍だった将軍が南軍へ走ったり、手を組んで勝手な政府を名乗ったりします。列強に協力し、他の軍閥と争ったりもします。
以前は、中国人が老獪で、計算高いのだと決めつけていましたが、「温故知新」の読書が、偏見を正してくれました。陸続きの大陸にある国は、太古の昔から異民族が隣り合わせにいて、戦争したり、滅ぼされたりを繰り返しています。うっかりしていると殺されますから、その場を切り抜けるには、嘘も方便で駆使します。
島国の日本人には想像できない、激しい興亡が常にありました。戦争や殺戮に慣れている欧米列強は、アジア諸国を侵略し、植民地化するとき、日本人のように逡巡しなかったのではないかと思います。日清・日露の戦争は、日本防衛のための戦争でしたが、いざ列強の側に立ってしまうと、「日本人であること」の制約の大きさを、初めて知らされることになったのではないでしょうか。
「信義を重んじる」「虚言を弄しない」「恥を知る」「私利に走らず」・・こうした武士道の精神や生き方は、大陸国家では通用しません。「武士道は、死ぬことなりと見つけたり」と、本気で信じていれば、命が幾つあっても足りません。
誰の書を読んでも、こういうことは書かれていませんが、そういう気がしてきました。権謀術策や奸計、背信、謀殺など、日本の歴史に無関係ではありませんが、その規模の大きさと頻度は、大陸国家と比較になりません。
日清・日露戦争の勝利で打ち止めにし、「朝鮮併合」や「満州国設立」をしなければ良かったのでしょうが、それは無理な話でした。列強の侵略から日本を守るには、朝鮮と満州の安定が欠かせなかったからです。中華思想と儒教思想の中国と朝鮮が、日本を禽獣の国として軽蔑し、協力しないところに原因がありました。
日本から見れば、中国と朝鮮は腹立たしい国ですが、彼らの立場に立てば、劣等民族などと、どうして協力する気になれるのかと、心情は理解できます。無理やり推し進めようとすれば、列強がやったように、武力で支配する以外ありません。こういうことをすると、民族の団結心を固めさせ、怒りと恨みを買います。たった36年間の日韓併合でさえ、韓国は「怨みは千年経っても消えない」と言います。
イスラエルとアラブの紛争が、何千年か続いていることを思えば、朴槿恵大統領の言葉も理解できます。しかし理解と、容認は同じでありません。
最近左翼系の学者や評論家が、新聞やテレビで「他文化との共生」や「多様な意見の許容」など、盛んに語っています。一番不思議でなのは、彼らの意見が、「日本人の心が狭い」「差別や偏見をしているのは、日本人だ」という前提で、語られているところです。
「他文化との共生」や「多様な意見の許容」が出来る社会は、素晴らしいだろうと思います。理想と掲げて努力するのは、意義があります。しかし、私たち日本人にだけ我慢を語りかけるところに、疑問が生じます。「日本だけが悪かった」「日本だけが間違っていた」とする、「東京裁判史観」とどこが違うのでしょう。だから彼らに賛同する前に、つい、軽蔑してしまいます。
今回も話が横道にそれましたが、こういう点を頭に置きながら、次回は「東方会議」について、ご報告します。