今回は、「三国干渉」ついて林氏の意見を紹介する。
・「三国干渉」もまた、今では忘れられた事件の一つかもしれぬ。戦後の史書には、全くこれに触れていないものもある。
・「日清講和条約」が下関で調印され、日本は台湾と遼東半島を領有することになった。批准が終わったわずか三日後に、ロシア、フランス、ドイツの三国による遼東放棄の勧告が、日本政府に突きつけられた。
・もちろん、ただの勧告ではない。ロシアはオデッサ軍港に船を集め、世界最強の陸軍を極東に送る準備を始めていた。明らかな軍事干渉である。
・イギリスとアメリカは、不介入の態度をとった。不介入とは、三国の軍事介入が実行されても、日本に味方しないという意味である。
・日本は屈服した。政府としては、それ以外の対策はなかった。
・清国軍との戦闘は連戦連勝の大勝利に見えたが、陸軍も海軍も、全力を使い果たしていた。ロシア一国にも、抵抗できない実情だった。日本は遼東半島を還付 ( 返還 ) し、国民とともに臥薪嘗胆を誓った。
未開、後進国ばかりのアジアで、ひとり日本が文明開花に成功し、国力を伸張させたが、西欧列強はそんな日本を喜ばなかった。劣等の有色人種が、白人の仲間入りすることを拒否し、彼らはそれを暗黙のうちに了解していた。林氏は人種差別について明言を避けているが、私は歴史からこの現実を直視した。
・日清戦争では、たしかに朝鮮、満州まで出撃した。だがそこで、欧州三強国の干渉を受けて、後退せざるを得なかった。これを、勝利と呼ぶことができようか。
・十年後の日露戦争も、同様に挫折した戦争だった。両戦争によって日本は、初期の目的を何一つ達成しなかったと言ってもいい。
・得たものはただ、幕末以来、日本を包囲し続けた西洋列強による首輪が、ますます強く、ますます狭く締めつけられていくという教訓だけであった。
・この列強の包囲陣の中で、日本の挫折は、最後の挫折の大東亜戦争の敗北まで続く。8月15日の敗戦において、幕末以来の日本の抵抗と挫折、つまり、「東亜百年戦争」が終わった。
・「東亜百年戦争」は、現在の歴史家の目で見れば、そもそも初めから勝ち目のなかった戦争である。しかし、戦わねばならなかった。
・この100年間日本は戦闘に勝っても、戦争に勝ったことは一度もなかった。何という無謀な戦争を、われわれは100年間戦ってきたことか。
( 人種 )差別は今も続き、国際社会での日本の孤立がある。中国や韓国が、いかに捏造の「慰安婦問題」や「南京事件」で日本を攻撃しても、不介入の立場を崩さない欧米諸国の姿がそれを裏づけている。
敗戦後の荒廃した国土から不死鳥のようによみがえり、世界第二の経済大国となった日本を、白人である彼らは心良しとしていない。強い同盟関係と言っている米国でさえ、というより、米国こそが日本の台頭を警戒している。
林氏は「東亜百年戦争」という概念で、侵略国家日本というレッテルを剥がそうと試みているが、日本が日本である限り、将来に渡り国際社会での孤立は免れないと私は考えている。
日本は八百万の神を信じる多神教の国だが、西欧諸国は一神教の国だ。自国だけが世界の中心と主張する中国の中華思想も一神教と同じだ。コバンザメのような小中華の韓国も中国同様、未来永劫日本とは相入れない。
この話をすると氏の著書から外れてしまうので、テーマを元へ戻す。
氏は「東亜百年戦争」の概念によって、左翼の歴史観を否定している。『日本軍国主義』の著者である、井上清教授への氏の批判を紹介する。
・井上教授の立場は、人も知るごとくマルクス主義者であり、コミンテルン史観者である。
・日本の歩みはすべて、反人民的であるがゆえに徹頭徹尾不正義であり、特に明治天皇制成立以後の歴史は、内に対して暴圧と搾取、外に対しては侵略と略奪の連続であったことを、全力を挙げて証明しようとする。
・天皇ファッシズム、軍部ファッシズムなどの用語を、自分の頭で検討することなしに著書に用いるというのは、慎重な学者の態度ではない。
・日本の進歩学者諸氏は、連合国側の俗耳に入りやすい戦争スローガンを、そのまま受け入れただけである。
左翼学者への反証として、林氏は日露戦争当時の二葉亭四迷の意見を紹介している。
・わが輩は断言する。今度の戦争は、必ず勝つと高をくくって始めた戦争ではない。勝つ勝たぬは第二の問題として、まずもって、万やむを得ぬから始めた戦争だ。
・ 存亡を堵しているから、主観的には負けぬ気でも、客観的には安心していられなかった。手に汗を握り、戦局の経過に注意していたのが事実である。
林氏が言いたいのは、「東亜百年戦争」の中に位置付けられた日本の宿命が、勝てそうもない戦争へと国民を駆り立てたという事実だ。
次に氏は、東大教授丸山真男氏の意見を紹介する。丸山氏の意見のタイトルは、「太平洋戦争指導者の心理と態度の分析」だ。
・ナチスの指導者は、開戦の決断に関する明白な意識を持っているに違いない。しかるに我が国は、これだけの戦争をしながら、我こそ戦争を起こしたという意識が、これまでのところどこにも見当たらない。
・何となく、ずるずると国を挙げて戦禍に突入したという、この驚くべき事態は何を意味するのか。
・あの復讐裁判の被告席には、責任を他に押し付け、あわよくば死刑をまぬがれようなどと思っていた卑怯者は、一人もいなかった。できれば、責任を一人で引き受けても良いと、覚悟していた者が大部分であろう。
・だがどう探してみても、彼らの意見自分の中に、開戦責任の所在が発見できない。そのため検察官の耳には被告の答弁が、『12才の子供の答え』に聞こえてしまい、検察席からの失笑を招いた。
丸山氏の意見の紹介も、氏に敬意を払ってしているのではない。「東亜百年戦争」の歴史も知らず、見当違いの批判をしていると立腹している。
氏は明確に述べていないが、「東亜百年戦争」に参入していたのだから、個々の指導者に開戦責任のあろうはずがない、と考えている。賢い読者は理解するが、理解力のない私や井上教授や丸山教授のためには、ハッキリ書くべきだった。
ユダヤ人の虐殺や欧州各国への侵略は、ヒトラーを抜きにして語れないが、大東亜戦争の開始について、日本には特定の人物がいない。幕末以来の歴史を持つ日本では、誰が指導者であっても大東亜戦争は避けられなかった。
せめてこのくらいはのことに気づいたらどうかと、氏は井上教授と丸山教授に言いたかったのではないか。
今日も11時を過ぎた。本日はこれで終る。