この展覧会、ネットの知人の間では評判がよろしくないのである。
何が「大」だ「誇大」ではないかとか、たいした作品が来ていないから「自然との共生」なるお題目を掲げるのだとかー。
しかしヴェネツィア派からルソー、ユトリロまで掲げるこの展覧会来ている作品はなかなかに面白い。
何が着ているのか、何が日本初公開なのかまったく下調べもせずに行った東京都美術館は「大エルミタージュ」の展覧会、僕も何が「大」かは知らないが結構楽しめた。
たとえばモネの「ジヴェルニーの干草」、ドラクロワの「絵画の敵は灰色」にしたがって、混じりけのない色を使ったとはなるほどとうなづけた。
ゴーギャン「果実を持つ女」は「ポリネシアのイヴ」を描いたものだ、この前の近代美術館での大原の作品を思い出す。
世田谷美術館でやっているルソーは「リュクサンブール公園、ショパン記念碑」が来ているが、「コンポジション」と記されていて、本物を描いたのではないことも知る。
名前も知らない画家もいっぱい来ている。
アールト・ファン・デル・ネールという人の「夜の町」、17Cオランダでは「夜の絵」というジャンルがあったことを知る。
ベルナルド・ベロットという人の「ゼーガッタから見たドレスデンの旧市場」はものすごい群集に度肝を抜かれる、何で集まっているのかは知らないが、よくよく見ると立ち並ぶ建物から顔を見せている人はいない、こういう描きわけが面白い。
アレッサンドロ・マニャスコという人も来ている、18C後半には忘れ去られ20Cになって復活した画家というがなぜこのような劇的な表現をする画家が忘れられたのだろう。
レオポルド・シュルヴァージュという人もぜんぜん知らないが、ディアギレフの目に留まり舞台装置のデザインの依頼を受けたというのだから、すごい人なのだろう。
こうやって一点一点作品を観ていくと面白いのだが、構成がいただけない。
「家庭の情景」「人と自然の共生」「都市の肖像」と三章に分かたれ、時代もお国もさまざまな作品が隣り合わせて並べられている、これが興をそぐ原因だろう。
さらにエルミタージュの再現かなにか知らないが「大使の階段」通称「ヨルダン階段」が再現されているが何か意味があったのだろうか?
カタログは分厚いのに二千円、おなじみ成城大学千足伸行先生の論文とか読めます。
東京都美術館はバリアフリーには程遠いのに足の悪いお年寄りがえっちらおっちら、年をとっても美術館にいけるのは幸せだ、この展覧会は名古屋と京都に巡回します。