だらだら日記goo編

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皇族という責務

2005-11-24 23:00:58 | アート・文化
紀宮さんがご成婚された、雅子さんの具合はどうなのだろう、夜の食事会を欠席されたときく。
皇族というのは優秀な外交官だった人が精神を病むほど過酷なのだ、その過酷な責務を勤めた波乱万丈の生涯を送られた方がいる、梨本宮家伊都子さんだ、その生涯をたばこと塩の博物館「梨本宮家と渋谷」の展覧会に昨日観にいった。
伊都子さんについてはこのブログで以前逓信総合博物館のフランス絵はがきの展覧会のことを書いたときにも書いた、ローマに産まれたからこの名前がついたのだ。
フランスに行ったのはロシアとの戦争を控えてフランス陸軍の研究のためだったという。
さてこの展覧会は入館料百円がもったいないほど充実している。
渋谷とのかかわりでいえば松涛という地名が渋谷にあるがそれは茶の湯のたぎる音に由来し、鍋島家がここに茶園を開き、渋谷茶は宇治茶が入ってくるまで名物だったとはじめて知った。
宮下という地名も渋谷にある、これは梨本宮邸の「青山御殿」二万坪!のしたの地域に属していたからという。
しかしそれをのぞいては渋谷とこの展覧会は関係ない。
鍋島家佐賀藩の圧倒されるアームストロング砲の近代軍備から説き起こし、鹿鳴館ビゴーの「鹿鳴館の月曜日」、ダンスの特訓が行われていたそうな。そこで着用された衣装も展示。
さて伊都子は1900年ちょうどに結婚する、それと合わせてこの人はずっと日記を記す、明治大正昭和とー。
結婚も見事だったようだ、内閣総理の年俸が9600円なのに宝冠一つでも二万数千円の宝石が注文される。
でもって欧州へ旅行してアールヌーボーに出会う。
そんなこんなで時代は大正へ、大正天皇の即位式に着用した衣装も展示。
子どももできるが、長女はなんと朝鮮の皇太子と結婚させられる、政略結婚だ、ここいらへんから歯車が狂いだす。
初孫は「牛乳」で死んだことになっている、しかし伊都子は「毒殺」だと疑う。
初孫が死んだ翌年は関東大震災だ、伊都子は松ノ木につかまった絵をあらわす。
時代は確実に戦争へ、伊都子も満州軍慰問の作詞をさせられる、山田耕作作曲だ。
梨本宮家は空襲で全焼だ、日記には「あの大なる家はあとかたなく」「情けないやらなんとも言いようのない」と記す。
で敗戦、夫だけなぜか巣鴨プリズンに入れられる、昭和22年には「臣籍降下」で皇族の地位を失ってしまう。
別荘も手放し、民間人となった伊都子、時代に翻弄された皇族がここにはいる。
この頃盗難にあったりしたようで、あとはひっそりと暮らしたようだ。
昭和35には帝劇「源氏物語」で長谷川一夫の挨拶を受けたり、昭和40には昭和天皇に挨拶する機会もあったようだ。
地元の渋谷小学校にはピアノやら大きなタラバガニやらをプレゼントしたらしい。
でもって1976この人は他界した、まことに波乱万丈というしかない。
展示は今回の紀宮結婚でも話題になったボンボニエールとか宮中の衣装とかいろいろ展示され、皇室のことを知るいい機会ともなった、ぜひ若い人にも観てほしいとも思う。
昭和は遠くなりにけりーでも皇室の伝統は受け継がれる、立川の国営記念公園に昭和天皇ゆかりの品の記念館がオープンしたらしい、今度見てこよう。