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哲学とは

2013-10-22 21:51:03 | インポート
おのれと世界の存在は、この意味と無意味の交錯の中でのみ、言い換えれば、おのれの偶然を必然たらしめ、おのれの必然のうちに偶然を湛え、こうして、必然である偶然、偶然である必然を、達成成就せしめようという、覚悟と情熱のうちからのみ花開く。

この禅問答のような言葉は、渡辺二郎、ニヒリズムー内面性の現象学、から引いた。
この度、この本が、東京大学出版会から復刻されたのだ。
当時、渡辺は40歳、助教授だった。
ゼミではハイデガーのSein und Zeit,をずっと読み続けた人だ。
僕が本郷に行った時は哲学科主任だった。
哲学概論を受け持ち、確か、僕が三年生の時はヘーゲルとフッサールを講義していたが、なぜか僕は取らなかった。
渡辺二郎は、大学院の入試にとても厳しく、哲学科は大学院に入るために浪人する人も沢山いた。
なにしろ、問題が、ギリシャ語、ラテン語、ドイツ語、フランス語、英語の文章を説明せよ、と言った問題で、学部生には歯がたたない。
英語の問題も

The meaning of word is a value of valiable

を説明せよ、とそもそも訳せない。
で、あるから、哲学科の大学院生というのは物凄いエリートなのだ。
渡辺は、東大を定年退官してから放送大学に移った。
年をとるとは才気より、円熟味が増すことで、美と詩の哲学、芸術の哲学、自己を見つめる、現代人のための哲学、放送大学教材でもいろいろ出したが、総じて、論述は平面になり、また、著しく宗教的になり、恵みとしての幸福という境地に行き着いた。
それは信仰の問題であり、哲学の問題ではないとも言えるが、この大哲学者が至った境地を明かしている。
ニヒリズム、は、なにしろ40の時の著作だが、その迸るような情熱は凄まじい、自分はとても及ばない、おそらく哲学というものの真の姿が溢れている。
解説は渡辺の愛弟子で、今や東大教授にある、榊原さんが書いている。