ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

ヒンズー教とイスラム教

2014-01-22 21:32:51 | 徒然の記

 荒松雄著「ヒンズー教とイスラム教」(昭和52年刊 岩波新書)を、読み終えた。

 荒氏は、母と同じ大正10年の生まれだから、存命なら93才だ。中学生の頃から、インドでは二つの宗教が併存すると聞いていたが、無宗教に近い私は、神秘の国には神秘な宗教があると、その程度の理解しかない。

 三頁開いたところで、アーリアン人と出て来た。次の頁には、南アジア、西アジアとでてきた。これが正しく分からないと先へ進めないから、インターネットで調べた。こんなことをしているため、薄っぺらな新書が、読み終えるのにひと月かかった。ブログで一人前にあれこれ書いているが、他人様から見れば、そんなことも知らないのかと、笑われるのだろうが、その通りですと恥じるしかない、浅学非才だ。

 紀元前1500~1300年の頃、アーリア人の間でヴェーダ(初期ヒンズー教)が生まれ、バラモン教へ発展し、やがてヒンズー教となる。

 多神教のヒンズーは偶像崇拝をするが、イスラム教は一神教でアッラーの神以外は認めず、偶像崇拝も拒否する。祈りと礼拝の方法も異なり、イスラムのモスクは、神殿でもなく神社でもなく、単なる礼拝の場所である。ヒンズーのマンデルは、神が祀られる寺院で、婦人の姿も見られる。女は自分の家で礼拝すべしという、イスラム教のモスクには、女性がいない。

 更に大きな違いは、人種や社会的地位に拘らず、神の前では皆平等というイスラム教と、身分制を持つヒンズー教が、最下層の民シュードラを、マンデルに入らせないというところだ。

 ヒンズーの身分制はカーストと言われ、バラモン(聖職者)、クシャトリア(戦士 日本で言えば武士)、ヴァイシャ(農・商の庶民)、シュードラ(召使い、奴隷)に区分され、今でもこの制度は生きているらしい。

 輪廻転生、因果応報という考え方が、ヒンズー教から来ていることを初めて知り、ここでやっと、現在の自分に繋がるものを見つけ、親しみを覚えた。前世、現世、来世とのつながりを信じ、この世での行いが、来世の自分を決めるというのだから、なじみ深い仏教の教えと重なる。

 それでもインドでは、カーストの身分制が今も残ると知れば、親しみが半減する。何時ものことながら、本に向かい、心を開いたり閉ざしたり、こうした忙しい読み方しかできない自分は、きっと心の狭い凡人であろうと、自覚させられる。

 イスラム教はと言えば、前世も来世もそんなものはなく、あるのは現世のみだ。戒律を正しく守っておれば、神の最後の審判が正しく下されると、こういうところはキリスト教と重なる。

 八百万の神を信じる日本人は、原理・原則のない人間の集団であると、かってそんなことを言い、国民を馬鹿にした学者の本を読んだが、こんなに矛盾する宗教を共存させるインド人だって、負けず劣らずでないかと、本当に驚き安堵もした。きっとあの学者は、戦後の日本に溢れている、自虐史観の反日日本人だったに違いない。

 今でこそインドは統一された国だが、イギリスの植民地になる前は、沢山の王国の集合体だった。イスラム教の王様に支配されるヒンズーの民や、ヒンズーの王様に統率されるイスラム教の民など、複雑に入り混じった国家群だったらしい。悲喜こもごもあっただろうに、500年も1000年もの間、インドの人びとは反発し融合し、殺したり愛したりを繰り返し、生きて来たのだ。

 そこから学び取れる尊い教えは、「たかだか戦後69年でないか。なんの焦ることがあろうか。」「自虐史観だの反日・売国のマスコミだの、政治家だの、」「中国だろうが、アメリカだろうが。そんなもの小さい、小さい。」・・。

 どんな本を読もうと、結局こんなところに行き着いてしまう。だから私は心が狭く、度量の広い、大人物の足下にも及ばない、凡人なのだろう。

 「みみず」は、今日もこうして、自己認識し、自戒する。反日・売国の日本人たちも、少しは私みたいに、自己認識し、自戒してみたら、どうなのだろう。

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田母神氏を応援する本当の理由

2014-01-22 00:36:16 | 徒然の記

 NHKと、朝日新聞を筆頭とするマスコミが、敗戦以来このかた69年間、国旗、日の丸、軍隊、武力、国防、愛国心と、こうした一切を、憎むべき戦前の残滓であると国民に伝えて来た。

 日本は間違った戦争をし、近隣諸国を侵略し、残虐なことを沢山した。二度と戦争をしてはならない。二度と軍隊を持ってはならない。日の丸も君が代も、愛国心も、間違った過去につながるから、忌むべきものとして無視すべきだ。

 こうして私たちは、学校で教育され、自衛隊は長らく、最低限の必要悪として認められ、自衛隊に入る人間は、好戦的右翼と教えられて来た。

 若かった頃は、私もそれを信じて生きて来た。平和と人類愛の世界を、何よりも尊いものとして、心に刻んで来た。左翼と呼ばれる人間たちとの違いは、自分の国を大切にしたいという、その一点があるだけだった。

 定年退職し、初めてネットの世界を知り、ネットの情報に接し、自由になった時間を読書に振り向け、ネットの情報を補完、修正する知識を求めた。ことにチャンネル桜には、沢山のことを教えられた。

 前置きが長くなったが、日本では、NHKや朝日新聞にとって、優等生のような国民が多数を占め、自衛官である田母神氏は、軍国主義者としか見られないという、厳然たる事実がある。自衛隊の幹部は、戦争賛美者だという先入観を捨てられない国民が、氏の言葉を素直に聞くはずがないのは、自明のことだ。

 安倍総理が大勝したといっても、それは国政だけのことだ。自民党に支援されず、マスコミからは敵視され、無視され、勝てる見込みのない戦いに立候補した氏を、私は尊敬せずにおれない。

 人気取りばかり考えている他の候補に比べれば、劣悪な条件下と知りつつ、名乗りを上げた勇気は、私には真似ができない。だから、都民でないが、国民の一人として応援せずにおれなくなった。

 足腰の弱った今の自分にやれることは、年金暮らしで雀の涙しか協力できないとしても、資金カンパに参加するしかない。もしものこと、私のような考えの方が、他にあるのなら、参加して頂ければ有り難いと思う。有力な政党や、裕福な団体の後ろ盾のない氏だから、貧者の一灯でも、集まれば力になるというものでなかろうか。

 今宵は「みみずの戯言」でなく、「みみずのお願い」とか、「みみずの訴え」とかになるのだろうか。

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