ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

日本文化史

2015-04-17 16:57:50 | 徒然の記

 家永三郎著「日本文化史」(昭和34年刊 岩波文庫)、を読んだ。

 大正2年生まれの氏は、昭和12年に東大の文学部国史科を卒業し、22年後にこの本を書いている。本の最終ページに、氏だけでなく、岩波雄二郎氏の住所まで印刷されているところに、フライバシーなどうるさく言わなかった時代の、平穏さが偲ばれた。

 左系岩波書店と、反権力学者として名高い氏への警戒心が解けず、硬い心で読み進んだが、大半の内容に納得させられた。縄文時代から敗戦後の日本まで、その歴史と文化が語られ、高校生時代に戻ったような懐かしさだった。ぼんやりと覚えていた事柄を再確認し、曖昧な知識がキチンと穴埋めされたような有り難さもあった。

 法然・親鸞以前の仏教が、彼らの出現によって、どのように変化したか。源氏物語と平家物語の決定的違いは、どこにあるのか。儒学と国学と洋学の違い、その短所と長所、どんな人物が取り組んでいたか等々、沢山復習ができた。

 政治、宗教、建築、絵画、彫刻、貴族と武士と町人など、あらゆる事柄が、簡潔に語られる。偏見に充ちた意見ばかりと思っていたが、対立する主張にも言及されており、むしろ、氏の知識の豊かさと、寛容な理解力に驚かされたくらいだ。
都合の良い事実だけつなぎ合わせ、相手を貶し、身勝手な主張を述べる、朝日新聞NHKに、見習わせてやりたくなったほどだった。

 しかし本の最後になると、GHQによる占領時代を 、"第二の開国" と称し、期待通りというべきか、私と異なる主張の展開が始まった。

 「占領下の改革は、黒船の渡来を契機とする、近代化への転換を、」「もう一度、徹底的な形で試みようとする、」「 第二の開国であったと、いえるかもしれない。」

 「太平洋戦争の敗北は、あらゆる意味において、」「日本の歴史の上に、決定的な転換期をもたらした。」「日本の近代化を、特殊な方向にゆがめてきた様々の条件は、」「おおむね取り除かれた。」

 「ことに前近代的な、天皇制君権主義の明治憲法が廃止されて、」「ブルジョア民主主義の原則に立つ、日本国憲法が制定されたこと。」

 こうして彼は、家父長制度を消滅させた新民法の制定と、農地改革を絶賛する。

 「ポツダム宣言は、日・独・伊のファシズムの、」「歴史に逆行する蛮行を、打倒するために、」「決起した自由な諸国民の意思にもとづいて、起草されたものであり、」「押し戻すことの出来ない、人類進歩の、世界史的発展の大勢へと、」「日本を、巻き込んだ結果となった。」「単に戦勝国が、敗戦国に課した、力の政策のあらわれと、解すべきではなかろう。」

 結局こうして彼もまた、変節学者の一人として自論を展開する。
つい先頃まで、昭和天皇や皇太子であった今上天皇へ、歴史のご進講をしていた彼だったというのに、この変貌ぶりだ。

 「戦後の日本国民は、ポツダム宣言の受諾によって、」「初めて、天皇制君権主義の枠から解放され、」「世界人類の共同遺産である、近代的民主主義の線に添って、」「その運命を開拓して行く可能性を、獲得することができたのである。」

 そして彼は共産党の親派らしく、正直な主張をする。

 「けれども不幸なことに、資本主義諸国と共産主義諸国の対立が激化し、」「占領政策が、アメリカの国益に添って進められたことは、」「 " 第二の開国" により、せっかく近代化の道を進み始めていた、日本を、」「アメリカの植民地同然の状態に、追い込むような結果をもたらすことを、まぬかれなかった。」

 ソ連や中国のように、共産主義を取り入れていたら、日本はもっと近代化が進んでいたと、氏は言いたいのだろうが、現在のソ連と中国がどんな国になっているのか。氏の意見がいかに的外れなものだったか、戦後70年の歴史が証明している。

 氏の意見に正しさがあるとすれば、日本が今でも尚、アメリカの植民地同然の状態から逃れられないでいる、というところだろう。

 氏は本書の締めくくりとして、高らかに宣言する。

 「健康で前進的な文化を創造する、エネルギーを獲得するためには、」「まず日本国民が、植民地的状態から解放され、自身の力によって、」「将来を開拓して行けるような、独立性を回復することが、第一の急務となるのではなかろうか。」

 「このような努力が成功するときに、過去の日本文化の輝かしい伝統は、世界文化史の一環として、その生命を復活し、」「日本民族は、独自の文化的伝統をもって、世界人類の文化の向上のため、」「寄与することが、可能となるであろう。」

 反権力とは言いながら、氏は自虐史観の徒ではなく、日本の全てを否定する反日の徒でもないことを、この最後の主張から読み取る。日本のあちこちに散在し、外国にまで出かけ、日本を貶めていいる売国の徒と、氏は明らかに違っている。

 国を大切にする心を、失いさえしなければ、時に間違った意見を述べたとしても、それが何だろう。揺れ動いた彼の間違った意見も含め、私は氏を受け入れる。

 だから、この本は、大切に本棚に並べ、いつの日にか、子や孫が読んでくれたらと期待する。自分の意見に合わなくても、無視できない本もあるのだと、氏が教えてくれた。

  平成14年に逝去された家永氏に感謝しつつ、ご冥福を祈る。

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