「日本国憲法」は、占領下でマッカーサーに押しつけられたものだから、改正すべきという意見があります。占領国による、被占領国の憲法改正が、国際法違反であるということは、GHQも認識していました。
これが、「憲法改正」に賛同する理由の一つでもあります。
しかし憲法を「明治憲法」に戻せば良い」という意見には、賛成しません。天皇を絶対不可侵の存在と位置づけた憲法に、欠陥のあることが分かっているからです。
「明治憲法」の解釈が、絶対不可侵の天皇に軍の「統帥権」を直結させ、内閣の手の届かない存在とした事実が敗戦の一因だと、近衛内閣の書記官長 だった富田健二氏が述べていました。
「国務」と「軍務」という言葉も、今では死語となり、辞書では適切な説明が見つかりませんでした。
富田氏の著書から引用しますと、次のようになります。
国 務・・・ 国政のうち、 軍事、立法・司法を除き、内閣の権能に属する政務の総称
軍 務・・・ 軍事に関する実務の総称。内閣から独立し、天皇の大権とされた軍の統帥事項全般
「今回の条約改正問題は、政治問題でなく、国家問題である。」
「かようなことが、法律に触れるものならば、軍人はついに、無思想とならざるを得ないではないか。
前回紹介した谷中将の意見ですが、国務と軍務には一線が引き難く、個人の解釈で変わります。中将の頭の中では政治問題とは国務で、国家問題が軍務となっています。
絶対不可侵の天皇に「統帥権」を与えた憲法に、欠陥があるという事実をもっと知るべきではないでしょうか。高橋氏の著作では、軍閥の萌芽を作った山県有朋公への説明があります。
・激しい権力意思に貫かれた彼の85年の生涯は、政治的人間の一つの形を示している。
・陸軍80年の歴史のうち実に50年の間、彼は個人として陸軍を支配したのである。
・桂太郎 、 寺内正毅、 田中義一といういわゆる長州閥で、山縣が陸軍の前期、ほぼ50年を支配した事実は、よく知られているところである。
・山県が日本最初の内閣である伊藤内閣に、内務大臣として入閣した時より、後年の陸軍の軍閥化が、始まると言える。
・内務大臣の権限はその言葉の通り、日本国内のすべてのことをつかさどるという、今日では想像を絶する強大なものであった。
・山県が内務大臣として入閣したことが、この後、軍と政治の力関係を決定したと言っても良い。
私はこれまで、日本の「官僚制度の基礎作り」をしたのが山県有朋公と教わっていました。「軍の制度」も公が作り、50年も支配していたとは知りませんでした。
「軍人勅諭」の原案を作ったのも公で、軍人の政治からの中立、いわゆる「兵権独立主義的差別主義」を確立したのも公でした。
これについて、高橋氏が説明しています。
・日本陸軍の重大な「中立主義」は、山県その人によって、はじめから踏みにじられていたのである。つまり彼により、すべての政治問題が国家問題へ還元されていく。
・国家問題へ還元されたものは、最後には「統帥権」に収斂されていく。谷干城の新聞談話など、山県の政治行動から見れば、象と蟻の大きさの違いがある。
山県有朋公は、個人的野望で行動したというより、元勲の一人として、列強に対抗するには、「富国強兵」しかないという信念の持ち主でした。軍があってこその日本と信じ、強力な軍を作ることに生涯を捧げました。
彼がいる間、「明治憲法」は有効だったのでしょうが、元勲がいなくなった昭和になると軍閥の独走が止められなくなりました。
平成の世はあと10日あまりで終わり、 令和の時代となります。どのような時代となっても、敗戦以来抱えている課題は変わりません。
1. 皇室の伝統と文化を守ること。
2. 国の自主独立のため、軍を再建すること この二つです。
山県公が作った陸軍の間違いの一つを、高橋氏が指摘しています。
・軍人は政治に関わらずと戒めているが、そもそも陸軍の学校では幼年学校から陸大まで、政治に関する教育、授業は一度もないのである。
・大正の中頃までは、新聞、雑誌は、上司の許可なきものは、一切読ませない。世間に出るのは、外出を許可された日曜日だけである。これでは、惑わずどころか、世論のなんたるかが軍人に正しく理解されるはずがない。
・この学校を出たエリートたちが、全陸軍の政治的判断や行動を、軍の中枢で決めるのである。彼ら軍人は前記のように、まったく政治について教育を受けていないのである。兵権独立主義的差別主義の破綻は、ここにも見られる。
海軍の学校では陸軍と違い、読書も討論も自由で、世に出た時軍人であると同時に世間に通用する紳士となるよう、教育されたと別の本で読みました。海軍と陸軍の思想風土の違いが、戦争遂行に大きな障害となったのではないでしょうか。
情報を閉ざされた空間にいれば、優秀なエリートでも世間が見えなくなります。世間だけでなく、国際社会や、国際政治への判断も正しくできるのかと疑問になります。
陸軍は満州・ソ連への戦略を優先し、海軍は米英との戦争準備に力を注ぎました。
双方が一つになり戦略を立てれば、国力不相応な戦争への突入にも、別のやり方が生まれたのかもしれません。現在の防衛大学がどのようになっているのか知りませんが、「憲法改正」だけでなく、「軍人教育」につきましても、無関心でいてはならないという思いが強まります。
238ページの本の、45ページのところにいます。どうやら私も、日本軍と同様、実力不相応な問題に首を突っ込んだのではないかと、たじろいでいます。